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Japanese Medieval History and Literature

7248鈴木小太郎:2021/12/17(金) 12:07:55
斎藤幸平氏は「環境スターリン」?(その2)
>筆綾丸さん
>グレーバーの「ブルシット・ジョブ」

岩波書店から『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』という上品なタイトルの翻訳が出ているそうですね。

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やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書。

https://www.iwanami.co.jp/book/b515760.html

私は未読ですが、ウィキペディアにはグレーバーが五種類に分けたという「ブルシット・ジョブ」の具体例が出ていて、グレーバーの上品な分類名にもかかわらず、社会を円滑に動かすための重要な仕事が多いように感じます。

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取り巻き……受付係、管理アシスタント、ドアアテンダント
脅し屋……ロビイスト、顧問弁護士、テレマーケティング業者、広報スペシャリスト
尻ぬぐい……粗雑なコードを修復するプログラマー、バッグが到着しない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ
書類穴埋め人……調査管理者、社内の雑誌ジャーナリスト、企業コンプライアンス担当者
タスクマスター……中間管理職

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96

特に「バッグが到着しない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ」がいなかったら警察沙汰にも発展しそうで、これほど重要な仕事はなさそうです。
そもそも警察など犯罪者の「尻ぬぐい」が仕事の大半ですが、グレーバーはこれも「ブルシット・ジョブ」に分類しているのでしょうか。
グレーバーは去年、五十九歳で亡くなったそうですが、ウィキペディアの写真を見る限り、ネアンデルタール人に似た上品な顔立ちの人ですね。

デヴィッド・グレーバー(1961-2020)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

さて、斎藤氏はマーケティングや広告を「ブルシット・ジョブ」の代表に挙げていて、それらに対する憎悪は凄まじいですね。
「第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う」には、

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 現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業などがあるが、こうした仕事は重要そうに見えるものの、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない。
 デヴィッド・グレーバーが指摘するように、これらの仕事に従事している本人さえも、自分の仕事がなくなっても社会になんの問題もないと感じているという。世の中には、無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れているのである。
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とあり(p314以下)、少し前の「第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム」では、

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▼ブランド化と広告が生む相対的希少性
 さらに、生活の質や満足度を下げる希少性は、消費の次元にもある。人々を無限の労働に駆り立てたら、大量の商品ができる。だから今度は、人々を無限の消費に駆り立てねばならない。
 無限の消費に駆り立てるひとつの方法が、ブランド化だ。広告はロゴやブランドイメージに特別な意味を付与し、人々に必要のないものに本来の価値以上の値段をつけて買わせようとするのである。
 その結果、実質的な「使用価値」(有用性)にはまったく違いのない商品に、ブランド化によって新規性が付け加えられていく。そして、ありふれた物が唯一無二の「魅力的な」商品に変貌する。これこそ、似たような商品が必要以上に溢れている時代に、希少性を人工的に生み出す方法である。希少性と言う観点から見れば、ブランド化は「相対的希少性」を作り出すといってもいい。差異化することで、他人よりも高いステータスを得ようとするのである。
 例えば、みんながフェラーリやロレックスを持っていたら、スズキの軽自動車やカシオの時計と変わらなくなってしまう。フェラーリの社会的ステータスは、他人が持っていないという希少性にすぎないのだ。逆にいえば、時計としての「使用価値」は、ロレックスもカシオもまったく変わらないということである。
 ところが、相対的希少性は終わりなき競争を生む。自分より良いものを持っている人はインスタグラムを開けばいくらでもいるし、買ったものもすぐに新モデルの発売によって古びてしまう。消費者の理想はけっして実現されない。私たちの欲望や感性も資本によって包摂され、変容させられてしまうのである。
 こうして、人々は、理想の姿、夢、憧れを得ようと、モノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。その過程に終わりはない。消費主義社会は、商品が約束する理想が失敗することを織り込むことによってのみ、人々を絶えざる消費に駆り立てることができる。「満たされない」という希少性の感覚こそが、資本主義の原動力なのである。だが、それでは、人々は一向に幸せになれない。
 しかも、この無意味なブランド化や広告にかかるコストはとてつもなく大きい。マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっている。商品価格に占めるパッケージングの費用は一〇〜四〇パーセントといわれており、化粧品の場合、商品そのものよりも、三倍もの費用をかけている場合もあるという。そして、魅力的なパッケージ・デザインのために、大量のプラスチックが使い捨てられる。だが、商品そのものの「使用価値」は、結局、何も変わらないのである。
 果たして、この悪循環から逃れる道はないのだろうか。この悪循環は希少性のせいである。だから、資本主義の人工的希少性に抗する、潤沢な社会を創造する必要がある。それがマルクスの脱成長コミュニズムなのだ。
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といった具合です。(p255以下)
「マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっている」そうですが、市場調査みたいなものでそんな産業規模になっているはずはないので、これは具体的にはどのような業種を念頭に置いているのですかね。
また、「商品価格に占めるパッケージングの費用は一〇〜四〇パーセント」とありますが、化粧品のような特殊な例はともかく、例えば鉄鉱石のパッケージング(?)にそんな割合がかかるはずもないので、これもどのように算出しているのか。
ま、細かい話をすればキリがありませんが、要するに斎藤氏は「贅沢は敵だ」と言いたいのでしょうね。
斎藤幸平ならぬ斎藤憲兵は、人間の欲望を否定し、人類の全面的な人格改造を狙っているようですが、それも結局は地球環境のためなんでしょうね。




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