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Japanese Medieval History and Literature
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二十六の瞳とHAL9000
小太郎さん
鎌倉の本屋には、『鎌倉殿の13人』の影響もあって、鎌倉時代の本がやたらと多いのですが、今日は、細川重夫氏『執権』が山積みになっていました。
大きなお世話ながら、百年に一度のお座敷がかかったのだから、もう少し売れそうなタイトルにすればいいのに、と思いました。この本の表紙にも三つ鱗の絵があるのですね。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000325892
ザゲィムプレィアさん
鎌倉時代の公武の人間関係はほとんど知らないので、別の話をします。喫茶店で、今日の読売新聞朝刊の特集記事を読んでいると、こんな記述がありました。
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「脳と意識を接続し、人間の意識を機械にアップロード(移植)することも20年以内に可能だ」と渡辺正峰・東京大准教授(脳神経科学)は予測する。その先にあるのは、「不老不死」の世界だ。肉体がなくなっても機械に宿る意識は残る。この意識を仮想空間につなげば、仮想空間で生き続けられる」
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これは、機械に意識はあるか、という古い問題の現代バージョンなのか、知りませんが、意識を機械にアップロードするなど、私には妄想としか思えません。筒井康隆『文学部唯野教授』に倣って言えば、理学部唯野准教授の囈言のような気がします(唯と准の字が似ているところがミソです)。
そもそも、この「意識」とは言語のことなのか、クオリアのことなのか、電位変化のことなのか、わかりません。さらに、この「機械」とは何なのか。クラウドのようなものなのか、理研の世界最速コンピュータ「富嶽」のようなものなのか、量子コンピュータのようなものなのか、わかりません。
むろん、人間には考える自由があるので、他人がとやかく言うべきではないのですが。
付記
仮に「意識」を「機械」にアップロードできたとしても、「機械」がサイバー攻撃を受けて「意識」が死ねば、ずいぶん短命な「不老不死」になります。
つまり、「意識」の保存も物理的制約を受けるのであり、現代のテクノロジーでは、それは電子でしかありえないはずで、「不老不死の意識」と言っても、所詮、電子至上主義にすぎないのではないか、という気がします。
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