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Japanese Medieval History and Literature

72kari:2007/06/28(木) 16:40:20
ちょっと引用。
熊谷隆之氏「六波羅探題考」『史学雑誌』113−7、2004年。
「それでは、上洛時の御所(※六波羅御所)使用についてはともかく、なぜ鎌倉殿は下向時に六波羅御所への移徙をわざわざ行う必要があったのであろうか。いずれの事例においても、摂関家や王家の邸宅から六波羅御所へ立ち寄ったうえで、即日鎌倉へむけ下向しており、きわめて儀礼的なものを感じさせる。つまるところ、この問題を解決する糸口は、鎌倉殿のおかれた地位にあるのではなかろうか。思えば、鎌倉殿は朝廷の官制上、公卿もしくは親王であるとともに、征夷大将軍としての地位にある。つまり、あくまで朝廷側の秩序に照らせば、鎌倉殿はもともと京都に住する摂関家や王家出身の貴種でありながら、東国を制圧する征夷大将軍として京都から鎌倉へ一時的に下向しているというにすぎないのである。『幕府』ということば自体、出征中の幕営を意味する近衛大将や将軍の唐名に由来する呼称であることも考えあわせる必要があるだろう」

筆綾丸さま。
上記は朝廷の側の認識でしょうが、編集長のおっしゃることと重ね合わせると、宗尊親王期にはまだ「将軍だけど、鎌倉にずっといるわけじゃないよ」という認識が、幕府側にもあったということになるのでしょうか。

熊谷氏の説については賛否両論あるでしょうが、上記の箇所は名文だとつくづく思います。




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