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Japanese Medieval History and Literature
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エソテリックな後宇多院
NAO4@吟遊詩人さま
興味深い記事ですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/125203.html
吾妻鏡建長4年(1252)3月19日の宗尊親王関東下向のくだりには、意味不明の用語が一杯
ありますが、道中、かなり酒も飲んでるようですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/125209.html
同年9月30日と10月16日には、禁酒令の記述もありますね。田舎の鎌倉でも、これだけ酒
が出回っていたところをみると、京都・奈良・大坂は凄かったのでしょうね。
ひさしぶりに『増鏡』(講談社学術文庫)を眺めてみますと。
「さしぐし」の亀山院剃髪のところに、
「さて九月の初めつかた、中の院は御髪おろさせ給ふ・・・・御法名金剛覚と申すなり」
とあって、金剛源ではなく金剛覚となっているのですね。
また、「浦千鳥」の後宇多潅頂のところに、
「遊義門院の御髪にて梵字ぬはせ給へり」
という不思議な一文がありますね。これは、遊義門院の遺髪で後宇多院が自分の法名
バジュラムン(金剛性)を何かに縫われた、という意味でしょうか。とするならば、
なんと言いますか、後世の刺青にも通ずるような至上の愛の表現ということになりま
すか。あるいは、遊義門院の法名を梵字で何かに縫われた、という意味なのでしょう
か。・・・いずれにせよ、密教は esoteric で、よくわからない。
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