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Japanese Medieval History and Literature
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「学僧 湛睿の軌跡」展
>筆綾丸さま、>笛田均さま
元和7年(1621年)の改元がなされなかった理由としては、大河ファンの私としましても、和子の入内と関係があるのではないかと思いました。(「葵徳川三代」では、四辻公遠(よつつじきんとう)の娘の件が問題になっておりました。)
ところが、歴史読本1月号の久保貴子さんの見解では、永禄4年(1561年)の辛酉、永禄7年(1564年)の甲子
は改元が行われず、一旦「途絶した。」との見解が書かれています。従って、元和7年(1621年)の改元もされなかったというのです。そして、元和10年(1624年)甲子改元の復活、延宝9年(1681年)辛酉改元も復活したとの見解です。
なお、元和10年(1624年)甲子改元は、家光の将軍代替の意図があったのではないかとされています。
●「学僧 湛睿の軌跡」展
金沢文庫で開かれております↑見てまいりました。やはり、地味な企画だけあって空いておりました。
本題とはあまり関係ないのですが、「華厳経関脈義記」にイチョウの葉が栞として使われておりまして、この時代にはイチョウは渡来していたのか、葉っぱだけ中国から持ってきていたのかなあなどと思ってしまいました。
例の補助解説冊子(湛睿版)今回も置いてありましたので、いただいてきました。
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