レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
Japanese Medieval History and Literature
-
亥子餅
笛田均さま
『史料綜覧巻十』の「御湯殿上日記」から、前後の出来事を抜粋しますと(甚だ恣意的ですが)。
永禄3年
9/19 近衛前嗣、越後に下向す
10/7 義輝に亥子餅を賜ふ
11/14 廷臣・宮女に御薫物を頒ち賜ふ
12/11 観雪御宴あり
??永禄4年
1/1 義輝、毬杖玉を献ず
1/18 御三毬打
?????? 2/15 涅槃会
2/22 水無瀬宮法楽連歌御会
3/3 節供御祝、御闘鶏あり
???? 閏3/10 義輝をして、御築地を修理せしめらる
?? 3/22 ??水無瀬宮法楽和歌御会
4/11 本願寺光佐を権僧正に任ず、是日、光佐、御礼物を献ず
5/5 節供御祝、義輝に御薬玉を賜ふ、賀茂競馬
?? 6/29 六月祓
7/7 七夕和歌御会、御楽あり
7/15 盂蘭盆会
7/25 御倉職立入宗継の保管する御物を禁中に移す
8/1 八朔御贈遺あり
9/2 近衛前嗣、物を献ず
9/4 本願寺光佐、物を献ず
9/5 後奈良天皇聖忌、御法会を山城般舟三昧院に修す
9/16 御念仏あり
9/20 宸筆般若心経を三条西公条に賜ひ、大覚寺に納めしめらる
?? 10/7 義輝に亥子餅を賜ふ
????10/18 ??三条西公条、大覚寺所蔵の嵯峨天皇宸翰般若心経等を叡覧に
?????????????? 供す、之を勅封あらせらる
11/6?? 薫物を調合あらせられ、之を廷臣に頒ち賜ふ
時系列を眺めてみますと、月次行事をやめて、本願寺に献金させれば(あるいは法華の
町衆に)、改元費用も何とかなったのではないか、という気もしますが、そいう訳に
はいかないのですね。ただ、改元に関わる記述は、ひとつもありません。
将軍義輝は、剣術修練に余念がなかったのか(ただ貧乏なだけだったのか)、あんまり
将軍らしいことはしてないですね。将軍たるもの、亥子餅なんぞ嬉しがって食べていて
はいけません。義輝が辛酉革命の改元を躊躇したのは、1441年の義教の不吉な前例が
あったからかもしれませんね。鴨の子が産まれたら、気をつけねば・・・。
時系列で驚くのは、この戦国の世における後鳥羽供養ですね。『史料綜覧』で、数十年
をざっと見ましたが、ほぼ毎年行っているのですね。後鳥羽の御霊を鎮めて、天下静謐
を願う朝廷の祈りなのかもしれませんね。
NAO4@吟遊詩人さま
『天皇の書』は続編を期待しているのですが、無理かもしれませんね。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板