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Japanese Medieval History and Literature
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歴史観
勝手に留守番をさせていただいておりますが、私は歴史のプロではなく、ここに集うプロ系の方のような、一次資料に基づく議論ができないのが、口惜しくもあり、読者の方に申し訳なくも思うのですが、今後も少しづつ勉強させていただき、自分の歴史観を形成いたしたく考えております。
>筆綾丸さま
私が、「源家」を「頼朝、実朝、政子」と聞いて、納得してしまったのは、先にあげました本を通して、この考えを受け入れる素地が出来上がってしまっていたからでありまして、ご指摘のように、他の多くの史料を読みこなして総合的に判断したわけではございません。
ただ、「頼家が忌み嫌われていた。」と言われて、納得してしまう理由は他にもございまして、頼朝、政子、実朝の墓は鎌倉にあるのに対して、頼家の墓は修善寺のみで、鎌倉には供養塔すらないためであります。これは、頼家が祟るのを恐れたためではないかと思ってしまうわけです。
>高齢(28歳)の竹御所鞠子を少年の頼経に強引に嫁がせたのは、源家の血を絶やすまいとする政治判断ですよね。
実朝が暗殺されたとき、すでに宮将軍の下向の内諾が得られていたと言いますから、この際、源氏の血は関係なくなっていたのではないかと考えられるのですが。
宮将軍の実現を後鳥羽上皇に反故にされて、摂家将軍として女系で源氏の血をひく三寅くんを鎌倉殿に押し立てたわけで、竹御所を娶らせたのは、「源家の血を絶やすまい」としたのではなく、新将軍を北条氏としてよりコントロールしやすくするために、政子の息のかかった姫を嫁がせたと考えられるのですが。
5代将軍頼嗣の正室は、執権北条経時の妹ですよね。この辺から推測しても、源氏の血というより、北条家の意のままに動かせるかどうかということが重視されたのではないでしょうか。
東国武士団にとって、清和源氏という血は必須ではなく、自分たちの利益代表となり、訴訟を裁く象徴であればよく、高貴な血を引いていればそれでよいということではないでしょうか。
>相国入道さま
>『織田信長文書の研究』
>再販された時は真っ先に購入したことは言うまでもありません。
本当に、歴史が好きなのですね。
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