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Japanese Medieval History and Literature
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足利義詮の花押について
>筆綾丸さま
足利義詮の花押が高師直を模したものと指摘してるのは、佐藤博信氏の論文「足利義詮の花押について」で紹介されています。
文章を引用いたします。
「年少の鎌倉殿義詮の元服式と御判始は、時の関東管領(上杉憲顕と高師冬)の主導によって幕府との関係において政治的に執り行われたと評価される。その両者の際立った性格の相違は、時の幕府内部の二大政治勢力の拮抗(足利直義と足利尊氏、高師直の対立に象徴される)の所産であったわけであるが、その段階的相違は当時の関東管領間力のバランスの変化(高師冬の権力強大化)に対応するものと考えられる。それは、結果的には上杉氏は名としての一字を高氏は実として花押をとったともいえないのである。こうしたこと自体、鎌倉殿義詮がその二大政治勢力の狭間に存在していたことを雄弁に物語る事実ではなかろうか。」としています。さらに佐藤氏は「これまでの直義の地位の後継者としてのみならず将軍職の後継者として義詮を京都で迎えたであろう高師直には、前途洋々たるものがあったに違いない。その限りでは、将軍の執事であってそれほど独自権力基盤を持たなかった高氏(こうし)であるが、あくまでも義詮を通じて「第二の北条氏になる可能性は必ずしも絶無ではなかった」(この点は石田善人氏「室町幕府論」参照しています)ようにおもわれるのである。」としています。しかし高師直が観応の擾乱によって滅亡したため、義詮は足利様の花押に改判したとも、佐藤博信氏は指摘しています。『中世東国の支配構造』思文閣出版1988年に所収されていますので見てください。
また、鎌倉公方足利持氏が関東管領上杉朝宗の花押を模しているということ(同書所収「足利持氏花押について」)も、指摘していますのであわせてお知らせいたします。
それから、筆綾丸様『織田信長文書の研究』が話題に上がっていましたね。私もこの本がほしくて、出版社に何度も問い合わせたのですが、重版準備中で中々再販がでませんでした。古本屋で見つけてもとても手の届くような金額ではなかったので、コピーをとってその場をしのいだという思い出があります。
大学を卒業してもついに出版されずに、それからしばらくして再販された時は真っ先に購入したことは言うまでもありません。
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