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Japanese Medieval History and Literature

451筆綾丸:2007/11/30(金) 22:01:43
御筆様
NAO4@吟遊詩人さま
中村直勝『日本古文書学 中』に、おどろいたことに、「伊勢内宮周清上人願文」があり
ました(218頁〜)。
ある観世音菩薩座像の胎内文書として、秀頼自筆の六字名号(南無阿弥陀仏)と一緒に、
この願文が出てきた。千姫(秀忠娘・秀頼室)は、大坂城落城後、桑名藩主本多忠刻に
再嫁し、慶光院周清上人の知遇を得た。忠刻の姫路転封に伴い、播磨姫と呼ばれたが、
産む児産む児、悉く夭折するので、占ってもらうと、秀頼の祟りと知れた。播磨姫
あわれ、と願いを容れて、上人は願文を奉納した。能筆の長文ですが、一部、釈文を
引用しますと。

・・・我等屋敷に、秀頼様を、斎ゐ置かせられ、御神体には、御筆様を籠め申候、末代、
我等寺の御座候うちは、代々申置、御神体と崇がまへ申候へく候・・・
   けんな九年の九月きちにち いせないくうしゆせい上人 (黒印)
  ひてよりさまへの御くわんしゆ(願書)

慶光院というお寺の御神体は、元和九年以後は、御筆様(秀頼自筆の六字名号)だった、
ということになるのですね。おどろきました。
この願文を読むと、慶光院は千姫の縁で徳川家と深い関係になったのかもしれませんね。
邸内に秀頼を斎き祀り、御神体を御筆様としたのですから、家光に見初められた剃髪の
佳人も、さぞや、複雑な心境だったでしょうね。
不謹慎な言い方になりますが、幽冥境を異にする秀頼様を、そこはかとなく裏切るよう
な、なんかこう、嫌な嫌な佳い感じ・・・perversion はひとり家光だけのものではな
かったのである(笑)。
御筆様の筆跡をみますと、決して能筆ではないものの、これが自裁直前のものかと思う
と、心なしかふるえているようで、なんだか哀れですが、さはさりながら、南無阿弥陀
仏とあるからには、秀頼の信仰は浄土宗系だった、と解していいのでしょうね。

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