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Japanese Medieval History and Literature
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Nacht der langen Messer(長いナイフの夜)
NAO4@吟遊詩人さま
レーム粛清を題材にしたルキノ・ヴィスコンティの「La caduta degli dei(邦訳名:
地獄に堕ちた勇者ども)」を思い出しました。貞時がヒトラーで、時村がレーム、と
いう構図になりますか。
中村直勝『日本古文書学 上』では、親王又は内親王が下達する文書に「教」というもの
が中国にあり、御教書は中国の制度を取り入れて摂関家が初めて用いたもので、後冷泉
天皇の治暦期における関白頼通のものを最古の例として挙げています。
また、江戸期のものですが、聖護院門跡御教書もあります(491頁)。
・・・依聖護院御気色、執達如件
慶長三年十二月五日 法眼(花押)
僧都(花押)
僧官(僧正、僧都、律師)と僧位(法印、法眼、法橋)の相互関係も、面倒臭そうで
すね。
以下は蛇足です。
直勝さんは、院宣、女院令旨、御教書、長者宣などを準公用文書に分類し、広義門院令旨
を例示したあとで、
「法理上、広義門院は女院であって上皇ではないから、院宣の出せるわけはない。その
非法を敢てして足利尊氏は後光厳天皇を擁立したのであった。古文書等には関係のない話
ではない。院宣の出せない身分が、出した院宣は無効である。古文書学上からもこの挙は
断然排斥すべきであり、後光厳天皇以下の北朝は、たしかに偽朝である。古文書学の権威
が如何に大きいか。一例として併叙したのである」(455頁)
と憤慨してます(笑)。
院宣ですら、遡及すれば、私的要素が強いもので、院政の確立と軌を一にして権威(オト
リテ)を帯びたにすぎず、要するに、継続すれば有効になるというだけのことですね。
古文書学の権威(オトリテ)の問題ではない、と思いました。
「織田信長が”藤吉郎女どもへ”宛てた消息は、完全に私文書であり、私事であるに拘
らず、”天下布武”の朱印が押してある。だから、形式上の異法であるからと言って、
それを偽文書であるとして、片附けるわけには行かぬ」(548頁)
禿鼠の浮気など悋気せずともよい、と諭す手紙に「天下布武」の朱印を捺すのは、天才
ならではの独創ですが(笑)、氏の如くしかつめらしく考えず、これは Sophisticated
な駄洒落の如きものだ、と解すればいい。
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