レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
Japanese Medieval History and Literature
-
亀と真慈悲寺
なんかこのサイトで紹介されている展示会を1つ1つクリアしているようですが、この日曜日
日野市「新撰組ふるさと歴史館」で開かれております特別展「幻の真慈悲寺を追う」を見てまいりました。
吾妻鏡にあり、武蔵国のどこかにあったのは確かなのだが、長らく場所が特定できなかった真慈悲寺が、京王百草(もぐさ)園から、多量のかわらが出土したことや、百草八幡神社に残されておりました銅造阿弥陀如来坐像背銘から、現在の京王百草園に特定できたというワクワクするお話。展示は、真慈悲寺址から出土した瓦、江戸時代に発見され現在は奈良博に収蔵されてい経筒3点、これと比較するために、中世の他の寺院から出土した瓦、日常品など。分かり易く百草園のある丘陵をジオラマで表すなどヴィジュアルな展示で、見ごたえありました。
なにせ、消えた寺ですから、展示会に中世の文書はありません(写真だけ)で、近世の文書が少し。日野市は、真慈悲寺の調査に金をかけないために、考古学ボランティアを養成、この方たちの成果発表の場であったのかもしれません。この日のガイドさんも、学芸員ではなくボランティアだとか。本当に経費を浮かせています。でも、学芸員と違い一般人ですから、私が水を向けたら、中世の遺跡の話ばかりではなく、古墳時代にまで遡ってお話を聞かせていただきました。
ちょっと想像してしまったのは、中前勉の方々をガイドさせたら、学芸員より安くて(あるいはボランティアで)、良質なガイドになるだろうなあということ。
今回は、車で行ったのですが、「新撰組ふるさと歴史館」には駐車場はないものの、市役所の周りの駐車場(無料)を利用してよいとのことで、停める所には困りませんでした。図録はありません。8頁ほどのカラー印刷の解説を無料でくださいました。
*少し違和感があったのは、ガイドの方が、江戸時代初期に百草の地を領し、この地に松連寺という寺を建てた小林正利という旗本を「地頭」と紹介していた点です。江戸時代に地頭というのはおかしいという気がしたのですが、家康が関東入府後に関東各地(特に武蔵野)に配された旗本たちはこう呼ばれたわけですかね。薩摩藩にも「地頭」という呼名が残っているようだし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%A0%AD
http://www.asahi-net.or.jp/~HM9K-AJM/musasinorekisi/edo/muranijitougayattekita/muranijitouga.htm
>釈編集長さま
>亀が釣れた
そいえば、鎌倉の池ってよく亀がいませんか?鶴岡八幡宮とか円覚寺とか。藤沢にも亀のいる池があります。どういうことなのでしょうかね。今日の写真は藤沢の池で撮った亀の写真と、↓のどっちにしようか迷いましたが、無難に、「日野宿本陣」でございます。
>はぎつきみたえさま
お疲れ様です。お話を聞くと「那須与一」と「かき揚げ」惹かれますね。
>筆綾丸さま
>これでは滅びますね。
でも、一般には、「270年続けば、十分なのでは。」と思ってしまいますが。
>ポアンカレ予想
って、トポロジーの話を、実用には・・・
>草梁倭館址や古都慶州
そうですね。百済の都「扶余」などは、どうでしょうかね。
>慶光院 お万の方
ドラマ「大奥」とかに良く出てきますね。それにしても、山本博文さん盛んな執筆活動をしていますね。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003788.jpg
|
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板