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Japanese Medieval History and Literature

366kari:2007/10/30(火) 14:36:50
言葉足らずでしたが。
編集長さま ありがとうございました。
下記の内容、何だか文章がおかしかったので、補足しておきます。

奈良国立博物館の第59回正倉院宝物展(於 新館)を見に行ったのですよ。
で、まさに黒山の人だかりで、ようやく途切れてきたのが、最後の正倉院文書のあたり。しかし、戸籍などの帳簿であっても、熱心に見入る年配の方が目立ちました。
「そうか、文書に役所の印がべたべた捺されているのは、数値や固有名詞を書き換えられないようにするためなのだな」とあらためて実感したりしました。

で、本館の常設展で、播磨浄土寺所蔵の裸形阿弥陀如来立像に出くわしたわけです。
本当に恥ずかしい話、私、この像の存在を知らなかったのでした。かつて同寺の宝蔵には二回ほど入れて頂いたことがありますが、多分その時は目にしなかった・・・と思います。木像重源坐像はしっかり鎮座してましたけどね。

裸形であるのは、法会のたびに衣服を着せるからで、かつては立像を台車で引いた、との口伝がキャプションに記されていました。浄土寺には鎌倉期の二十五菩薩面も所蔵されており、『南無阿弥陀仏作善集』に言うところの「迎講」すなわち来迎会に使用されたものに、間違いありません。ちなみに昭和20年代くらいまで、藁人形に菩薩面をかぶせて行進させる「ライコウボサツ」なる行事があったと伝承します。

立像は浄土堂の本尊阿弥陀如来像と比べても全く遜色なく、おそらく快慶の手になるものと断じてよいと思います。興味深いことに光背の頂には「バン(金剛界大日如来)」の字が描かれており、天台浄土教と真言を融合させようとした重源の営為を感じました(「ア」の字、と下に書いたのは間違いでした)。

しかし、これだけ大きな仏像を台車で引いて、来迎会を行なったわけですから、その衝撃たるや、当時の人々にとって如何ほどのものだったか・・・。
ゴゴゴゴ、と音をたてて巨大な金色の阿弥陀如来が行進する。そのまわりには二十五の菩薩が「お練り」をしながら歩いて行く。陽光が、散花と仏像の金箔に反射して・・・って、これは物凄い図ですよ。当麻寺の練り供養だって、こんなに度肝を抜くようなものではないはずです。

重源は、偉い、というか、凄い坊さんです。




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