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Japanese Medieval History and Literature

210むらじ:2007/08/27(月) 21:32:57
重代の物の具
いろいろ話題が転がってきて、目が離せなくなってきましたね。^^

>筆綾丸さん
過分のおほめ、ありがとうございます。
>シェイクスピア
きっとだれが読み流しても、きっと筆綾丸さんだけは目に留めてくれるだろうと思っていました(笑)。

>小太郎さん
後深草院の筆跡
たしかにイメージとかけ離れていますね。
ただそもそも、筆跡と人格とはどこまでリンクするものなのか、そのへんのところはどうなんでしょうか?
筆跡でいままでいちばん笑えたのは、
公家の総本山のはずの後醍醐の豪放な筆跡と、もともと鎌倉武士であるはずの足利尊氏の女性的ともいえる流麗な筆跡とのコントラストでした。
ちなみに、大人しくて控えめな私は実に粗暴きわまる自体の持ち主です(結局そこかい)。

>釈さん
>「冷やし中華、はじめました」
このノリには、大爆笑!

レスだけではつまらないので、今朝起き抜けにふと思ったことなどを。
家重代の物の具、って、ありますよね?
いうまでもなく、先祖代々伝えてきたヨロイカブトなんですが。
江戸時代はともかくとして、鎌倉武士のあいだではどれほど珍重されていたのでしょうか?
こちら方面は疎いので、平安末期の「源太の産着」とか、武田家に伝えられた新羅三郎義光の「盾無の鎧」くらいしか思いつかないのですが。
もしも鎌倉時代に「重代の物の具」を保有している武士がいたとしたら、二通りだと思うのです。
ひとつは、鎌倉将軍家とか、北条得宗とかいった、超一流の家の嫡々の家。
もうひとつは、熊谷次郎直実や佐野源左衛門常世みたいな、「三ちゃん」御家人。
(パパとボク。それだけ とも言う)。
初代の人とかが着ていた鎧は、その後子孫がどんなに繁栄したとしても、子孫どうよう増えることはありませんから、庶流に伝えられる機会は少なくなります。
北条家なんかは「私の家は評定衆になれるんです!」という家だけでもごろごろしているわけですが、義時や泰時が着用した鎧兜には数に限りがありますから、そうそうどの家にもいきわたる・・・というわけにはいかないですよね?
そうすると、なまなかな北条諸流では持っていない「重代の鎧」を、その他大勢の痩せ御家人は持っている・・・という珍?現象がごくふつうにあり得たのかな・・・と思ったのです。
評定衆北条某が持っていないものを、そこらへんの痩せ御家人がふつーに持っている。
それが「重代の物の具」の姿だとすると、物の具じたいによほどの由緒がないかぎり、
単に古いというだけでは必ずしも重視されたり珍重されたりしなかったのだろうか?

え?よた話もほどほどにしなさい・・・って?^^;
ええ、たぶんよた話だとは思いながら、書いているんですが。(^^ゞ
起き抜けって、しょうもないことをマジになって考え込んだりしますからねぇ。
そう、仕事モードがさめやらないいま時分とおなじくらい(苦笑)。




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