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Japanese Medieval History and Literature
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鯰尾
釈由美子が好きさん
http://www.asahi-net.or.jp/~HD1T-SITU/nendai/128900.html
http://www.asahi-net.or.jp/~HD1T-SITU/nendai/129000.html
??4月 胤仁親王、物心つかぬまま、立太子
??(この間、異賊警固の執達、火箭の如し)
9月 亀山院出家
(緻密な布石か、将又、定石破りの奇手か)
同月 惟康親王、都へ配流、嵯峨で出家
(落飾後、逍遥、徐に大覚寺の門を蹴飛ばし、秉燭之頃、帰庵)
10月 久明親王、仏頂面で、鎌倉へ下向
(この間、飯沼助宗、玉響の我が世の春を謳歌)
12月 何故か、円覚寺焼亡
??3月 浅原為頼、蹶起・割腹、叛意は春の朧夜の如し
(この間、宰相中将折檻、濡衣か)
10月 一遍、笑うが如く、示寂、釈尊、嘉し給い、風花舞う
こう、恣意的な時系列を作ってみますと、非常に象徴的な事件と思われるのは、円覚寺
の焼亡ですね。これは放火で、浅原の蹶起を促す狼煙なのではあるまいか。北鎌倉の空
を掩う黒煙は、反得宗の黒幕(って、誰?)のようだ。狼煙から蹶起までうかうか間延
びしてしまい、これが事件の背景を不分明にした、というところが、怪我の功名(?)。
三条家伝来の名刀「鯰尾」ですが、瓢鮎図のように、つるつるすべって、これでは腹が
切れまい、と思いましたが、杞憂のようですね。
浅原の次男は腸を全部ぶちまけていますが、割腹時の武士の嗜み(?)を示すこの表現
は、文献上、かなり早いものでしょうか。
久明親王下向の時に、女騎狩装束とあり、騎馬の女性がいたのですね。親王将軍の行列
とは云え、女性の乗尻とは珍しいですね。
小太郎さん
小松茂美氏の『天皇の書』(文春新書)所載の法皇晩年の書と、『増鏡』の幼少時
の身体描写を比べますと、落差がありすぎるんですね。書と身体に相関関係などな
いだろうとは思うものの。
高橋昌男氏は、あの複雑怪奇な時代をよく小説にしたものだと、まずそのことに驚き
ました。
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