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Japanese Medieval History and Literature

191筆綾丸:2007/08/22(水) 20:10:29
綿の脚
釈由美子が好きさん
新撰組の追跡をかわす桂小五郎幾松御両人の姿を、私は思い浮かべました。


後深草は、後鳥羽や土御門とほぼ同じく、四歳で即位したのですね(1246年1月)。
閑院内裏の焼亡は、宝治3年(1249)の2月だから、脚萎えが癒えるのは七歳ですね
(蛇足ながら、この一連の火災は、佐渡院の怨霊に起因するようですね)。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/124900.html
『葉黄記』で、即位後の大甞會御禊の模様などを読むと、後深草の体は不自由では
なかったような感じがします。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/124610.html

脚萎え(les jambes en coton =綿の脚)であれば、後深草は、即位の時、独りで
高御座に登れなかったろう。身体にまつわる制度的なものの存在はわからぬながら、
不自由な体に、四歳の即位はありえたろうか、忌避されたのではあるまいか。身体の
異常性に対する制度的な圧力のようなものは、中世という時代、非常に強く働いたの
ではないか。不自由な体は何かの祟りであり、そのような人が皇位を継承するのは、
あの時代の政治哲学としてありえないのではないか。
『増鏡』には、何か作意があるような気がします。後深草の身体描写は虚構ではな
いか。なぜかはわからぬのですが。




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