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Japanese Medieval History and Literature

128kari:2007/07/26(木) 15:05:41
農業というもの。
筆綾丸さま。
ご無沙汰しております。

山村研究をしている知人は、大学院時代に網野善彦氏に師事したのですが、師匠と酒席で「漆掻きは農業か?」「桑は?」「柿は?」「栗は?」しまいに「楮は?」という話になり、網野氏が「いや、それは農業じゃない」と力説するもので、ほとんど喧嘩腰になってしまったそうです。知人の言うには、「網野さん自身が、裏側から(排他律的に)農業という定義にこだわり過ぎなのではないか」ということでした。
したがって、「農本主義」なることばも、実は網野氏の内面に、深く刻印されており、それに対する近親嫌悪的な情があるのではないか、との疑念が浮かびます。

性格上、「定義」というものには、あまり近づかないようにしていますが、それでなくとも「農業」の定義は難しいだろうと思います。ある先史人類学者のいわく、「農業とは、ある生物がある生物に栄養摂取を目的として依存し、かつその生物を消費し尽くさないことである」。実は、ある種の淡水魚も菌類を「栽培」して消費し、かつ消費し尽くさないで「増殖を待つ」のだそうです。

で、栗なんですが、「地子」という徴収方法をとっているのは、栗がまさに「地面に落ちる」からで、「どの木になっていたかを問わない」からかも知れません。また、当時は「菓子(果子)」そのものに稀少価値があり、例えば金・銀と対比可能であって、その点で貨幣的な性格をもつ、とも言えそうです。

ただですね。一種の指数として扱われていたのは事実としても、最終的に人の口に入るものなんだから、栗の木を栽培するのもやっぱり農業なんじゃないの(前掲の「定義」)、という根本的な疑問があります。桑だって「農業」と思われていた節はあって、例えば伊予国弓削島は塩を年貢に出すので著名ですが、平安末期における塩はどういうわけか「桑」の本別にかかります。ちょっと事情があって、実はこの島には水田がほとんど無いんですね。畠はあるにも関わらず、それを飛び越えて「桑」を指数として、つまり一種の公田として塩年貢を賦課してしまう。要するに、桑と田の互通性みたいなものが見えてきます。
税の賦課方法という点で、別に考察は必要かと思いますが、農業・非農業という「網野史学」の分類法は、それだけではちょっと危ないかな、と考えています。




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