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Yahoo!知恵袋 名Q&A集

731Hart Bel:2025/08/20(水) 16:54:27
Q:
医者という職業も、時代ごとに学ぶ言語がまるでジェットコースターのように変わってきたのが面白いですよね。
江戸時代には、医師といえばオランダ語の文献を読んで医学を学ぶのが普通で、今の私たちからするとずいぶん遠い世界の話のように感じます。明治になると西洋医学の本格的な導入とともに、ドイツ語が中心になり、医者たちはまた別の言語と格闘する日々を送ったことでしょう。そして昭和も終わり、平成に入ると、もはや英語こそが医療の学問語として欠かせない存在となり、医師たちは論文も学会も日常的に英語で向き合うことになります。こうして振り返ると、医者が扱う言語は時代の流れに応じて移り変わり、私たちの想像以上に複雑で、しかも不思議なほど必然的だったのだな、とつくづく感じます。

ところで、現代では 英語は 医師の卵だけでなく、全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から英文と和訳を拝借しました。

① "He has two sons, who are doctors."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語の方が訳しやすかったでしょう。

② "Hij heeft twee zonen, die artsen zijn."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「彼は2人の息子を持っています。そして彼らは医者です。」

ここで、そのサイトでは
「関係代名詞のwhoはカンマの後に置かれているので、継続用法。
「息子が2人いる」と断定しているので、他に息子はいないことになります。」
と書いていて、ほぼ正しいでしょう。しかし、問題は ③の和訳です。というのは、①の英文と ②のオランダ語訳では、「彼」も医者なのかは 不明ですが、③の和訳では 3人とも医者と解釈されるでしょう。

そこで質問ですが、関係詞の継続用法というのは、こちらが「よし、正確に直訳したぞ」と胸を張っていても、いざ日本語にしてみると、原文以上のニュアンスを勝手に背負い込んでしまったり、逆に原文にはなかった“余計な含み”を読者に与えてしまったりすることが多いのでしょうか? まるで、原文の冷静な二文が、日本語訳では急にドラマ仕立てになってしまうような感じです。これは単なる訳者の腕前の問題なのか、それとも日本語という言語の性質上どうしても避けられない“皮肉なズレ”なのか――一体どう考えればよいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12318950237


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