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kujyu-metudouさんとの対話

1ラピ。:2018/07/09(月) 22:26:43
kujyu-metudouさんからの質問についてお答えしていきたいと思います。


kujyu-metudouさんからのご質問です


教えてください。
らぴ。さん こんにちわ。
見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?この探究を進めてきました。
二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。

苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
一時期には苦悩って経験してませんでした。苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)

私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
知ってますよね?w

どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。

長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。

2ラピ。:2018/07/09(月) 23:28:01
kujyu-metudouさん へのお返事です

>見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
>一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。

私もかつて神秘体験をしています。
私の場合、すべてが一瞬につながった感覚を得たり
周りが金色に輝く体験です。
(それぞれ別のタイミングで)

>自己存在の核を思い出すような精神経験
というのはなかなか興味深い表現ですね。

その経験は割と前のことですか?
その時の経験は本当に
「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
今の状態で思い出して
言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
その経験で
そこに経験していた人はいたでしょうか?


>先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
>私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)

これもなかなか興味深い表現ですね。
この表現から kujyu-metudouさんの状態が
なんとなくわかります。

>・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?
>この探究を進めてきました。

この体験がきっかけで精神性に興味を持ったのですね?
その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
偶然、体験したのですか?

確かにその体験時は苦悩はなかったと思います。
kujyu-metudouさん のその問いはなかなか鋭いと思います。

>二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
>私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。
>同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。

なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?
それとも何かの本に書いてあったことと
自分の経験を照らし合わせてこの文章を書きましたか?
「あの文章の内容はやっぱり本当だったんだ!」と。

もし、その体験が本物であれば
その状態であったときは解ることなく
しかし、その体験後
普通の状態に戻って意味づけをした、という感じになりますが
いかがでしょうか?
(うまく伝わるかな?)

>苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
>一時期には苦悩って経験してませんでした。

苦の根源は正確に言えば
頭の中で一切が起きていると言っているそれです。
頭の中で一切が起きていることがわかる、と言っているそれです。
うまく表現できませんが
その「わかった」と言っているそれが苦悩の原因です。
頭の中で一切が起きていることが苦悩の根源ではなく
頭の中で一切が起きていることがわかった、と言っているものが根源です。
しかし、それは幸せの原因でもあるのです。
それは決して悪いものではないのです。



>苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
>ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)

言葉に表すのは難しいのですね。
でもそれは kujyu-metudouさんの真実なのですね。

>私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
>知ってますよね?w

その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?

>どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。

今にあることが成せる ことが目標ですか?

>長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。

kujyu-metudouさん の今までの経験を短い文では
表現しきれないですよね。
いろいろ書いてくださってありがとう。
超ダイジェストなので私が誤解していることもあるかもです。
少しづつ対話していけたら
と思います。

3苦集滅道w:2018/07/10(火) 09:56:25
うわぁ〜 すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww

まず、一瞥の内容について書いてみます。らぴ。さんは使い慣れていないようなので。
6年位前、「ソレ」を体感して、?これってなんだろう?って思い、大御所のAさんブログを見つけて、一瞥とか見性の体験って言われているのだと認識しました。
以来、私の中では「一瞥」か「見性体験」って使ってます。書籍なんかも「一瞥」が使われているのを読むと、自分の体感と一致しています。
その「空間」を説明してみますね。その体感の直前っていうのは、経営上の悩みで鬱々として日々を過ごしていました。とても苦しく、生き辛い精神状態でした。
悩みを解決するという意識よりも その苦しさをなんとかしたい気持ちで はじけそうでした(笑)
休憩室の椅子に座り、内面を見つめていました。瞬間に、「 」に入りましたというか、思い出したというか、自我を経験する以前の自己に立ち還ったような「安堵感」「安らぎ」「いつも在った場所・空間」「根源」「素」「生以前、死以後」「自我以前、自我以後」とても懐かしくて、そこに居たことが思い出されました。
「ソコ」では、そのままで充たされていて 自我の不安も心配もそれまでの苦渋に満ちた精神もありません。何も 無いです。自分を自分として確認できるものが一切ないけど一切が自然で一切が和める、永遠にいられるような空間です。
で、瞬時にそれまでの疑問が解けました。自分が自分を創り上げていたこと。今までの人生の歩みに間違いとか選択ミスとかがなくて、その現実だけで完結していること。自我が経験知であって、私自身を直接に示してはいないこと。誰の本質も私とは一切が変わらない不変の状態?にあること。
そうした思考が流れました。

で、総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。

まぁ、そんな体感が私の身の上にだけでなく、起きていることが解ったので、色々とその後に検索を続けて、とりあえず、理解をまとめていきました。納得できる論理にまとめていきました。そこは自信あります(爆)
で、二週間位でしょうか、人の神秘、精神の成り立ちというか仕組みというかが成されたことへの感謝に歓喜的な涙に暮れて過ごしました(笑)
ですが、もとのもくあみといいますか、一度はきれいに消えた「苦しい」という感覚は戻り、人並みに戻りました。
で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。

・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。
色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。

一瞥の後に起きたのは、ここまでのことです。二度目も経験しますが、そのことはまた後にします。

>その経験は割と前のことですか?
>その時の経験は本当に
>「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
>今の状態で思い出して
>言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
>その経験で
>そこに経験していた人はいたでしょうか?

経験の場面と中味を上記しました。後で書籍やブログで読んだものの知的情報を思いこんだのではなくて、書かれているものが当時の経験に一致するものを表現として活用しています。後付けの知識ではなくて、当時の感性感覚を表現していると思ってくれていいです。むしろ、今の感覚では違っていることがあります。この記述のままが今の私でもないです。
今の私が 書くとすれば、もっと ねちっこく理屈になってしまいます。当時の心境の再現として読んで下さい。
一瞥はさとりでもなんでもない・・・ことを明確にしたいので、一瞥そのものの中身を書きました。

>そこに経験していた人はいたでしょうか?
・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)

こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。
ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。
間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)

とりあえず、ここまでで、投稿します。

4苦集滅道w:2018/07/10(火) 15:51:01
>その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
>偶然、体験したのですか?
当時は、神の子が人間だって 強く信じていました(笑)苦しみを持ち続ける自分がホントに神の子なのかどうかを確かめたかった。
その答えは、それまでに考えたことも聞いたこともない、想像しようもない真実でした。

>なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?

・・・この二度目の体験には、おっしゃるとおり どっかで読んだ内容が書いてあります。
スペースがないので、簡潔さを狙いました(笑)

あらためて、当時のままを書いてみます。

一瞥の三年後、今から三年前です。苦しみって特に なかったです。順風満帆、私生活も充実してました(笑)

お昼ご飯を食べようと思い、おかずをレンジにチンしに立ち上がったトキでした。

おなかの中あたりかな、何も起きてなどいない空間っていうか静寂と表現できるもの?が拡がってきました。
これが私のホントさなのだ・・・って理解されました。
そこで、私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。
何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。
っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。

これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。
自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。

>その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?
・・・言えます。知ってしまったので、戻れないです。自我は経験と解っても 苦しいものは苦しいです(笑)
だから 何も さとってないです。二十四時間の そこはかとない幸せな感覚に 在り続けることが、目的とも言えます。
そこはかとない幸せ感って、人間的な感覚の中で「 」の体験に近いものと思ってます。
「 」とビンゴ(一致)には どうあがいてもなれそうにないので、いつも 幸せ感にあることを 願っています。
何も なくても、幸せ。みたいな感覚って たま〜〜〜〜にしかないです(笑)

>今に在ること・・・これは、よく見かけるスローガンですが、思考に思考を重ねてしまうことが 
疲れたり、迷ったりする原因になっていますので、
今の感覚知にだけ焦点のあった 普段の在り方になりたいですね。
深い意味があるのでしょうけど、よくは解りません。浅い意味合いで 過去から切離れていたいです。
一瞥とかって、「 」は知るのだけど、今には ないから、回想することがあります。
気にしても 仕方ないのに(笑)

忘れてしまうくらいでないと、先にはいけない気がします。
先があるかどうかも解りませんが、こちらで 何かしら得るものがあれば 喜ばしいです。
今 読み返すと明確な質問にもなっていないですね。何を聞けばいいのかも わかってないなぁ〜〜私(笑)

問いには答えられたと思います。

では。よろしくお願いします。

5苦集滅道w:2018/07/10(火) 17:52:28
明確な質問を考えました(笑)

一瞥で垣間見た「 」を わかったはずなのに、或いは知ったはずなのに、
相変わらず苦悩に充ちた(ちょっともってますw)現実が体験され続けるのは、
本当には悟っていないことです(言い切ってもいいですよね)

ここで、おしまいと思いこむこともできますが(実際私はこれ以上はないと思ってました)
それにしてしまうのは、やはり本意ではありません。何より 自分が似非なことに気が付けた訳ですから、
本物のさとりそのものになるには、何をしなければいいのでしょうか?

何も しなくても「ソレ」なことは学習済ですので、何も したくはないのですが(笑)
もとから さとりそのものだから、そのものになるっていう表現は 正しくはないと思います。
でも 他に聞きようがないので、変なカンジですが さとりそのもので生きるには どうすればよろしいのでしょうか?

6ラピ。:2018/07/10(火) 23:29:14
>うわぁ? すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww

勝手に作っちゃいました笑

めんたる、弱いの?
そうじゃない気がしますが(笑)

攻撃するつもりは全くありません。
でもそう感じてしまったらごめんね。

いろいろありがとう
よくわかりました。

一瞥では kujyu-metudouさん改め苦集滅道wさんは「わかった」と書いていますね。
悟りでは「わからない」、これなのです。

一瞥で経験した状態がずっと続いている状態が悟りです。
そう思ってもらってよいと思います、例えですが。

>総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
>「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。

一瞥では純粋な体験をしていますが
(厳密には体験でもないのですが)
元に戻った時、そういった表現になるのは理解できます。

>で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。
>死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。

表現が上手ですね。
わかります。

しかし、決して死んではいけないことも
苦集滅道wさんは解っていましたね。

もちろん私もわかっていました。
だから今があります。
死ぬことなく自我が死ぬべきです。(例えです)
そしてそれはできるんです、死ぬ気になれば。

>・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。

わかります。
「わかってしまった」からにはもう後戻りはできないですよね。
もう進むしかありません。
かつての私もそうでしたよ。

>色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
>たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。

私もそういう時、ありました。

しかし、それは私の場合、
例えて言えば麻痺していたからこそ、でした。

真実を追求することをやめていた時でもありました。
真実を追求するなら向き合うしかありませんが、ある意味逃げていたのかな。

今さえ楽しければいい、みたいな。
しかし実は、この頃が一番体調が悪かったです(笑)


>そこに経験していた人はいたでしょうか?
>・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)

そうなのね。

>こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
>記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。

さすがよくわかってらっしゃいますね。


>ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。

わかります。

>間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)

変ではないのですが
何か、別の影響がある書き方になっているのではないかな
と感じることがありました。

苦集滅道wさん が「経験」した出来事は
本当だと思っています。

その出来事をこれからどう生かすのか
が大切だと思います。

ちなみに私に一部の消滅が起きたのは
職場の休憩室でのミーティングの時でした。

なんか、ちょっと似てるかな

この消滅のおかげで
ある程度「楽」は達成できていましたが
まだ、楽をコントロール(選択)しようとする自我が存在していました

それに気づき、最後の扉への道が開かれました。

7ラピ。:2018/07/10(火) 23:39:43
神の子ですか。
余談ですが、、、神という存在も悟っていません。

対象がある世界で遊んでいます。
だから争ったり、いろんな願望を達成したりするんです。

神も好き放題したらさすがに気づくでしょうね。
「これは一体どういうことだ?なぜこうなんだ?」と

そこから悟りの道は始まります。

この世界を神が創造した、はある意味本当でしょう。
しかし、悟った人なら何も創造しない。
創造するものがないし、想像する必要がないから。

この違い、なんとなくおわかりでしょうか?

しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。

2度目の体験についてですがこの体験を経験するきっかけとして
何か精進されていましたか?
どこかを鍛えるとか?

>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

なるほどです。
不思議な体験ですが悟りではないですね。
何かが起きているとわかることは わかる人が存在するし、「何か」(対象)が起きていますからね。
ご存知の通りです。

しかし、その体験が悟りへ導くきっかけにはなりえるかもしれません

>で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。

そうですね

>何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。

そうなんですね?
本当にばらばらでないなら
根源も自分もない状態なのですが
この時の経験をそういう風にも表現できますか?

>っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
>ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。

自我の意識たる私という表現は面白いですね。

「根源の側」が「自我の意識たる私」を見抜く

本当にその根源が悟りと言うのであれば
自我の意識たる私を根源は見抜くことができません

「根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感」

根源は私ではなく、
私でない根源が 自我の意識たる私を見抜いてくれたのでしょうか?

苦集滅道wさんと根源は別物ですか?
そうでなければ 苦集滅道wさんを対象として見抜くことはできません

その根源とはいったい何でしょうか?
自我の意識たる私を見抜いてくれた感じを受けた苦集滅道wさんが
そう感じたのかもしれませんが
根源は何もしていないのですよ、それが本物であれば。見抜くことなく。

見抜いている、と感じたのは 苦集滅道wさんであって
本当の根源であればそれは何もしておりません、ただそうであるのみです。

これは悟った人とそうでない人との関係に似ています。

悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人に意味づけしてしまうのです。

悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人を見て
「〜している」という。

そうでない人が本当に感じていることが、それは「はずれ」なのです。
真実とは一体、どこにあるのでしょうか。
感じたことが真実でしょうか?
実は違うこと、多々あるのです。
(うまく伝わりますでしょうか)


>これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
>ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。

本当に起こったと思っています。
少なくとも苦集滅道wさんにとっては
確実にそれが「起こった」のでしょうね。

>自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。

自我の意識って表現が面白いですね。
自我と自我の意識は別物ですか?

私からしたらどっちも自我です。


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