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「時間を止める三ステップ」①〜⑤

5中島タロー:2018/11/07(水) 05:55:18
時間を止める三ステップ③

《第一、第二ステップ・中篇》

第一、第二ステップで皆さんに取り組んでいただくことになる心をフルに(100パーセント)働
かせるための二つの方法について、今回はお話しします。

今申し上げた二つの方法のうち一つは-「没入法」と言い、もう一つは「観察法」と言います。
「没入法」とは、「自分が今している行動に百パーセントの心で没入すること」です。そして
「観察法」とは、「自分が今している行動を百パーセントの心で観察すること」です。

ここに言う行動とは日常生活の中での何らかの運動、何らかの作業、何らかの仕事などを指し
ます。またここに言う100パーセントの心とは、自分から見ての100パーセントの心、あるい
は自分の主観に映じる100パーセントの心という意味です。

従ってそれは、客観的に厳密に調べたら100パーセント未満の心である可能性もあります。と
いうより実際にはそういうことの方が多いでしょう。しかしそれで良いわけです。100パーセ
ントという言葉に囚われ過ぎないようにしてください、ということですね。

「没入法」も「観察法」も、どちらも心を100パーセント働かせる方法という意味ではお仲間
ですが、それぞれの具体的な中身は百八十度違うと言えます。何故なら、「没入法」を実践し
ている時、我々の心は自分が今している行動の中に入っているのに対して、「観察法」を実践
している時、我々の心は自分が今している行動の外に出ているからです。

ここで細かいことを申しますと、没入という言葉と観察という言葉から受けるニュアンスは人
それぞれに違っている可能性もあります。これらの言葉の大まかな意味の捉え方には個人差は
無いとしてもです。この手の違いというのはどんな言葉にもあり得ます。

が、それにも関わらず、次のことだけは全ての人が等しく認めざるを得ないはずです。自分が
今している行動に没入している時、我々の心はその中に入っている。それに対して、自分が今
している行動を観察している時、我々の心はその外に出ている。

如何でしょうか。顕微鏡を覗くように細かい眼で見れば、没入という言葉と観察という言葉か
ら受けるニュアンスは人それぞれに違うのかも知れませんが、今申し上げたことだけは全ての
方の共通認識であるはずです。何故なら我々は誰でも、体験的に知っているからです。自分が
今していることが何であれ、ソレの中に心が入ってなければソレに没入することはできないし、
また、ソレの外に心が出ていなければソレを観察することはできない、ということを。

前述のような共通認識さえ我々にあれば、没入という言葉と観察という言葉から受けるニュア
ンスの個人差なんてものは、ここでは全く問題になりません。すなわち、「没入法」と「観察法」
を実践する上では、そういうことは全く問題になりません。

何故なら実は、「没入法」の真の狙いは、実践者の心を「自分が今している行動」の中に100
パーセント入らせることの方にありまた、「観察法」の真の狙いは、実践者の心を「自分が今
している行動」の外に100パーセント出させることの方にあるからです。

前出の二法を実践する際は、今申し上げたようなそれぞれの真の狙いを意識しておかれると良
いでしょう。


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