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日本史総合スレ

1ぬりかべーべ:2018/03/10(土) 02:52:32
とりあえず立てました。
過去問の読解や日本史の教育法とか色々妄想を書いてきます。
スレッドの運用法まだボンヤリなので>>10>>50あたりのタイミングで整理&提示します。

なのでスレッドの読み方は以下参照ということで。
>>10
>>50

16イーブイちゃん(しょぼ黒・ぼんD):2024/09/10(火) 10:03:09
日本の中世は主に院政時代-織豊政権期頃を指し(:11世紀後半から16世紀後半)
公家と武家という二つの王権が同時に存在し(公武二元支配)
次第に武家の力が強くなっていくという紆余曲折の時代でした。
二つの政権は西と東にそれぞれ位置し、時に協調し時に対立しながら、
中世の社会をそれぞれ支配していました。
公家は日本という国が成立して以来続いてきた天皇を頂点とした朝廷とその周辺勢力(摂関家など)であり、
武家は平安中期から次第に台頭してきた新興勢力の軍事貴族です。
武士は元々くらいが低く、朝廷(天皇や摂関家)に使われる存在でした。
(侍という名称にその名残があります)
平安後期から鎌倉の中世初期にかけて、摂関政治-院政-武家政権へと政体が変わり、
武士たちは段々と力をつけていくことになります。

17イーブイちゃん(しょぼ黒・ぼんD):2024/09/10(火) 10:07:35
英訳
The Middle Ages in Japan mainly refer to the Imperial Period - the syokuhou Regime period (: late 11th century to late 16th century)
There are two royal powers, the noble family and the samurai family, at the same time (dual rule of the public and martial arts)
It was a time of twists and turns, as the power of the samurai gradually became stronger.
The two regimes are located in the west and east, sometimes in harmony and sometimes in conflict.
Each dominated medieval society.
The princely family is the imperial court headed by the emperor and its surrounding forces (such as the Sekkanke family) that have continued since the establishment of the country of Japan.
The samurai family is an emerging military aristocracy that has gradually risen from the mid-Heian period.
Samurai were originally low-ranking and were used by the imperial court (the emperor and the regency family).
(There is a remnant of this in the term "Samurai".)
From the late Heian period to the early Middle Ages in Kamakura period, the political system changed to regency politics - Insei house government - samurai government.
The samurai will gradually gain strength.

18イーブイちゃん(しょぼ黒・ぼんD):2024/09/10(火) 10:27:53
〇鎌倉時代について
・時期は1185-1333
・清和源氏の棟梁源頼朝と東国平氏が協力し西国の伊勢平氏を倒して成立した政権
・初代頼朝の後は13人の合議制が敷かれた後、御家人同士の潰し合いの末北条氏が台頭
・源氏将軍は頼朝-頼家-実朝の三代で絶え、その後摂家将軍、皇族将軍をお飾りとして迎え入れることに
・摂家や皇族将軍は名義上だけの将軍で実際の政治は執権である北条氏が行っていった
・北条氏は「伊豆の小さな在庁官人出身の卑しい身分」と目され将軍に成り代わることはなかった
・摂家将軍、皇族将軍たちは成人すると京都に送り返された。これは北条氏の邪魔になる前に首をすげ替えられたことを意味する
・鎌倉時代は「源氏と北条氏」のイメージが圧倒的に強いが、北条氏が執権や得宗をやっている間も将軍はずっと存在した
・影の薄い後期将軍たちがどんな人物だったかは『将軍の日本史』(榎本秋)などに詳しい
・アニメ『逃げ上手の若君』に出てくる中先代の乱は1335年の事件である
・室町幕府を開いた足利尊氏は北条とも縁の深い源氏の名門一族だった
・両統迭立という仕組みに不満を抱いていた後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して鎌倉幕府を裏切り京都の六波羅探題を攻めた
・それに呼応する新田義貞らが鎌倉幕府を滅ぼした。
・中先代の乱を起こした北条時行を鎮圧するため鎌倉に向かった尊氏は悪評も高かった後醍醐天皇の新政権へ反旗を翻した
・後醍醐天皇による天皇親政は短い期間に終わり、再び武家政権が誕生し以後明治時代まで武士の世が続く。

〇押さえたいテーマ
・頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか、尊氏はなぜ京都に幕府を開いたのか
・国司、守護地頭はこの時代にどのように力をつけ、あるいは衰退したか
・「公武二元支配」とは何か、これはどこを画期にパワーバランスが変化したか


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