したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

日本史総合スレ

18イーブイちゃん(しょぼ黒・ぼんD):2024/09/10(火) 10:27:53
〇鎌倉時代について
・時期は1185-1333
・清和源氏の棟梁源頼朝と東国平氏が協力し西国の伊勢平氏を倒して成立した政権
・初代頼朝の後は13人の合議制が敷かれた後、御家人同士の潰し合いの末北条氏が台頭
・源氏将軍は頼朝-頼家-実朝の三代で絶え、その後摂家将軍、皇族将軍をお飾りとして迎え入れることに
・摂家や皇族将軍は名義上だけの将軍で実際の政治は執権である北条氏が行っていった
・北条氏は「伊豆の小さな在庁官人出身の卑しい身分」と目され将軍に成り代わることはなかった
・摂家将軍、皇族将軍たちは成人すると京都に送り返された。これは北条氏の邪魔になる前に首をすげ替えられたことを意味する
・鎌倉時代は「源氏と北条氏」のイメージが圧倒的に強いが、北条氏が執権や得宗をやっている間も将軍はずっと存在した
・影の薄い後期将軍たちがどんな人物だったかは『将軍の日本史』(榎本秋)などに詳しい
・アニメ『逃げ上手の若君』に出てくる中先代の乱は1335年の事件である
・室町幕府を開いた足利尊氏は北条とも縁の深い源氏の名門一族だった
・両統迭立という仕組みに不満を抱いていた後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して鎌倉幕府を裏切り京都の六波羅探題を攻めた
・それに呼応する新田義貞らが鎌倉幕府を滅ぼした。
・中先代の乱を起こした北条時行を鎮圧するため鎌倉に向かった尊氏は悪評も高かった後醍醐天皇の新政権へ反旗を翻した
・後醍醐天皇による天皇親政は短い期間に終わり、再び武家政権が誕生し以後明治時代まで武士の世が続く。

〇押さえたいテーマ
・頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか、尊氏はなぜ京都に幕府を開いたのか
・国司、守護地頭はこの時代にどのように力をつけ、あるいは衰退したか
・「公武二元支配」とは何か、これはどこを画期にパワーバランスが変化したか


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板