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ミシェル・フーコー参考文章
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灰人@スキゾキッズ
:2015/12/03(木) 08:28:31 ID:bvhtS/9Q
長らくの間、なんらかの個人性は―特別な取り柄のない一般市民など―、記述の対象の水準以下にとどまってきた。注目され、観察され、詳しく物語られ、絶え間のない書記行為によって毎日跡づけられるということは、一つの特権的事態であった。ある人間の年代記、その生涯の物語、その生存の流れにそって書かれる歴史記述は、その強権をほめたたえる儀式の一部になっていた。ところが規律・訓練のさまざまな方式は、こうした関係をあべこべにし、記述可能な個性の水準を下へおろして、この個人性の記述を一つの取締手段、一つの支配方法に化すのである。
実在のさまざまの生存をこのように書きものにする作業は、もはや英雄化の一方式なのではない。客体化(対象化でもある)および服従強制の方式として機能するのである。精神病者もしくは犯罪者たちに関する、綿密な比較照合にもとづく生活記述は、国王の年代記や通俗的な大盗賊の冒険物語がそうであるのと同様に、書記行為がもつ或る種類の政治的機能に属するが、ただし、まったく別種の権力技術にもとづいて、である。
試験は、個人を権力の成果および客体として、知の成果および客体として構成する上述の諸方式の中心に位置している。試験こそが、行政の監視と、規格化を行う規律とを結びつけることで、配分や分類や力および時間の最大限の抽出や段階的形式による連続的な累積や適性の最もふさわしい組み立てなどの、大がかりな規律・訓練的な機能を確保する。
権力がいっそう匿名的でいっそう機能的になるにつれて、権力が、行使される当の相手の方は、いっそう明確に個人化される傾向をおびる。しかもその事態は、儀式によってよりも監視によってであり、記念のための物語によってよりも監察によってであり、さらには、<規格>を関連枠としてもつ比較の尺度によってであって、先祖が誰であるかを目印にする家系図によってではなく、また、勲功によってよりも<逸脱>のいかんによってなのだ。規律・訓練の体系のなかでは、スキゾキッズのほうがパラノ型人間よりもいっそう個人化され、病者が健康人以上に、狂人および犯罪非行者が普通人(つまり、規格に合致した人)および非犯罪非行者よりも、いっそう個人化される。いずれにしてもそれぞれの前者の方向へ、近代社会では個人化のすべての機制が向けられているのである。
権力は、締め出す、排除する、抑制する、抑圧する、取り締まる、隠蔽するなどの、否定・消極的な関連でつねに権力の効果を述べるやり方は中止しなければならない。
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