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新興宗教「キリストの幕屋」スレッド

1カマヤン:2005/01/25(火) 04:40
「つくる会」を乗っ取ったことで有名な極右新興宗教「キリストの幕屋」。
今までカマヤンはウォッチ・情報収集を怠っていたが、
「きっちり情報収集せえ」と天界から啓示を受けましたので、
独立してスレを立てます。

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/25(火) 04:40
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/makuya.html
正式団体名 宗教法人 原始福音・キリストの幕屋
立教 1848(昭和23)年
創始者 手島郁郎(てしま・いくろう、1910-1973) 現指導者 手島千代子(てしま・ちよこ)
聖典・教典 旧約聖書 新約聖書 生命の光(きりすと聖書塾発行の機関紙)
本拠地(聖地)
〒158-0087 東京都世田谷区玉堤1-20-1 きりすと聖書塾
崇拝対象 唯一絶対神(ユダヤ教・キリスト教)およびイエス・キリスト
信徒数概算 不明
  教団の沿革
 創始者・手島郁郎(1910〜1973)が1948年に聖霊を受け、それまでの無教会主義的活動を改めて、
神の幕屋の運動を開始した。情熱的信仰に基づく布教と、「聖霊の御業」の出現が説かれ、集会を
「幕屋の集会」(エクレシア)と呼ぶ。手島郁郎の死去後、手島千代子に継承されている。1961年に
宗教法人。(『新宗教教団・人物事典』弘文堂より)

  教団の特色
 教団名も変わっているが、信仰の内容もかなり変わっている。教団名に「キリスト」の文字が入って
いながら、本人たちはキリスト教の一派ではないと明言している。キリスト教を信奉していながら、
本人たちがいわゆるキリスト教ではない(カトリック・プロテスタントやどの異端宗派とも違う)と明言
している以上、異端のキリスト教ともいえない。たしかに教団名はキリスト「教」ではない。
キリストの「幕屋」なのである。分類が難しい新興教団である。
 また、既成のキリスト教派と違ってユダヤ民族の信仰であるユダヤ教にも重きをおいているところが
一風変わっている。手島氏は生前にはイスラエルのユダヤ教関係者とも親交を持ち、信徒とともに
聖地巡礼(ユダヤ教・キリスト教聖地としてのエルサレムへの訪問)を行っている。幕屋ではキリスト教
の原点となるユダヤ民族の歴史やイスラエルの国家とその文化についても深い興味をもっており、
聖地巡礼、聖地留学を大事な信仰活動の一部と捉えている。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/25(火) 04:40
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/makuya.html
 一方で、幕屋ではさらに日本人の在り方、国の在り方、信仰による日本民族の発展・救済といった
民族主義的な教えも付加される(なんで?)。ただし排他的な民族主義ではなくすべての民族、すべての
宗派も尊重する。キリスト教・ユダヤ教の原点である「汝、隣人を愛せよ」を地でいく宗教であり、
キリスト教でありながら日本人の日本人による日本人のための宗教でもある。しかし聖書と民族主義の
つながりはどこからきているのかはまだまだ調査不足のためよくわからない。
 手島氏は無教会主義の先駆者である内村鑑三の下で修行したというから、この考えは内村鑑三の
考えからきているのかもしれないが内村鑑三についてはよく知らないので、私としては要勉強といった
ところである。内村鑑三は文明開化の時代の人であり、民族主義とキリスト教の結びつきは当時の
時代背景(富国強兵政策)に関係しているかもしれない。
 異端キリスト宗派では統一教会(正式名称:世界基督教統一神霊協会)も旧約聖書に重きをおき、
その独自解釈(原理講論)がその教義となっている。こういったキリスト教派は幕屋も含めて少数派で
あると思う。ただ統一教会と幕屋の大きな違いは、ひとつに創始者の立場にある。文鮮明は自らを
キリストの再臨であり救世主であると位置付けているが、手島郁郎はあくまで自分はキリストの使徒
であるとの立場をとる。そして、キリストの使徒として原始福音(聖書、とくにその原典を重視し、旧約、
新約どちらも対象)の伝道に力を注いだ。ユダヤ教の教えもカバーするのは、キリスト教の原点を知る
にはその背景であるイスラエルの歴史や文化も知る必要があるとの考えからである。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/25(火) 04:41
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/makuya.html
  教団の発祥
 前項で述べたとおり、日本発祥で原始キリスト教を標榜し、それでいてユダヤ教の教えも説くかなり
独自色の濃い新興教団である。その発祥は、手島郁郎が戦後の混乱期(昭和23年)に山にこもり、
そのとき聖霊が降臨して「神に目覚めた」ことに始まる。神が降臨したのではなく、神の手下である
天使が降臨し、神の存在を実感し、そして自らが神の教えの伝道者となったのである。終戦間際から
戦後の混乱期においては自ら神になった新興教祖が数多く誕生したが、神ありきの宗教においては
こうした悟り方は珍しい。創始者が伝道者の立場をとるのはこれまでもっぱら仏教系の宗派だけであった。
 手島はそれまで無教会主義といわれるキリスト信仰をしていたが、これを機にさらに発展、原始福音
伝道として「幕屋」を立ち上げるにいたった。原始福音では聖書の原典(訳語ではなく原書)を読んで
キリストが生きていた時代の教えを研究することが重視され、集会が催される。もちろん教会はもたない。
信仰を貫けば「聖霊の御業」により神の思し召しが現れ、奇蹟が起こるという。
 なお、教会をもたないとする点は、同じく聖書至上主義をとるエホバの証人(ものみの塔。日本では
灯台社がその前身)と似ている。
 ちなみに「幕屋」とは「移動式天幕(テント)」を意味するヘブライ語“オヘル”の和訳語である。
幕屋は旧約聖書の出エジプト記においてその言葉が登場する。
 出エジプト記には、バビロニアに征服されエジプトに連れてこられたユダヤの民が、預言者モーセを
先頭にエジプトからの脱出を図り、約束の地・シナイ山(イスラエル南部)を目指すという物語(史実?)が
書かれている。物語のクライマックスでは、シナイ山の手前まで到達したが海に阻まれ逃げ場を失ない、
あわやバビロニア兵に追いつかれるか、という緊迫の状況が展開する。しかし、土壇場になって突然
空から神の声が聞こえ、目の前の海が真っ二つに割れて道ができるのである。そしてユダヤの民が
全員渡り終えたところで再び海が閉じ、追っ手はほとんどが海に飲まれて一網打尽、ひとまずハッピー
エンド、という有名なお話である。シナイ山に到達したモーセは、神から10個の石碑を渡される。
この10個の石碑にはそれぞれに神から人間への戒めがかかれていた(モーセの十戒)。これをもって、
人間が十戒を守る限りにおいて神はユダヤの民を永遠に守護する、という神と人間との契約が成立
したのである。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/25(火) 04:41
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/makuya.html
 また、神はこのときモーセに神と人間の接点となる場所を作るよう命じた。今でいう教会の発祥であろう。
そこには例の石碑などが奉られた。そしてそれは立派な建物ではなく、いわゆるテント(幕屋)であった。
幕屋は神が降臨する、地上でもっとも聖なる場所だったのである。テントだったのはユダヤの民が
出エジプト後も国を持てず放浪の生活を送ったからであろう。ユダヤ教からキリスト教へ分派発展して
からも、幕屋は教会へと形を変えつつ、こういった神との接点を通じた礼拝活動は引き継がれた。


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