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「日本青年社」ウォッチスレッド

135・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/11/14(日) 01:53
http://www.infovlad.net/underground/asia/nkorea/html/generic/shintonga_oct200101.html
 K会長は、金正男と一夜を明かした韓国女性、李ウンギョン(仮名)とも深い関係だったことが伝えられている。このとき、K会長は箱根温泉の付近にある、個人賃貸アパートの一部を李さんに贈与することを約束したという。
 K会長が経営した丸金ホテルは、萬景峰号に乗って日本の新潟港に入国した、北朝鮮高位層二世たちが集結する拠点だった。彼らはいったん新潟港におりると、新潟第一ホテルで簡単な教育を受ける。そのつぎに東京近郊の丸金ホテルに来て泊まり、日本のあちこちに散在するものだ。
 実際に1998年9月中旬、北送在日同胞(朝総聯幹部および組織員)と、日本に縁故や家族関係がある北朝鮮最高位層二世(知り合い訪問の条件である三ヶ月滞留ビザだったが、彼らの実際目的は外貨稼ぎだ。北朝鮮では最高位層の家族でなければ海外旅行は不可能)グループ300余名が、朝10時に新潟第一ホテルで教育を受けたのち、各地域に散在した。
 このとき、K会長の孫、金グクソン(仮名)を含む、崔ヨンリョル(27才前後。平壌市に居住。労働党幹部の子弟という)、イム・ギボク(27才前後。平壌市に居住。北朝鮮軍部大佐級子弟という)、チョ・チョル(30才前後。平壌市に居住。父親は労働党高位幹部、父親の長兄が北朝鮮軍部実勢という)などは、一行20余名とともに新幹線で東京に到着し、丸金ホテルに宿泊した。その後、友人関係である金グクソンとイム・ギボクは丸金ホテルに残り、チョ・チョルたちは他に移動した。金グクソンとイム・ギボクはその後、ホテルの従業員宿舎で生活した。
 朝総聯とやくざ
 こうして入国した300余名は、日本出国の一日前である1999年1月10日頃、新潟港に再び集まった。彼らはまた、総聯僑胞と最高位層二世グループに分れて教育を受ける。K会長の孫、金グクソンを含む一部は第一ホテルに、一部は他のホテルに分散して集合した。一定時間の教育が終わったのち、団体で乗船し、北朝鮮の元山港に戻っていった。ホテルと集合場所では、個人行動は絶対に許されなかった。


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