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「日本青年社」ウォッチスレッド

132・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/11/14(日) 01:52
http://www.infovlad.net/underground/asia/nkorea/html/generic/shintonga_oct200101.html
 酒に弱いA氏は10〜11時の間に宿舎へ降りてきた。翌朝、彼は李ウンギョンに会い、その後の状況を質問した。李ウンギョンは「明け方2時を過ぎても飲んでいた。その日本お嬢さんらは老人たちと寝た」と話した。李ウンギョンは笑いながら「私はその若い友人と、行くところまで行った」と言いながら、金正男の身体の特性を説明した(詳細な内容は、この記事の後の李ウンギョンへのインタビューを参照)。推測が至ったA氏は、それ以上はしつこく尋ねなかった。
 ここまでの内容は、日本の東京近郊、大和市の丸金ビジネスホテルで朝総聯とやくざ組織の下部仕事をして、1997年5月と1998年12月、金正男と二回会ったA氏の証言を土台として、当時の状況を再構成したものである。彼は当時の状況をノートにぎっしりと記録していたので、自然に細かい部分までを記憶していた。
 さる5月、日本捜査当局は金正男が「パン・シオン」という中国人名で2000年10月と12月、二度日本に密入国したと発表した。A氏の証言どおりならば、金正男はそれ以前にも日本を自分の家のように出入りしていたことがわかる。
 だが、問題は金正男でなく、朝総聯とやくざの黒いコネクションと彼らが行う犯罪、またこのようにして生じる収益が北朝鮮に送金される構造だ。金正男はむしろこの連結構造に、ちょっとだけ登場した人物でもある。
 日本を行き来する金正男
 この丸金ホテルのK会長は、金正男と朝総聯、やくざの黒いコネクションを理解するのに核心的な人物だ。朝総聯の所属である彼は、やくざと直接の関係を結んだ組織員でもある。
 彼は1924年、済州城山浦で出生し、1999年10月に死亡した。詳細な学歴はわからないが、解放前後に日本へ密航し、炭鉱と鉄工所で仕事をしたことが伝えられた。1960年代後半、東京の中野駅近くに焼き肉店である「アリラン」を開業し、財を築きはじめた。開業3年にして5階建ての建物を所有するようになった彼は、1970年代後半に横浜近郊の川崎市四谷附近に、400坪あまりの規模の焼き肉店「鴨緑江」を開業した。現在はK会長の本妻である李某氏が「鴨緑江」と、この食堂が入っている7階建ての建物を所有している。K会長はまた1990年ごろ、問題の丸金ビジネスホテルを開業した。
 K会長はこのホテルに生活しながら、1階にあるパチンコと2階の焼肉店、居酒屋とホテルを直接運営した。彼は1990年代中盤からは川崎市の焼肉店「鴨緑江」附近に、個人用賃貸アパート5〜6棟を所有しながら、建築および不動産賃貸業に事業をよりいっそう拡張した。


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