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刑法学にわか勉強スレッド

33・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/05/15(日) 18:52:32
けれども前田説信徒といたしましては前田説を信奉すればするほど、前田説の限界というか、その無頓着さというか、良いどこ取りの精神というか、無節操さというか、そうしたものをヒシヒシと感じてくるものなのですよ。昨今の刑法学で提示される論文や、そこまでいかなくてもロースクールの勃興によって本屋に沢山並んだ屋上屋を架す無駄としか思えない刑法の書物を見ても、前田説というのはほとんど紹介されていないか、たとえ紹介されていたとしても「おめー、こんなの刑法理論とかっていえると思ってるの?」くらいの批判しかされていないのが客観的な現状です。これが誤解に基づくものなら「おめー、前田説の真髄が分かってねーなー」とかって反論もできようものなのですが、前田説に対する批判のほとんどは正当そのものなので、悲しいかな信徒といたしましては「へへー、すみませんね」とへらへら笑うしかない現状です。
http://blog.goo.ne.jp/k-doctor/e/c53d055546152ea8a254d7b226c0428c

前田先生はおっしゃいます。故意責任の本質は「国民の規範意識」にあるんだと。そして故意責任が成立するためには、「当該構成要件の違法性の意識を喚起できる程度の事実の認識」があれば良いとおっしゃられました。これには私も驚きました。何しろ、事実の錯誤の論証というのは、形式的故意論では非常に面倒なのです。前田先生の議論なら、二行で済んでしまいます。これに乗らない手は無いでしょう。

これに対しては、学者の方々から「お前、違法性の意識と故意責任との区別ができていないんじゃないか、ばーかばーか」といった突込みが多数巻き起こり、最近の研究書では一向に前田先生の実質的故意論が取り上げることはなくなったのですが、それでも前田先生、くじけることなく今でも同様の説を採られます。これも前田先生の人徳のいたるところでしょう。前田説信者としましては、涙なくしていられません。
http://blog.goo.ne.jp/k-doctor/e/0d95159765950310c62015a0184a1c03


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