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刑法学にわか勉強スレッド

1カマヤン (;´Д`):2003/06/25(水) 06:58
刑法の特別法との腐れ縁が、もう5年以上になるので、そろそろ刑法学をちゃんと
お勉強してみることにしました。
カマヤンは初学者なので色々思い違いとかあると思うで、その辺容認下さい。
なんか間違いがあったら、親切な人は指摘して教えて下さい。

26・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:08:52
  リスト(1851〜1919年)の刑法理論
 リストは、フェリーの理論に明確にされた新派刑法学を解釈理論として精緻なものにした。
 リストの刑罰論は明確な目的刑論であり、しかも特別予防を主眼とする。
①社会的原因には刑罰より社会政策が必要であり、「社会政策は最良の刑事政策」である。
②個人的原因には刑罰が必要であるが、犯罪者の態様に応じて刑罰は使い分けられなければならない。
 その場の状況により偶然に犯罪を犯す機会犯人に対しては威嚇刑を、改善可能な状態犯人に
対しては改善刑を、改善不能な状態犯人に対しては隔離刑を適用すべきだとする。
 そして、犯罪者の中心は、改善可能な状態犯人であり、刑罰の中心は改善刑だとする。
 人格内部の深みには及ばず市民的・社会的改善で足りるとされるものの、改善が為されるまで
刑罰を科すことになり不定期刑と結びつくので、この範囲では罪刑法定主義と矛盾する。
 新派刑法理論では行為者の危険性に対して刑罰を科すことになり、行為者の性格・内面が問題と
なるが、リストの犯罪論は客観主義を特色とし、犯罪が実行される前に行為者の危険性を判断する
のは不可能でり、犯罪者の危険性が犯罪行為という法が明確に規定した徴表として現れた場合に
限り刑を科すべきだする(犯罪徴表説)。
 そして「刑法は犯罪者のマグナ・カルタである」とした。
 リストの犯罪論は、罪刑法定主義を重視し客観的な法益侵害を待って処罰するという点では、
フォイエルバッハの個人主義・自由主義犯罪理論と近似する。
 結局、新派刑法学の代表者とされるリストの刑法理論は、二元性を有している。つまり、刑罰論
(刑事政策)においては行為者主義・主観主義、犯罪論(刑法)においては行為主義・客観主義が
採用されている。
 重要なことは、刑法理論全体として自由主義的であることである。

27・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:09:09
  (3)20世紀初頭の学派の対立(現代刑法理論の出発点)

  旧派理論の発展
 フォイエルバッハに代表される個人主義的で自由主義的な「前期旧派」の近代刑法理論は、
ヘーゲル学派により大きく変質したが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、当時台頭してきた
新派刑法理論に対抗し、さらに大きく変貌した。
 ビンディング、ベーリング、ビルクマイヤー等「後期旧派」が登場した。
 後期旧派の特色は、三つに整理できる。
①理論的にはヘーゲル学派の影響が強く応報刑を強調し、新派の目的刑論を激しく攻撃する。
②犯罪理論の基本に「道義的責任」を据える。その意味で法と倫理の接近を許容した。
「道義的責任を問い得ない者は処分し得ない」として、社会防衛処分、性格責任論の考え方を批判した。
③学説により差があるが、新派刑法学に比較して罪刑法定主義を重視して、形式的・客観主義的
刑法理論を採用する。
 そして、①・②を中心とした新派刑法学との対立が、そのまま戦前の我が国の刑法学会に持ち込まれた。

  ビンディング(1841〜1920年)の規範論
 ビンディングは、その理論が①・②の特色を最もよく備えており、「旧派の完成者」と称される。
 犯罪を規範の侵害と理解する。そして、規範を「国民に服従を要求する国家の権利」と規定する(規範論)。
 「規範」は不文であり、法規はそれを知るひとつの手段でしかない。
 書かれた条文は必ずしも絶対ではないことになり、罪刑法定主義はあまり重視されていない。

28・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:09:23
  ベーリング(1866〜1932)の構成要件論
 ベーリングはより自由主義的色彩が持つ。現在の刑法理論、特に犯罪論の基本を完成させた。
 その刑法理論の特色は「構成要件論」に存する。刑罰法規の示す「犯罪類型」「定型」が犯罪論
にとって 決定的であるとして、それを「構成要件」と呼んだ。犯罪が成立するには、まず刑罰法規
つまりは構成要件に該当しなければならないとした。
 刑法理論の基礎に罪刑法定主義が据えられていたのである。
 刑罰法規が重視されていることになり、法実証主義的態度を見て取れる。
 ベーリングは、構成要件論を土台に、犯罪を、①構成要件に該当し②違法で③有責な行為とする
三分説を確立した。
 つまり、犯罪は、条文に示された枠にあてはまり、客観的に「悪い」行為で、主観的にも責任の
ある行為でなければならないとした。

29・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:09:40
  Ⅱ 日本の刑法学の基礎
  1 日本における学派の対立
  (1)新派刑法学
 かかる状況にあったドイツ刑法学を基盤として、我が国の刑法学は、新派理論と旧派理論の対立を
軸として発展してきた。

  新派の代表者
 新派刑法理論は、勝本勘三郎等が日本に紹介した。
 現行刑法は、ドイツで新派刑法学を学び帰国した刑法学者を中心に法典化されたので、施行後の
解釈論において新派刑法学者は強い影響力を行使した。
 その中でも、牧野英一(1878〜1970年)は、明治末期から第二次大戦後までの長きにわたり、
圧倒的な影響力を行使してきた。

  教育刑論
 牧野は渡欧してフェリーやリストに学び、新派刑法学の目的刑論を日本に導入した。
 進化論的な発想を基礎に、社会と個人との調和を究極の目標とする社会の進化の流れを考察する
ならば、刑罰理論は応報刑論から自覚的意識的な目的刑論に進化するべきものであるとし、さらに
目的刑論は特別予防論(特に犯罪者を再社会化の為に教育するという教育刑論)に発展していくもの
であって、それによって社会における生存競争の病弊としての犯罪から国家・社会を防衛し得ると主張した。

30・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:09:56
  主観的犯罪論
 社会進化論を犯罪論にも適用し、犯罪事実を重視する客観主義的犯罪論から犯人の悪性
(社会的危険性)を中心に考察する主観主義的犯罪論への発展の必然性を説いた。
 客観的な行為を問題にする旧派に対して、行為者の危険な性格を重視する新派理論では、
行為者の主観を重視することが自然となっている。
 この主観的犯罪論に導かれた、犯罪意思が外部的に明らかになりさえすれば足りるとする広い
未遂処罰や唆す行為があれば唆された者が何もしなくても共犯者を処罰し得るという共犯独立性説が、
我が国の新派刑法学を特色づけている。

  罪刑法定主義の軽視
 牧野は概念法学を排し自由法運動を持ち込んだ。
 その結果、柔軟な合目的的解釈が可能となったが、罪刑法定主義を軽視しているとの批判を受けた。
 牧野は、19世紀的な法治主義国家においては、国家権力を制限するものとしての罪刑法定主義も
必要であるが、文化国家となった現在は個人と国家は調和すると主張した。
 これは昭和10年代には国家主義的・権威主義的刑法理論としての色彩を持った。

  日本における新派刑法学の発展
 新派刑法学は、正木亮(1892〜1971年)や木村亀二(1897〜1972年)によって受け継がれる。
 正木は行刑実務において教育刑論を定着させ、行刑の人道化に貢献した。また、死刑廃止論を主張した。
 犯罪論の領域では、新派の特色である主観的犯罪論は次第にその支持を失っていった。

31・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:10:13
  (2)旧派刑法学
  旧派の登場
 大場茂馬(1869〜1920年)は、明治末から大正にかけて牧野の新派刑法学に対抗して当時の
ドイツの旧派刑法学を学んで輸入した。
 大場の主張は、道徳観念を基礎に据えた応報刑論と徹底した客観的犯罪論であった。
 そして、小野清一郎(1897〜1986年)が、この旧派理論を日本の土壌で独自に体系化した。

  道義的応報刑論
 小野清一郎は、牧野の目的刑論・社会防衛論を批判し、基本的に応報刑論を採用した。
 小野は、ベーリング以降の構成要件論を吸収し、それを中心に客観的犯罪論を展開した。そして、
客観的構成要件に当てはまる行為の一部が開始されなければ未遂犯として処罰すべきではないとして、
唆された者が犯罪行為の一部を開始しなければ共犯者も処罰し得ないという共犯従属性説を採用した。
 しかし、小野刑法理論の最大の特色は法をその本質において「道義」そのものとして捉えるところにある。
 その結果、違法性の本質は国家法秩序の精神に違反することであり、責任の領域でも道義的非難が
強調された。
 昭和10年代には「君臣一体の国体が最高の道義である」とされ、国家主義的・権威主義的刑法理論
となった。

  滝川幸辰の刑法理論
 滝川幸辰(1891〜1962年)も旧派理論を採用し、応報刑論、客観的犯罪論を展開した。
 滝川は、応報の道義的側面を強調せず、罪刑の均衡という意味での応報を重視した。
 そして、現在の社会体制を前提とする限り国家の刑罰権の制限のために罪刑法定主義は必須と説き、
牧野刑法学を批判した。
 全体としては、形式的で主観的要素を含まない構成要件や客観的違法論の徹底等、自由主義的な
犯罪論の典型例を示した。

32・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/27(木) 19:10:36
  2 戦後の刑法学の対立状況
  新派と旧派の止揚
 戦後の刑法理論は、戦前の国家主義的・権威主義的刑法理論への反省から出発した。
 その結果、罪刑法定主義の重視と、国家的道義などの規範的要素や恣意性を持ち込み易い
主観的要件を極力排除した形式的・客観的犯罪論が主流を占め、旧派が圧倒的に優勢となった。
 新派の木村亀二は目的的行為論を採用しね牧野の主観的犯罪論とは異なる発展を見せた。
 刑罰論の領域などに無視し得ない新派の理論的蓄積もあった。
 団藤重光は、人格形成責任論等により両派の発展的統合を試みた。
 ただ、団藤の犯罪論は、構成要件概念を中心に形式性が強く、形式的犯罪論そのものである。

  刑法改正をめぐる対立
 戦後の刑法学は、応報刑論と客観的犯罪論を基礎とする旧派が圧倒的であるが、その内部にも
対立はあり、昭和40年代を中心とした刑法改正をめぐる議論で顕在化した。
 そこでは、基本的に刑法を道義秩序を維持するものと捉えるのか、国民の具体的な利益を侵害
する行為を処罰するだけにとどめるべきかが争われた。
 これは、旧派のなかで、小野理論に近い立場を採るか滝川理論を支持するかに近い。
 「行為無価値」対「結果無価値」の対立として説明されることもある。
 ただ、犯罪論は複雑であり、学説の対立をステレオタイプで説明するのは、危険で無意味である。

33・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/05/15(日) 18:52:32
けれども前田説信徒といたしましては前田説を信奉すればするほど、前田説の限界というか、その無頓着さというか、良いどこ取りの精神というか、無節操さというか、そうしたものをヒシヒシと感じてくるものなのですよ。昨今の刑法学で提示される論文や、そこまでいかなくてもロースクールの勃興によって本屋に沢山並んだ屋上屋を架す無駄としか思えない刑法の書物を見ても、前田説というのはほとんど紹介されていないか、たとえ紹介されていたとしても「おめー、こんなの刑法理論とかっていえると思ってるの?」くらいの批判しかされていないのが客観的な現状です。これが誤解に基づくものなら「おめー、前田説の真髄が分かってねーなー」とかって反論もできようものなのですが、前田説に対する批判のほとんどは正当そのものなので、悲しいかな信徒といたしましては「へへー、すみませんね」とへらへら笑うしかない現状です。
http://blog.goo.ne.jp/k-doctor/e/c53d055546152ea8a254d7b226c0428c

前田先生はおっしゃいます。故意責任の本質は「国民の規範意識」にあるんだと。そして故意責任が成立するためには、「当該構成要件の違法性の意識を喚起できる程度の事実の認識」があれば良いとおっしゃられました。これには私も驚きました。何しろ、事実の錯誤の論証というのは、形式的故意論では非常に面倒なのです。前田先生の議論なら、二行で済んでしまいます。これに乗らない手は無いでしょう。

これに対しては、学者の方々から「お前、違法性の意識と故意責任との区別ができていないんじゃないか、ばーかばーか」といった突込みが多数巻き起こり、最近の研究書では一向に前田先生の実質的故意論が取り上げることはなくなったのですが、それでも前田先生、くじけることなく今でも同様の説を採られます。これも前田先生の人徳のいたるところでしょう。前田説信者としましては、涙なくしていられません。
http://blog.goo.ne.jp/k-doctor/e/0d95159765950310c62015a0184a1c03


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