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性愛論・猥褻論 メモ

20近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/04(金) 02:51

「政教分離」は、15〜16世紀戦乱期の欧州で生まれた。
この時代は同時に、「大航海時代」だ。
中国起源の火薬による軍事技術の発展、大型船の発達による交通技術の
発展、印刷機による通信技術の発展。
これらは社会変化をもたらした。

たとえば「城塞都市」は、大砲の出現により、意味を失った。
農村では、鉄砲の出現により、騎士が農民に敗北するようになった。
これにより身分制の変化が起きた。

大型船の発達、交通技術の発展は、輸入品を導入させた。
貿易商人の勢力が、騎士に優越するようになった。
経済産業構造の変化だ。

これによって、絶対的だった「身分」が崩壊し、「人間」という考えが発生する。
「平等」という発想が生まれる。
この変化は現在も進行中だ。
たとえばフェミニズムはその一つだ。
「力仕事」で物事が決まる社会から、「事務仕事」で物事が決まる社会に
変化したことによって、男性と女性の能力差がなくなったことによる。

21近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/04(金) 02:51

「自由」と「平等」は両立するか?

我々は社会が自由でも平等でもないことを知っているが、それでも
タテマエである「自由」「平等」を放棄したら、「神様」が登場してしまう。

「神様が決めた」は、近代思想では言ってしまったら、ルール違反だ。
治まりがつかなくなり、内乱になるからだ。

「神様」を持ち出すわけにいかないから、「人間」が統治することになる。

「権力」「いかに統治するか」は、近代の要点だ。

人間を人間が統治するため、法律や権力が必要となる。

(中世の法は、「神様がしてはいけないと決めた」ことを破った者へ「天罰」を
与える、と考えた)

人間が法律や権力を用いるのだから、それは常に不完全であり、
権力は濫用される。
いかに権力の濫用を防ぐか、これも近代の要点だ。

神様に責任を預けず、世の中の仕組を人間がいちいち自覚し続けるのが、
近代と言う社会だ。これはしんどい社会だ。

22近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/04(金) 02:51

「自由主義」と「民主主義」は近代の2大原則だが、この2つは、
あまり仲がよくない。

「自由主義」は、権力からの自由が原点だ。権力は最小限であることが
望ましい、と、考える。

「民主主義」は、権力をみなで操作する、という考えだ。「よい権力」
「みんなの権力」なら大きくていい、と、考えがちだ。たとえば「みんなの権力」
によって福祉を充実させよう、と考える。

自由主義は、17〜18世紀頃、生まれた。
比較的金がある商人たち、国から介入されず儲けたい、という人たちが
支持した。初期自由主義思想は、貧乏人のことをあまり考えていない。

社会主義は、一種の民主主義だ。

自由主義と民主主義との間には、矛盾がある。

「代議制民主主義」は「民主主義」か?
古代ギリシャやルソーは、「代議制民主主義」は民主主義ではなく、
「選挙による貴族制」だ、と、考える。

23近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/04(金) 02:52

なぜ人を殺してはいけないのか、など「やってはいけないこと」は、
どうやって決めるのか?

A;モラルの根拠を宗教に求めてはいけない。治まりがつかなくなるから。

B;他人の自由を傷つけてはいけない。
  …ここで問題になるのは、「自由」とは、どこまでの範囲を言うか?
  「差別する自由」はあるか?
 (アメリカの酒場で、「黒人はお断りだ」と店主が言ったことが、裁判になった。
酒場は店主のものだから、店主には差別する自由はあるか?
酒場は公共的性格があるから、酒場で店主が差別する自由はない、
差別する自由を行使したければ酒場でではなく自宅でしろ、という判決になった)

C;「みんなでルールを決める」
  …「みんな」とは誰か? 
  たとえば外国人に地方参政権を認めるか?
  人口の10%を占める外国人に参政権を与えないと、治安問題になる。
治安を平穏化させるためには参政権を与えることが望ましい。

「保守主義」は、基本的に、ルール違反だ。
民族の伝統を守る、と保守主義が主張するとき、誰が「伝統」を決めるのか?
「保守主義」は、安直すぎる考えだ。録な思想がない。思考停止の思想だ。
「昔からそうなっている」ですめば、誰も苦労しない。

「近代思想」の問うものは、「人間がつくる理想の政治形態は、どのようなものか?」だ。

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/10/04(金) 12:06
>>23
Cの例、むしろ10%もいる外国人に参政権を与えたら治安問題になる、という反論も
予想されますので他の例にしたほうがいいかと。

25・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/10/05(土) 16:56
なぜ参政権を与えたら治安問題になる?例えば女性にも参政権が与えられたとき
治安問題が生じただろうか?
それとも反対派は、言いたいことがあったら武力革命を起こせ、とでも
主張するのだろうか。

26・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/10/08(火) 18:30
>>25
これはあくまで反対派の意見で、私の意見でないことを断っておきます。

外国人に参政権を与えたら、日本の国益に反し、外国の国益に合致するような
政策を主張する政治家が選挙で当選したり、そういう政策に基づく法律が国会
を通ることにもなりかねない。

ということです。
ただ、そのような人は、国籍さえ取れば日本人と同等の権利を得ることができ
るのだから国籍を取れ、と言っています。
国籍をとっても頭の中が変わるわけではないのだから矛盾していると私は思い
ますが。

27・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/10/14(月) 08:24
法律は国会の過半数を取らないと通らないわけだから、理論上外国人が人口の
過半数を超えない限り、そう言うことは起こりえないはず。でもその前提は
ほとんど妄想の域だよね。
あり得るとすれば、人口比に国会の議員の比率が一致しない状況だ。あ、今の
政治状況がそうか(w

28・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/10/15(火) 11:57
まぁ、人口の少ない自治体なら割と簡単にのっとれるかもね・・・
それの是非はおいといて。

29近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:50
近代思想論 受講ノート 古代ギリシャ

1;古代ギリシャ思想の現代的意味

古代ギリシャ思想は、現代政治思想用語の原点だ。
「民主主義」「市民」などは、古代ギリシャ思想がルーツになっている。

古代ギリシャ思想は、政治思想の元祖として、しばしば言及される。
17世紀18世紀の思想家は、古代ギリシャを、近代思想の理想郷として常に引き合いに出した。

「民主主義」は、デモス・クラトス、民衆の力、という意味だ。
古代ギリシャ社会は、「民主主義」「市民」の元祖とされる。

古代ギリシャが理想としていた「ポリス」は、近代以降の「国家」とは、だいぶ違う。
古代ギリシャを知ることは、現在の民主主義が何をベースにしているのかを考えるきっかけとなる。

30近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:51
2;「ポリス」の民主主義

・「ポリス(都市国家)」とは?
アテナイ、スパルタなどが知られる。「ポリス(都市国家)」は、数え方によって約1000ほど存在した。
人口は数千から数万が多い。
領土は見渡せる程度、人口は全員顔見知りになれる程度が理想だとアリストテレスは考えた。
「ポリス」は、国家というより、町や村に近い。

・アテナイの「民会」「民主主義」
「ポリス」の最終決定機関は、「民会」だ。「民会」には成年男子市民全員が出席する。

「民会」で審議されない日頃の事柄は、500人程度で形成される「評議会」で評議される。
裁判は、6000人の「市民」の参加する、「民衆法廷」で行なわれる。「民衆法廷」は、神殿で行なわれる。

「民会」には、「兵役」をすませた者が、参加する。このギリシャの軍隊は、近代軍隊とはだいぶ違う。
ギリシャの軍隊では、武器は各自が先祖伝来のものを持参する。
現在の軍隊では、武器を自宅へ持ち帰ったらダメだ。
ギリシャの軍隊は、市民の自発参加により構成される。西部劇の自衛団にむしろ近い。
アテネの指揮官は、選挙で選ばれた。
ギリシャの軍隊に似たものとして、戊辰戦争の武士たちの例がある。
戊辰戦争の武士たちは、先祖伝来の武器を担いで持参してきた。
また、西南戦争の薩摩は、一部、指揮官を選挙で選んだ例がある。

「民会」は、イメージとしては、鎮守の森(神殿)で行なわれる「村祭り」「寄り合い」に近い。
「6000人による民衆法廷」は、イメージとしては、「リンチ」に近い。
「500人による評議会」は、イメージとしては、「村年寄」に近い。 と、思われる。

31近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:52
2−A;「民会」

神殿の前で討論するのは、合理目的にたどりつくためではなく、「みんなで盛り上がるために」
討論する、ということが、たぶんキモだろうと思われる。
決定後、「そんな話は聞いていなかった」という人が出てもめてしまわないため、
全員が言いたいことを言って、盛り上がる、ということが重要なのだ。

これにより、社会成員に、「一体感」が作られる。
神殿の前で討論し結論を誓約することで、神との約束となる。シャーマンが参加し、神が
承認したことを告げる。

「一緒になって盛り上がる」ということは、重要だ。
人間にとって政治とは何か? という問題だ。合理的手続きを採ればいい、という
ものではない。

33近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:56
2−B;スイスの直接民主主義の例

スイスは、非常に田舎な国家だ。ECへの統合を拒んでいる。
スイスには、「民会」がある。直接民主主義の制度だ。

「民会」には、成人男子が5000人から6000人ほど集る。
72−73年頃は、「民会」へは、全員サーベルを持って出席することになっていた。
議決のときには、鞘ごとサーベルでガッチャンガッチャンと地面を突ついて承認を示す。

女は、「民会」の周りを取り巻いて見ている。国政選挙への女性の参政権は、
71年に認めた。地方参政権はいまだに認めていない。

「民会」は、スイス人にとり、数ヶ月に一度のお祭り、重要な娯楽だ。数ヶ月ぶりに
遠い町の親戚や友人たちと会う、というお祭りだ。お祭りである「民会」の始まる
前から村中はその話題にもちきりとなり、「民会」当日には家族総出でお弁当
持って出かける。広場は教会の前にある。出店が開かれ、「民会」が終わった後は
ダンスパーティになる。

古代ギリシャでは、民主主義、民主制は、全員参加が原則だ。
古代ギリシャの考えでは、代表制民主制は、貴族制の一形態だ。

直接民主制が必ずしも最高だとは言えない。1950年代アメリカの陪審員では
黒人の犯罪はみな死刑にしていた。
1950年代アメリカのリンチも、出店が出て、お祭りとしての様相を見せている。

34近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:59
2−C;「法」や「政治」の観念

古代ギリシャでは、「法」「慣習」「神の思し召し」「自然」は、みな、「当たり前」という意味で、
区別がなかった。

「慣習」は「昔からこういうもんだ」、成文法を持たない。英米法は判例の集りだ。先例主義。
「自然」とは自然『法』則、天体の運行も人間の行ないも同じ、みな神様が作った。
民主制が実際なされていたときは、民主制が「自然」だった。

これらが区別されるようになったのは、欧州の17−18世紀だ。

全員統治が「民主制」、代表者統治が「貴族制」「寡頭制」、一人が統治するときが「王制」「僭主制」
代表者統治が巧くいっているときが「貴族制」、悪いときが「寡頭制」、
一人による統治が巧くいっているときが「王制」、巧くいっていないときが「僭主制」。

「民主制」は一つの選択肢であり、最上という意識は薄い。
民主制が巧くいっていないときを「衆愚制」と呼ぶ。

35近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 01:59
2−D;「公」と「私」

古代ギリシャでは、女性・奴隷・子どもは、オイコス(私領域・家の中)・家庭に分類された。
家長が「市民」として、家を代表してポリス(公領域)で政治参加した。

古代ギリシャでは、女性、奴隷、子どもは、「市民」に含めない。
A;女性、奴隷、子どもは、兵士にならないから
B;女性、奴隷、子どもへは、自由意思を認めないから。

古代ギリシャ社会は、現代社会とは違う合理性を持つ。
古代ギリシャでは、「働く者には理性がない」「生産する者は身分が低い」が常識だった。
女や奴隷には理性はない、なぜならヤツラは働いているから。

労働から遠いほど、「偉い」とされた。生産者より統治者、統治者より哲学者。

家長は、奴隷農園を経営する統治者だ。
「観照」は「経営」よりもっと「偉い」とされる。「観照」している哲学者が最も偉い、とされる。

哲学者は、イメージとしては、出家した坊さんに近い。
俗世のしがらみから離れ、お布施で生活し、働かない。
哲学者は、政治と無縁ではなかった。当時は宗教と政治の区別がなかった。

2−E;現代に参考になるのか?

「理想の民主主義」「公共への参加意識が高い」という評価は、正当か?
現代社会とは、人数、規模、性格が違いすぎる。
近代社会で「民主主義」は可能なのか?

36近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 02:00
3;古代ギリシャ思想

ペロポネソス戦争で、アテネがスパルタに敗北した後、古代ギリシャ思想は生まれた。
古代ギリシャ思想は、ポリス民主制の低落期に出現した。「当たり前」を言語化しはじめた。

古代ギリシャ社会に疑問をつきつけた人たちは、「ソフィスト」だ。「ソフィスト」は
大部分が外国人、あるいは植民地出身者だ。アテネは、外国を支配してきた国だ。

「ソフィスト」たちは、ポリスの慣習を共有しない。アテネの民主制へ根本的疑問を
つきつけた。「当たり前」を疑った。

自然 physis と 人為 nomos (法、慣習)を区別した。
法や慣習は、「人為」であり、「人間が決めたこと」だと喝破した。
これが「政治思想」の原点だ。

プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と述べた。「所詮人間が決めたんだろ」という意味だ。
トラシュマコスは「正義とは強者の利益」だと述べた。「所詮アテナイが戦争に勝ったからだろ」と
いう意味だ。

「ソフィスト」は、外国生まれで録な仕事がなかったので、しかたなく、弁論術の
家庭教師をした。外国人は、ふつう、奴隷にしかなれなかった。詭弁が発達した。

「ソフィスト」のつきつけた疑問に、アテナイ生まれの人々が答えたのが、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスだ。
ソクラテスはアテネを守るため3回戦争に行ったのが自慢だった。プラトンはアテネの名家の出身だった。
彼らは、アテネの本流だ。彼らは、アテネの本来のあり方を考え、ポリスの論理を立て直し、
理想のポリス像を模索した。とくに、プラトンとアリストテレスは、その後の思想の基礎となる。

37近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 02:02
4;プラトンの思想

プラトンはアテナイ有数の名家の生まれだ。紀元前427年に生まれた。
政治家志望だったが、ソクラテスが死刑になり、プラトンは挫折した。
アテネの現状「法」や「慣習」に絶望し、理想の政治を模索して、教育と思索に期待をかけた。

プラトンは、「イデア」を唱えた。
イデアは、理想、理念を差す。
イデアという発想は、ピュタゴラス学派幾何学をモデルとする。
ピュタゴラス学派幾何学は「美そのものの追及」である、宗教行為だ。

「善い政治」は地上にはないが、天上にはあるかもしれない、この天上が「イデア」だ。

思想は不幸な時代の産物である。何を信じていいのか判らなくなった時代に生まれる。

プラトンは、法による支配より、「善のイデア」を体現した「哲人王」による支配を望んだ。
警戒するべきは、プラトンの言う「哲人王」とは、常時天上と交信するシャーマン、
超能力者のことだと思われる。

プラトンは「哲人王」の育て方を考えた。
まず体育、幾何学、音楽を学ばせるべきだと考えた。
音楽とは、宗教儀式を学ぶ、ということだ。幾何学と音楽は、天上界との交信方法を学ぶ、
ということだ。
その上で、事務、弁論術を学ぶべきだとプラトンは考えた。
弁論術とは、天上の言葉を地上の言葉へ翻訳する作業だ。
(続く)

38近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 02:03
5;アリストテレスの思想

アリストテレスはアテナイ市民ではない。植民地出身者だ。
アテナイの文化に同化し、アレキサンダー大王の家庭教師となった。
紀元前384年生まれ、プラトンより40歳年下だ。
アカデメイアの学生だった。プラトンと袂を分った現実的改良主義者だ。

アリストテレスは、「現実」「理想」の二元論を否定した。
「変化」「運動」という概念を導入した。
現実に不満を持つ者が、理想を考える。そこから、「現実を動かす」ことを考える。
「現実とは動くものだ」と考える。
「今、前向きに努力してます」という発想だ。

アリストテレスは、「form 形相」(理想) と 「matter 質料」(現実にある材料)という
ものを考えた。

現実の中には、**のエートス(理想)が内在している、と、考えた。
「種子は花になる運命を持っている」という発想だ。
アリストテレスの言葉に沿うと、「form 形相」(理想)は「matter 質料」(現実にある材料)を
超越していない。「matter 質料」(現実にある材料)に内在する、内なる「可能態」を
「現実態」に変える 「目的 telos」 を持つ。

アリストテレスは、「進歩的歴史主義」の元祖だ。
世の中は目的を持って改良されていくのだ、と考えた。近代的歴史観の基礎になる。

「進歩的歴史主義」の発想は、歴史上、あまり例は多くない。多いのは、「循環史観」や
「頽落史観」だ。
(続く)

39近代思想論メモ@鎌やん:2002/10/16(水) 02:04
「徳」とは、思慮に基づき、望ましい「中庸」を選択することだとアリストテレスは考えた。
プラトンみたいに極端じゃなくて。
勇敢という徳は、臆病と無謀の中間だ。
「徳」には、経験が必要だ、と、アリストテレスは考えた。若い人は極端に走りがちだ。
望ましい選択の習慣化をもたらすのがポリスの生活と活動だ、と、アリストテレスは
捉えた。倫理の習慣化が、ポリスの意義だ。
アリストテレスは、人間は「政治的動物 zoon politikon」だ、という言葉を使った。
ポリスなき者は人間ではない、と、アリストテレスは言った。ポリスを離れた人間は、
人間以下の動物みたいな連中か、人間以上の何かだ。

アリストテレスは、財産共有制に反対した。法の支配、混合国制を推奨した。
「自然界の秩序」を見れば人間の秩序が判ると考え、理想の体制を探るべく博物学を
研究した。
奴隷と女性は生得的地位だと考えた。奴隷は奴隷に生まれついている、という考えだ。

6;
プラトンは超越的理想主義で男女差別を乗り越えた。
アリストテレスは穏健的「現実」主義で、差別を温存した。

教科書 『政治思想史』有斐閣Sシリーズ
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40鎌やん:2002/10/16(水) 02:10
>>2-13 宮台真司先生による、社会学での、性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

>>18-23 別の先生による、近代思想論
>>19-39 近代思想論 古代ギリシャ

41近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:04
近代思想論2


ルネサンスは、社会の大変動期だった。不幸な時代だった。
ルネサンスは、中世欧州世界が崩壊した時期だ。農業を中心とした
封建共同体社会が崩れた時代だ。
封建共同体社会では、「物を作る」ことには高い評価が与えられていたが、
利潤への評価は低かった。
ルネサンス期は戦争が相次いだ。人口が流動化した。
商人資本が台頭した。フィレンツィエが勃興した。新しい人々の中から、
マキャベリの新しい思想が生まれた。
この時期、火薬が浸透した。火薬は、騎士と農民の区別を破壊した。
騎士も農民の鉄砲でたやすく死ぬからだ。城塞都市が無意味化した。

「ヒューマニズム」は、元々、「神も仏もあるものか」という意味の思想だ。
ルネサンスは乱世だった。神様(教会)を信じて修行しても鉄砲で撃たれたら
死ぬ。神様の言うことなど聞いていられるか。信じられるのは自分だけだ。
…という思想が、ヒューマニズム(人間中心主義)だ。

ルネサンスに、「政治」と、「倫理・宗教」が分離した。
政治家の人格がどうであろうと、政治の仕事をマトモにさえしていれば
それでいい、という考えが、近代の考えだ。
近代以前は、「身を修めて善い行いをしていたら、いいことがある」という
考え方だった。
ルネサンスに、「政治とは権力だ」と人は発見した。

42近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:04

近代以前の「政治」のあり方

2−1
近代以前は、「政治・倫理・宗教」が未分化だった。現在でもイランはそうだ。
中世欧州、儒教世界では、いずれも「政治・倫理・宗教」は未分化だった。

「政治・倫理・宗教」が未分化な世界では、「自然界」と「人間界」の区別がない。
近代以前には、世界には正しい「理」や「法」があると考えられていた。
人間界のことは全て哲学であり、人間界以外のこと天上界のことは神学だった。

「この世には正しい流れと運行がある。天上界・自然界・個人の動きは、
共通の法則で動いている」という考えが「占星術」だ。
アリストテレス説では「麦は実るようにできている」それと同じように、
この世の全てには、与えられた目的(teros)(天性)へ向かって進む
「正しい行ない」がある、と、考えられた。身分に適った行為が「徳」となる。
王は王らしく振舞うのが王の徳であり、農民は農民らしく振舞うのが農民の徳、
天の理だと考えた。
身分不相応な振舞いは、天の法則を乱す行為だと考えた。
「徳」は身分別に存在した。

43近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:05
2−2
政治家の役割は?
王はキチンと威張ることが「徳」とされた。王は品行方正で教会の教えを守る
ことを求められた。政治と倫理が分れていなかった。
王は近代的な意味で有能である必要はなかった。立振る舞いが優雅かどうかが
重要だった。
飢饉があると、王が正しい振舞いをしていないからだ、と、考えた。
中世の理性は、天の理を知る力を「理性」と呼んだ。
理性は一部の人間にしかない、という考え方もあった。「啓蒙」は「火をつけてやる」
という意味だ。孔子の言う「由らしむ可し、知らしむ可らず」は、ムリヤリ人民を
従わせることは可能だが、理解させるのはムリだ、という意味だ。

聖書は、「正しい行ない」の前例集・判例集だ。慣例・前例のないことをするとこの世が
無秩序になる、と考えた。
人間の集団、個々の共同体は、それぞれ前例集を持っている。それを統合したのが
神話だ。聖書はかなり広範な社会の前例集、巨大神話だ。

44近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:05
2−3
聖書を解釈するのが、聖職者だ。聖職者は、判例を判断する裁判官だ。
中世欧州では「司法」が一番の支配者だった。
「世俗 seculer 」は、坊主・教会がらみではない、という意味だ。王も「世俗」だ。
王もキリスト教徒だ。「世俗 seculer 」の政治(行政)は、正しい法理を実行する
以外のことができなかった。この時代「専制君主」はありえなかった。
神=教会のほうが上位にあったから。
「立法」という概念はない。「神の摂理」を人間が勝手に作るわけにはいかなかった。

中世欧州のキリスト教は「宗教」という自覚がなかった。
それは単に「正しい行ない」「あたりまえ」のことだった。
宗教は、他の宗教と出会って初めて自分を「宗教」だと自覚する。
ユダヤ教があるから、キリスト教は自分をキリスト教だと自覚した。
たいがいの民族や宗教には、自称名はなかった。

中世欧州社会は安定した社会だ。

政治は「正しい行ない」(キリスト教)の一部でしかない。

45近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:06

ルネサンス後の世界観の変化

3−1
カトリック教会の権威が低下する。プロテスタント(抵抗派)が各地に現れる。
各地の王(世俗 seculer の権力)がバチカンに従わなくなり、欧州社会は戦乱期となる。

「神も仏もあるものか」の「ヒューマニズム(人間中心主義)」の時代へ。
「近代」は、不幸な時代だ。自分で何もかも考えなくてはならない。
人間は幸せなときは、ものを考えないものだ。

「実験をする」というのは、「神様の言葉より、自分の目玉のほうが信じられる」
という、罰当たりな考え方だ。
「遠近法」の発明。遠近法は、「自分の視点だけで世界を構成する、自分が世界の
中心である、自分からは世界はこう見える」という思想に支えられる。専制君主的
思想だ。
科学は、自分の視点を中心に世界を再構成する、という専制君主的思想に支えられる。
自分の目しか信用しない、という思想だ。
ここから「立法」という発想が生まれる。バチカンの言うことなど聞かず自分で
法律を考えていい、という発想だ。

「自然法」の世俗化。「神の摂理」「目的因(麦は実る目的がある、農民は農民としての
天性がある)」から、「自然法則」「因果関係(鉄砲で人を殺すと、金を得ることができる)」
へ、「理性」の意味が変化する。
まだこの時点では、「自然法則」と「人間法則」が区別されていない。

トマス・モア『ユートピア』後の社会主義に繋がる、人間万歳主義
モンテスキュー 各地風土に根ざした正しい政治・立法論(普遍であるはずの
キリスト教への挑戦)

46近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:07
3−2
「ヒューマニズム」 身分を越えた「人間」という概念の発生。

キリスト教を相対化するため古代ギリシャ・ローマ哲学を利用した。
古代ギリシャ・ローマ哲学は、欧州では散逸していた。アラビア世界に文献が伝わっていた。
イスラム社会だった南スペインなどに、古代ギリシャ・ローマ哲学のアラビア語訳が残され、
欧州の学者はそれで学んだ。

キリスト教倫理に縛られない「世俗的」な活動的人間像を古代ギリシャ哲学に
発見した。
世俗的な富、権力、名声などを、人間の自由を表現するものとして肯定した。

「権力」の発見
「権力」は、正しい正しくないではなく、単に力である。
「法」は人間同志の取り決めにすぎない。(法実証主義)…法解釈のひとつの極限。

47近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:07

マキャベリ 1469-1527

4−1
人口8万の都市国家フィレンツィエの、共和制下の書記局長、外交と軍事を担当。
人生のうち何回も運命の変転に遭う。
「人間は、強制しなければ善をなさない」という、悲観的人間観。

古代ギリシャ・ローマの都市国家思想から影響を受け、理想の秩序を求め
『君主論』を書く。これは君主のための指南書だ。
(孔子や孟子が書いたものも、君主のための指南書だった)

『君主論』は、理念から書くのではなく、現実政治の経験や歴史から一般命題を
帰納した。政治的現実主義の元祖。また歴史学の元祖ともされる。

「実際の生き方」と「いかに生きるべきか」を区別した。
存在(…である SEIN )と当為(…すべき SOLLEN )を区別した。
道徳的に悪でも政治的に統治できればそれでいい、道徳的善悪と政治に成功するか
どうかは別だ、と考えた。(「政治」の独立)
「運命 FORUNA 」という気まぐれな女神に挑む人間の気概を「徳 VIRTU」とした。
「VIRTU」とは、気概、自由意思という意味だ。
「CIVIC VIRTUE 市民の徳」は、「神をも恐れない人間の気概」という意味だ。
『もののけ姫』のエボシ御前が、「CIVIC VIRTUE 市民の徳」ヒューマニズムの姿だ。

支配者の権力によって作られる秩序をSTATOと呼んだ。中世の、CIVITAS、POLIS、
RESPUBLICAなど「ムラ共同体」と区別される、政治・権力機構としての「国家」概念。

48近代思想2・ルネサンス:2002/11/10(日) 03:08
4−2
甘えの許されない厳しい思想としての「ヒューマニズム」。人間の自由は認めるが、
決断の責任と結果は自分が負う、厳しい社会。(神のせいにできない)
全ては結果責任。

専制君主たちは「マキャベリズム」を嫌った。フリードリヒ大王やエカテリーナ女帝ら
専制君主たちはマキャベリを非難した。専制君主たちは、たいがい、自分を
「いい君主」だと思っている。自分を単なる権力だと思っていられるほど人間は
強くない。教皇庁もマキャベリの本は焚書にした。

マキャベリズムは、政治の道徳的・宗教的粉飾を取り去り、権力者の結果責任を問う思想。

中世は国家はイコール共同体だった。それぞれ正しい行いをしている、と、考えていた。
近代では国家は、個々人が自由意思で動いている。それを権力で治めている。
権力は単に力だ。いいも悪いもない。

49鎌やん:2002/11/10(日) 03:12
>>2-13 宮台真司先生による、社会学での、性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

>>18-23 別の先生による、近代思想論
>>19-39 近代思想論 古代ギリシャ
>>41-48 近代思想論 ルネサンス

50近代思想メモ3:2002/11/12(火) 03:18
近代思想・3

「国家」の思想

1;近代主権国家とは

近代国家には nation state (国民国家) と、「主権国家」がある。
nation state の定義は難しい。

「主権国家」は、17世紀頃、生まれた。こちらの定義は明瞭だ。
 中性国家(神政国家ではない)、政教分離、国境(主権の及ぶ範囲に
限界がある)、内政不干渉
 これらは互いに不可分だ。

51近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:19
2;中世の秩序
2−1
聖書を解釈する教皇を頂点とし、各地の世俗の王権がその下にある。
聖書は「正しい行い」の判例集だ。聖書は古代中東世界の事例が書いてある。
それを解釈するのは教会・教皇だ。解釈する権限を独占する教会の権威は絶大だ。
「統一解釈」を示しキリスト教世界を束ねるのが教皇だ。

王は世俗(教会以外の領域)で、教会が「正しい」と決めたことを代行する。
王の下に主従契約した貴族や領主がいる。村はそれぞれ小宇宙を作っていた。
教皇と王、王と領主は、互いに神の名において、一対一の契約をしている。
村は村長が治めている。村のしきたり(慣習法)が支配している。

(日本の中世もこれに似ている。将軍と大名、大名と家臣は、主従関係だ。
日本では聖書の代わりに孔子孟子をテキストとしていた。共通テキストを基に
世界が成立する)

聖書を読むことができるか?
聖書・公文書は、基本的にラテン語で書かれていた。
書き言葉としてラテン語が圧倒的多数だった。(プラスごく少数のギリシャ語、
ごく少数のアラビア語)ラテン語を話す人はほとんどいない。
各地方の人民は、俗語を使っていた。俗語は文字で書かれなかった。

(日本でも、江戸時代には、印刷物は漢文がほとんどだった。漢文で会話する
人はいない。書き言葉と口語が分裂していた。近松は口語に近いが、これは
江戸ローカルの言葉だ)

52近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:20
2−2
ラテン語を喋っていたのは一部の坊主だ。当時は紙(羊皮紙)自体が貴重品だった。
マキャベリなどは数百部写本された規模だ。
教皇と王、王と領主は、互いにラテン語で文通していた。ラテン語は書記言語だった。
ラテン語は聖なる言語であり、身分の高い人以外喋ってはいけない言語だった。
バチカンが聖書解釈を独占できたのは、人々は聖書を読むことができなかったからだ。

当時、政治家(王)は、立法(聖書解釈)してはいけなかった。

「異端」とは、バチカンとは異なる聖書解釈を差す。聖書解釈はイコール政治の
正当性の問題なので、実際の政治をどう運ぶかということと密着していた。
「異端」は、世俗王権の武力で鎮圧した。(13世紀南仏地方のカタリ派など。
ただし当時まだフランスという国家・国境は、なかった)

聖書の解釈が分かれると、この中世キリスト教世界は壊れる。
なぜ中世キリスト教世界では聖書解釈であれほど争そったのか。それは聖書解釈が
イコールで政治(何が正しいのか)の問題だったからだ。これが混乱すると「世界」が
メチャメチャになってしまう。

53近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:20
3;近代国家の誕生
3−1
プロテスタントが発生した。プロテスタントはかつてなら「異端」として弾圧された。
十字軍派遣により経済が衰え、大航海時代に入り商人が富を蓄えバチカンに抵抗
できる実力がつき、航海技術の発展、大砲・鉄砲の登場により身分制が崩壊した。
(商人でも農民でも、鉄砲があれば騎士を殺すことが可能)
これらにより、バチカンの権威が低下した。各地の王はバチカンに従わなくなる。
各地の王は「キリスト教」自体には反旗を翻せないから、プロテスタントの坊主を
味方につけようとする。

プロテスタントは、聖書中心の原理主義者だ。「根本に帰れ、聖書に帰れ、
我々はバチカンを信じない、聖書のみを信じる」
(後のイスラム原理主義は、キリスト教原理主義の影響下から生まれる)

プロテスタントはバチカンの教会組織に離反した。
プロテスタントは、聖なる言語ラテン語でのみ書かれていた聖書、それ以外の言葉で
書いてはいけなかった聖書を、俗語に訳した。
(今で考えるなら、法律の文を関西弁訳東北弁訳するようなもの)

54近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:21
3−2
ドイツ語の聖書は教皇には読めない。ドイツ領主、ドイツの民百姓には読める。
ドイツの人々は勝手に聖書を読み、勝手に解釈できるようになる。異端が大量発生する。
俗語訳の聖書は印刷技術で印刷され、ばら撒かれた。そのことは激しい破壊力があった。
「自分独自の解釈をする」ことは「近代的個人」を用意する。自分で聖書を読み、
自分で解釈を決める人々を作った。
だが「近代社会」はツライ時代だ。独自の解釈をした各地の王が、各地で戦争を起こした。
フランソワ1世は自分の土地の俗語(フランソワの言語だから、フランス語と呼んだ)で
公文書を書いた。(1539年)
各地の王権が、互いの国の言葉で書かれているから互いに読むことのできない聖書と
互いに妥協の余地のない「正義」を掲げて、戦争に突入した。
16世紀17世紀は、大戦乱の時代だ。「正義の戦争」は終わることがない。

妥協の余地のない戦争に疲弊した王たちは「正義の戦争より、神なき平和」を選ぶ
ことにした。これが「政教分離」だ。

55近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:21
3−3
「政教分離」は、「政治に宗教を持ちこむな」ということだ。
現実の政治には、「妥協」が必要だ。「正義の戦争」には「妥協」の余地がない。
「信教の自由」とは「政治は宗教に立ち入らない」ということだ。
宗教は個人の内面の問題になった。
本来、宗教(何が正義か)と政治が離れているのは「どうかしている」が、
このときそういう取り決めにした。
(それは後に欧州発展の原動力になる)

「主権」とは世俗権力のことだ。「主権」は国内に対し唯一最高の存在だ。
国内に「主権」が複数あると、内戦が止まらない。
「主権」は、国内で唯一、人を殺しても罪に問われない。死刑執行と軍隊がそれだ。
城塞内の安全をコントロールするために、人を殺す権利を「主権」に与えている。
「主権」の及ぶ範囲限界を決めなくては、戦争が止まらなくなる。
そのため「国境」を決め、「内政不干渉」を取り決めた。

宗教は普遍(どこであろうと必ず通用する正義)だと主張するから、本来
「国境」を認めたがらない。が、それでは戦争が止まらないから、「国境」でもって
互いに「内政不干渉」にしている。
それがいいことなのかどうかは、別な問題だ。戦争を止めるために、こうした。

56近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:22
4;ルター(1483−1546)の思想
4−1
「人間は、悪しか、なし得ない」という絶望的な人間観を抱いていた。
この絶望的人間観はマキャベリに通じる。
人間が善行しようが功徳を積もうが、それは「救済」とは無縁だ。
(善行を積んだ人間がバタバタ死んだ時代のリアルな思想だ)
バチカンを信じなかった。
人間はただひたすらダメな存在だから、人間の「理性」など頼るにたりない。
(中世の「理性」とは、「教会が間違っているような気がしたとしても、「理性」を
よく働かせれば、教会がなぜ正しいのか判る、という「理性」だ。
近代的理性とは別物だ)
聖書だけを、ただ信じろ、と説いた。(信仰の内面化)

(これは鎌倉仏教に通じるものがある。たとえば親鸞の「悪人正機説」…
「善人(偽善に塗れた)貴族)ですら往生するという、悪人(である自覚を持っている
民衆)が往生できないはずがない」という思想…に通じる)

57近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:22
4−2
「信仰の内面化」から、「個人」が発生する。
人間には聖書を「完全に理解する」ことなどできない。坊主にもできない。
バチカンになどできるわけがない。
純粋に信仰篤い者が集まる不可視の教会こそが真の教会だ、と、説いた。
これは「自発的意志」に基づくボランタリーの団体、有志団体を用意する。

ルターは世俗権力を肯定した。信仰は内面(霊)の問題であり、身体や財産(肉)の
世界では領主に従うことを肯定した。宗教を「個人の内面」の問題にしたので、
ルターの意図とは別に、世俗権力と利害が一致した。
ルターは世俗権力に聖職者任免権、教会財産管理権を認めた。これにより
近代主権国家での宗教の位置が決定した。教会は君主より下になった。
ルターは「真の宗教」の擁護義務を世俗権力に認めた。これは「他の国を攻めていい」
「内政干渉していい」ということだ。
ルターは「抵抗権」を否定した。世俗権力に従え、という主張だ。

58近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:23
5;モナルコマキの「抵抗権」

君主に迫害された人々、たとえばフランスのユグノー派など、の総称を、モナルコマキと言う。
モナルコマキは地方自治、人権思想の元祖だ。
近代的なものは非近代的なものの中から生まれる。

「人よりも神に従え」として、神法の優位を主張した。君主より神が偉い、
という主張だ。主権国家を否定した。
神法に君主が反したときは、「抵抗権」が許される。神の正義が実在する、という考えだ。
君主が主従契約に反したときは、末端領主・貴族たちは、王に反乱していい。
「真の宗教」を保護するために隣国に攻め込むのは義務だ。
「身分制議会」には王の監視権と解任権がある。
(「身分制議会」は、王が意見聴取するだけの、非常に力の弱いものだったが、
モナルコマキはそれに大きい権限を与えるべきだと主張した)

モナルコマキは、マキャベリを批判した。
モナルコマキは、王の弾圧に抵抗して「地元の貴族さま、守ってください」という思想だ。
「主権国家」は中央集権だ。モナルコマキは中央集権を否定し、神法を肯定し、
内政干渉を肯定した。

「人権介入」は、近代的か? 非近代的か?

59近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:23
6;ジャン・ボダン(1530−96)の主権論

モナルコマキ(抵抗権運動)に対抗する思想。かつカトリック保守派にも対抗する思想。
王権のもとで国家統一をはかる思想。
「神なき平和」は、ボダンの流派から生まれた。

「主権」(世俗権力)は国家の絶対的かつ恒久的な権力である。
「主権」は、外向的には教皇権から自由、国内的には唯一最高の権力だ(モナルコマキの否定)

「主権者」(君主)は、外交権・官吏任免権・最高裁判権・恩赦権・貨幣鋳造権を持つ。
(最高裁判権・恩赦権は、それまでは教会が持っていた)

「立法権」「主権者」の意志による命令が実定法だ。法律を人間(君主)が作っていい。
慣習法を否定していい。
風土論による体制論。その土地に合った統治をしていい。(バチカンは普遍だから土地ごとに
法を変えていいなどとは言わない)これは自然科学的「自然法」の萌芽だ。

(専制君主は全て自分で決断する。専制君主は世界初の近代人だ)

主権の非人格化
「主権は国家に所属し、主権者である君主や団体を超えている」
君主個人個人が偉いのではなく、「主権」が偉いのだ、という主張。
(王は代々偉いのだ、ということを意味していたらしいが、君主を倒して人民が
「主権」を持っていい、という考えに後に繋がる)

「主権」への服従は、人格的な主従関係ではない。
「主権」が「神」になったようなもの。「主権」が神であり、教会は神ではない。
「神」がいなくなり、「国家」ができた。

60近代思想メモ・3:2002/11/12(火) 03:24
7;
16−17世紀は「王権神授説」が台頭し、教皇や国内勢力に優位する君主を正当化した。
全てを自ら決断する「専制君主」は、中世には生まれない。
後年、非人格的な「主権」を君主から「人民」が奪取し、以後は「主権」の奪い合いが
政治の中心となる。
「いかに主権を制限するか?」が、思想的課題として浮上する。

61鎌やん:2002/11/12(火) 03:27
宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

別の先生による、
>>18-23 近代思想論・1
>>19-39 近代思想論・2 古代ギリシャ
>>41-48 近代思想論・3 ルネサンス
>>50-60 近代思想論・4 「国家」

…あ、カウント間違えていた… (;´Д`)

62近代思想メモ・5:2002/11/19(火) 03:41
近代思想論・5 社会契約説

「社会契約説」は、いかに「主権」を正当化するか? という要請から生まれた。
なぜバチカンより王は偉いのか、正当化する必要があった。

哲学者はしばしば王様のお抱えであり、紙自体も本も貴重品で、
王様が主な読者なのだから、王様を正当化する内容が多くなるものだ。

いかに「主権」を正当化するか、の後、いかに「主権」を制限するか、が、
重要となる。

「王権神授説」がまず生まれた。王権を「神」で説明しようとする説。
だが異教徒・異宗派には、神授説は通用しない。

そこで人間の「契約」で説明をしようとした。国家は、人間の「契約」で作った
人工物だ、という考えが「社会契約説」だ。

63近代思想メモ・5:2002/11/19(火) 03:42
中世自然法は「人間がよく考えると、神が正しいことが判るはずだ」という
発想だった。
12世紀の欧州の神学者トマスは、アリストテレスの説「目的論的自然観」を
唱えた。
アリストテレス哲学は欧州にストレートに残っていたわけではなく、
古代ギリシャからアラビア世界を通じ残り、スペインのイスラム寺院に
残されていたものが、欧州に伝わった。
種は花になるように作られている。奴隷は奴隷になるように生まれついている、
というのが「目的論的自然観」だ。
中世自然法では、自然界の法則と人間の法の区別がない。
ウサギは狼に食べられるようにできている。ウサギとして正しいふるまいは
狼におとなしく身を投げ出すのが正しいふるまいだ。ウサギがそうしないで
逃げ出すのは、ウサギには「理性」がないからだ。
農民は領主に税を納めるようにできている。農民は「理性」を持っているから
正しく税を納めるべきだ。

16−17世紀頃、「中世的自然法」の考え方が崩壊する。
カトリックの権威が衰退し、プロテスタントとカトリックが互いに「神」の名の元に
戦争をする。

64・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:42
ケプラー、ガリレイが、「実験」「観測」をはじめる。
ケプラーは、神の栄光を天上界に発見しようとした。
この時代、完全な円を作るのはムリだった。教会にある円形のものは完全な円に
少しでも近づけようとたいへんな努力を払った。宗教的努力を要した。
ケプラーは天上界にこそ完全な円が存在すると期待して、天体観測した。
火星の運行が円ではなく楕円だったことに、ケプラーは激しく失望した。
だがケプラーは自分の目を信じた。そのことにより、バチカンと衝突した。

「神の摂理」は、目的因・目的論的自然観だ。
これが、機械的な因果律に、考え方が変化した。

突然の不幸が襲ったとき、人は「目的因」で解釈して安心しようとするものだ。
運命論的に意味付けをしたがる。「彼がシャンデリアの下敷きになって死んだのには
何か意味があったはずだ」
因果律の発想はなかなか人類の歴史では出てこない。「彼が死んだのは、
シャンデリアのネジが緩んでいたからだ」

デカルトは、数学と幾何学を研究した。数学と幾何学は、「感覚」の基礎づけとして
研究した。「我思う、ゆえに我あり」あらゆるものの実在を疑う。実在していると
錯覚しているだけなのかもしれない。だが疑ってかかっているこの私だけは存在する。
そこを出発点としよう。ほとんどノイローゼの発想。
「我」をデカルトは発見した。
デカルトは動物は機械だと考えた。

65・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:42
ニュートンの物理学は、「感覚を超えた自然法則を、人間は知りうる」という
信念で作られた。
目的論的発想では、「林檎は木から落ちるようにできている」
ニュートンは、「引力」という目に見えないものを考えた。
実際に実験しても、ニュートンの物理法則通りになど物体は動かない。
ニュートンの凄いところは、「法則はある、法則通りに動かないのは、摩擦が
あるからだ」と考えたところだ。
感覚を超えた自然法則を人間は知りうると、ニュートンは信じた。

この時代以前は、農民と貴族と僧侶が同じものを見たとき、僧侶のみが真実を
理解し得る、と、発想した。「人間」という発想はなく、「身分」という発想が何より
優先した。

「感覚と理性」への信頼がこの頃生まれた。人間は(「身分」以前に)「感覚と理性」を
持つ「個人」とされる発想が生まれた。
互いに「個人」であるから、平等である。目的因発想ではなく因果律発想により
「ウサギも武装すれば狼に勝てる」こととなる。農民も銃を持てば貴族を殺すことが
できる。そうなったとき、どうやって争いを止めることができるか?
「人間の理性が数学や物理の法則を感知しうるように、人間が従うべき道徳
(法律/社会秩序)を、人間は感知しうる」という発想が生まれる。
これが18世紀頃までの発想。物理学と哲学・社会科学が分離していない。
ただし、「教会に認めてもらう」必要はない。(政教分離。「理性は神が与えた」もアリ)

「世の中はそうなっている」が、中世的自然法。
「自由では収まらない(殺し合いが止まらない)から権力が必要」という要請で、
「主権」が生まれる。
「人間だからルールが判るはず」が、近代的自然法。

66・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:43
ホッブズ(1588-1679)の思想

ホッブズは近代政治学の元祖だ。イギリス乱世の時代の人物だ。内乱につぐ
内乱の時代に生きた。
「人工物としての『国家』」観を確立した。社会契約説で主権を正当化した。

ホッブズは機械論的世界観を徹底した。現代人以上に徹底しているので
ホッブズへの評価は高い。
ホッブズは世界の万物について書こうとした。元々幾何学を修めていた。
幾何学はピタゴラス学派であり、宗教と同じだ。ホッブズは物体論(自然哲学)
から書き始め、人間論(道徳と認識)、国家論(政治哲学)を構想した。

ホッブズは「万人の万人への闘争」という自然状態を「仮定」した。
人間界は昔こうだったかもしれない、というSFだ。そこがホッブズの凄いとこだ。
この仮定の「自然状態」は、アメリカ大陸発見の影響がある。


ホッブズは徹底的に、「感覚」に拠った。
思考の根源を「感覚」だとした。思考の根源としての神を否定した。
ホッブズは共通善を否定した。
そこで言う「善」とは何か? 生存に役立つものを「善」とした。
人間は善と力を求めて闘争する。また人間は虚栄によって動く。
そのため争いはやまない。

67・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:43

ホッブズは、人間は平等だと考えた。これは乱世の発想だ。
「万人の万人への闘争」の平等観だ。人間の能力には大差がない。
だから闘いが止まらない。これはこの時代の発想の特徴だ。
農民であっても銃で騎士を殺せるし、女であっても騙まし討ちすれば充分男を
殺せる、という平等観だ。


ホッブズは、「自然権」を肯定した。ホッブズの言う自然権とは生命維持活動の
自由を差す。

A−Cの範囲では、争いが止まらない。「万人の万人への闘争」が続く。
そこで「社会契約」による国家の成立が必要となる。

理性により、自然法を見出す。自己保存のためには、闘争をやめさせるための
ルールを見出すはずだ。ルールは世俗のルールだ。

「万人の万人への闘争」をやめるには、自然権を相互的同時的に放棄する必要がある。
その約束を保証する権力「主権」を創設する。「主権」は王または議会だ。

68・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:43
人工的手段として「主権」「国家」が生まれた。あくまで各人相互の契約によって
「主権」は生まれた。中世的統治契約(主従契約)ではない。
中世的統治契約は平等な関係ではない。中世的統治契約は親分子分の関係だ。
(主従関係はツリー状になる)
近代的社会契約論は、横並びの中から、それを管理する上位の存在として
「主権者」を作る。みなの契約で主権を預ける。

モナルコマキの場合、抵抗権があった。中世的統治契約(主従契約)を前提としていた。
中世的統治契約(主従契約)では、親分が契約を破ったら、親分に逆らっていい。

ホッブズは、主権には抵抗権がないとした。(主従関係ではないから)
主権は契約によってできるリバイアサン(巨竜)であり、人工的人間 artifical man だ。
主権はリバイアサンのように、ただひたすらに恐ろしいものであればいい。
親しみやすい必要など欠片もない。
「近代的」とは、恐ろしいもの、身も蓋もないものだ。
ただし主権者が保護能力を失えば、服従義務は解除される。

人間は平等であり、国家は契約でできた人造物である。個人が先で、国家は後である。

69・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:44
ロック (1632-1704)の思想

ロックは、ホッブズよりやや後の時代の人物だ。社会が安定した時代に生きた。
王権神授説に抵抗して、社会契約説で名誉革命を正当化した。
「市民自由主義」の元祖とされる。

経験論。生得観念を否定する。「経験」によって人はものを学ぶ、とする。
「経験」とは「感覚と内省」だ。反省し内省しないものは「経験」ではない。
「経験」とは「感覚と内省」の「観念連合」だ。感覚を連合させ、思考となる。
人間は「白紙」 tabula rasa で生まれる、とする。教育学の元祖。
人間は「白紙」で生まれる、というとき想定していたのは、子供と、「新大陸の
野蛮人」だ。世界旅行記の影響があり、しばしば引用している。

ホッブズとの相違点。
ロックはホッブズほど徹底していない。ピューリタン信仰が背景にある。
ピューリタン信仰は、農民の信仰だ。自分が耕した土地は神が与えたもうたものだ、
という発想だ。神は荒れた大地を人間に与えた。埋めよ増やせよ地に充ちよ、と
神はおっしゃった。人間は荒野を耕し世に満ちるために遣わされた。

ギリシャ時代の発想では、働く人間には理性がない、とした。
ロックは、バリバリに働くことが理性だ、と考えた。勤勉こそ神の栄光だ。

自然状態でも人間は共存できる、と、ロックは説いた。労働して得たものは、
自然権だ。理性の戒律である自然法が自然権の尊重を教える。ロックの言う自然権は、
平和・善意・相互扶助だ。

70・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/19(火) 03:44
ロックは労働価値説の元祖だ。人間が労働したものには価値がある、と考えた。
後にアダム・スミスやマルクスへ影響を与える。労働を投下して得た財産は、生命と
並んで自然権の一部だ。「市民社会の主要な目的は、所有の保全にある」
人間が汗水たらして得たものは、その人の所有物だ。

所有権の調停・外敵からの防衛のため「主権」が必要となる。全員一致の契約で
政治社会を創設する。政治社会は多数決原理に従う立法部に主権を委ねる。
(王が主権ではない。無制限の主権でもない)
立法権と行政権(司法権含む)を分立(権力のチェック・バランス)、立法権を優位
とする。政府が暴政を行なえば、多数の判断で信託を解除できる。(抵抗権と革命権)
戦争など不測の時代に備えた大権は、行政権に含む。

「国家とは、市民の利益を保持増進するための人間の社会」だとロックは説いた。
宗教は個人の内面の問題だとした。(ただいカトリックと無神論は別だ)

ロックの思想は、開拓共同体の思想だ。
ロックのイメージする国家は、ホッブズのイメージする国家ほど怖くない。

経験論と政治思想は、ロックの中で、「耕す」という点で一致している。

ロックの思想は、富裕農民層に受けた。
ロックの論は、広大な土地、無限の土地を前提とする。富が増え続けることを前提とする。
富が増え続ける限り、自然状態でも争いは起きない。
ロックは人口増殖を賛美した。ロックの思想は、経済生長、植民地主義へつながる。

71カマヤン:2002/11/19(火) 03:46
宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

別の先生による、
>>18-23 近代思想論・1
>>19-39 近代思想論・2 古代ギリシャ
>>41-48 近代思想論・3 ルネサンス
>>50-60 近代思想論・4 「国家」
>>62-70 近代思想論・5 「社会契約説」

72近代思想・6:2002/11/27(水) 04:23
国民国家と民主主義

1;「国民国家」と「主権国家」

「主権国家」の定義は明瞭だ。
国境域内で、一つのみ主権が存在する。内政不干渉。政教分離の成立。
民衆が国に対してどうであるかは関係ない。
国境内部で何が起きても、他の国は関知しない。

「国民国家」 nation state の定義はムズカシイ。
革命期フランスが「国民国家」の典型だとされるので、フランスを中心に考えよう。
state は、状態、国民状態、という意味だ。
一般民衆が国家へある種の忠誠心を持っている「状態」を、国民国家と言う。
フランスなら、民百姓までが「私はフランス人だ」という意識を持っている「状態」を
「国民国家」 nation state という。

73・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:24
2;「主権国家」から、「国民国家」へ

フランス革命が「国民国家」の起源だと言われる。
グローバリゼーションにより、「村」が壊れると、「個人」と「国家」が生まれる。

中世社会は「村」で全てが閉じていた。村人は、互いに互いを数代前まで血統
を知り合っていた。人間である前に「身分」で分けられていた。
中世的「村」には「個人」は存在しない。
交通が発達すると、人口が流動し、「村」という中間共同体が壊れる。
人々はバラバラで均質な「個人」となる。この「個人」を束ねるものが「国家」だ。

「国家」は中央集権になることが多い。
その点、アメリカ合衆国は例外だという説がある。アメリカは連邦制で
強力な地方自治権がある。地方分権国家だという説がある。
だが、アメリカ合衆国は、state ではなく united states 国家連合だ。

nation state の典型は、フランス革命だ。
中央集権化、身分制度の否定、「国民(市民)」の均質化、村・ギルド(職人集団)などの
中間集団を否定する。
村やギルドは「身分」と表裏一体だ。身分を否定することにより、村やギルドは否定される。

元々、フランスは、中央集権的性格が強く、地方自治は弱かった。
フランス革命は、パリで起きた革命を地方へ下す、というかたちでフランス全土へ
拡張された。旧来の地方制度と地方自治がフランスでは否定された。
「地域圏」だったものが、幾何学的な「県」へ変更された。
中央から県知事が任命されるようになる。フランスの県知事任命制は1980年代まで続く。
県知事任命制をやめてしまうと、地方の反動が起きることが警戒されたからだ。
地方勢力と少数民族は「反動」として否定した。革命の理念を地方の隅々へ下した。
少数民族言語は「反動的」だとされ、圧迫された。
(現在は少数民族言語の保護が「先進的」とされる)

74・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:24
国民 nation の誕生
親方や貴族に従わない人々が「市民」 citoyens シトワイエンだ。
村落やギルドは貴族や親方が支配していた。貴族や親方に従わず、「個人」として
革命政権を支持する人々が「市民」 citoyens だ。
地方の中間集団を否定して、「個人」と「国家」が結びついた。
「市民」 citoyens の集合体である「国民」 nation に主権がある。
「国民」 nation は、身分と地方を否定する均質な集団だ。
国民公会議員は「国民 nation の代表」であり、「地方の代表」ではない。

「自由・平等・友愛」
「自由」・「平等」とは、村やギルドからの自由、村やギルドから抜ける自由を差す。
「友愛」は、しばしば「博愛」と訳されるが、「友愛」のほうが原義に近い。
解放戦争に参加する同志との「戦友愛」だ。メンバーシップへの団結を差す。
「自由・平等・友愛」は、フランス共和国のナショナリズムだ。
「国民 nation 」と「国民主義 nationalism 」は、身分制への否定・地方への否定で成立する。

身分によって成立していた中世を否定し、古代を復活させた、という自意識を、革命は
持っていた。ジャコバン派は古代ローマへ憧憬し、「暗黒の中世」「栄光の古代」という
歴史観を持った。

軍事力の強大さ
周辺諸国に圧倒的勝利を収めた。国民軍は身分制軍隊より遥かに士気が高かった。
身分制度は効率や士気が劣る。そのため、各国とも国民国家へ移行した。
ただし、フランス以外は王権を残しつつの国民国家化を行なった。

75・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:25
3;フランス絶対王制期の思想家たち

絶対王政による中央集権志向が「文明」「理性」「啓蒙」の名の元に、合理化された。
ヴォルテールとモンテスキューは対称的な人物だ。

ヴォルテール(1694−1778)は、中央集権でもって中間集団貴族を倒すべきだと
主張した。
ヴォルテールは、生得観念(デカルト説)を否定して、経験論(ロック説)を支持した。
「身分制の正当化」に、科学と合理性で対抗した。
ヴォルテールは、人格的支配を打倒して、自由に、と、主張した。
合理的/効率的な官僚制と軍隊による国家を求めた。
合理的なら君主制でも共和制でもこだわらなかった。啓蒙専制君主に期待した。

76・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:25
モンテスキュー(1689−1755)は、貴族の権利を守ろうとした。
保守的自由主義の元祖だと言える。モンテスキューはボルドー地方の貴族出身の
高等法院長だった。
専制権力に対抗して中間集団の重視と三権分立を掲げた。
中間集団の重視とは、貴族の領地を守れ、という意味だ。地方分権に繋がる。
この時代、地方分権派は「反動的」だった。
モンテスキューは三権分立説の本家だ。(ロックは「立法」と「行政」の二権分立に
よるチェック・アンド・バランスを唱えた) モンテスキューは「司法」を三権に加えた。
モンテスキューは自身、高等法院長、「司法」だった。
モンテスキューは啓蒙主義に対抗して、政体の風土論と習俗論を唱えた。
「自然 nature」との一致をモンテスキューは唱えた。国家の介入を拒否した。
政体の風土論とは、各地に適した政治体制がある、という論だ。
当時北フランスと南フランスは法律形態が違っていた。パリの法律をボルドー地方に
まで及ぼすな、という主張だ。
nature は「自然」とふつう訳されるがこの場合、本然、本分、本質、と理解したほうがいい。
モンテスキューは「自由」と「多元主義」を評価した。パリの革命と法律に抵抗した。

ヴォルテールは封建的身分制度からの「自由」を、モンテスキューは権力の介入からの
「自由」を唱えた。

1950年頃のアメリカ南部には黒人犯罪者を吊るし首にする「自由」があった。
こういうものも「自由」の一つだ。

中央集権化/均質化に対抗する、多元主義(地方自治、権力分立など)。
この時代、「自由主義」は古くからある観念であり、「専制」は新たな思想だった。
どちらもエリートによる思想だが、どちらが下層民衆が支持したか。

77・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:25
4;ルソー(1712−1778)の思想

ルソーは、プラトンやベンサムと並んで、最大級にイカレた人物だ。
ルソーは狂気の人民主義者であり、市民主義であり、ナショナリストであり、ファシズムの元祖だ。

ルソーの凄いところは、一般庶民の参加を含めた政治状態を構想したところだ。
これが画期的なところだ。民衆の政治参加はルソーが初めて唱えた。
ルソーは近代民主主義思想の元祖だ。

「子供は純粋で素晴らしい」という思想もルソーが元祖だ。
「理性への懐疑」もルソーが元祖だ。
ルソーは「自然」を賞賛し、文明や教育は人間を悪化させると考えた。

78・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:25
ルソーは数奇な生立ちの人物だ。
ルソーはスイスのジュネーブ出身だ。
ジュネーブはカルヴァン派新教の神聖政治による、強度に倫理的な自治都市国家だ。
人口は三万ほど。
カルヴァン派は生真面目で暗い性格の宗教だ。「予定説」という信仰がある。
「予定説」は、救われるかどうか人間には決して判らない、という信仰だ。
救われるかどうかは判らないから、せめて、神から与えられた職業を一生懸命やりなさい、
という、「天職」の思想がある。
幼い頃のルソーは、この独特の民主制社会で強い倫理観を植付けられ育った。
ルソーの父親は、時計職人だった。「市民」階級は上層階級だが、ルソーの父親は
市民階級の中では下層だった。
スイスは独特な民主制が行なわれている。三万の人口は、どうにかこの独特な民主制が
成立する数字だ。
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=1274&KEY=1033569005&START=33&END=33&NOFIRST=TRUE
ルソーは早くに母親を亡くした。強度のマザコンになった。ルソーは自己露出癖と迫害妄想が
強かった。作品の中でたびたび昔窃盗をしたことなどを告白している。
ルソーは父親による個人教育を受け、ギリシャ/ローマの古典に親しんだ。
ルソーは職人修行が嫌で、家から脱走した。ジュネーブは夜城門が閉まる。城門の外に
いるあいだに閉じてしまったので、そのまま放浪した。
貴族夫人に拾われ、愛人として生活した。貴族夫人と分かれ、パリ社交界で音楽で名を
成そうと考え、成功しなかった。「結んで開いて」の曲はルソーが作った、という説があるそうだ。

79・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:26
37歳のとき、懸賞論文がヒットした。ルソーはヴォルテールやディドロに対抗意識を持っていた。
この懸賞論文は「学問と芸術の進歩は、習俗の純化に寄与したか?」という課題だった。
ルソーは、美文調で、「寄与しなかった」という論文を書いた。『学問・芸術論』
学問や芸術は、圧制を装飾するものだ。素朴な古代の民の美徳を汚す、という論文を
装飾された美文で書いた。ひどく屈折した論文だ。
「自然 nature 」を「芸術/人為 art 」は堕落させる、と、ルソーは説いた。
「芸術/人為 art 」は、外面と心情を分離させ、個人と社会を分裂させ、自己の欲望のために
他人を欺くようになる。利己的な学者や、利己的な芸術化ばかりで、公に殉ずる・社会と一致する
「市民」がいない、と、ルソーは説いた。美文調で。
社交界に馴染めない田舎者のルサンチマンが爆発した論文だ。これがヒットした。

ルソーのイメージする「市民」は、個人と社会が一致した存在だ。

ルソーは続いて、特異な自然状態論『人間不平等起源論』を書いた。
ルソーは、ホッブズの考える「自然状態」(万人は万人に狼である)を批判した。
ルソーは、自給自足で原野をさまよう自然人像を説いた。この自然人は他者との関係がない。
愛情もない。独占欲もない。同情心はある。
自己愛はあるが他者と競う自尊心はない。
…これでは獣だ。だが、獣と違い、自己完成能力がある。
この「自然人」像は、ルソー自身がジュネーブを離れ放浪していたときの姿だ。ルソーは
当時の旅行記を多く読んでいた。旅行記に登場する野蛮人の姿をそれに加味している。

80・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:26
産業発展は自己完成能力の発露だとルソーは考えた。だが産業発展と土地私有は
不平等の起源だとルソーは考えた。
この土地はオレのものだ、と、誰かが柵を囲ったとき土地私有がはじまったとルソーは
考えた。
人間は、自己完成能力を利用し、人為 art を退け、神の意志に沿う道徳を追求し、
その道徳を第二の本性 nature にするべきだ、と、ルソーは説いた。

ホッブズの説いた国家は、恐ろしくていいし、恐ろしいだけの存在だ。
ルソーの説く国家は、全く別な姿をしている。

『社会契約論』は近代民主主義思想の元祖だ。
道徳を実現する秩序のためには、個人と社会、外面と心情、他人と自分が、完全に
一致した状態になるべきだとルソーは考えた。これらが分裂しているから不幸なのだと
ルソーは考えた。
構成員は、自分の全ての権利を共同体に譲渡する契約を行なうべきだと考えた。
それにより、共同体は「共通自我 moi common 」となり、「一般意志 volonte generale 」
を持つ。自分の自我は全て共同体の自我だ。共同体の意志は全て自分の意思だ。
この状態こそが幸せな状態だ。と、ルソーは考えた。
「一般意志」は単一不可分であり、構成員の意志の単純総和である全体意志 volonte de tous
とは違う。渋々と他の人の意見に合わせるなんて人間は一人もいない。
構成員の意志はすべて一般意志と一致する。社会と個人、自分と他者が一致する。
この「一般意志」に主権があれば、政治体制はなんでもよい。できれば民主制がいいが。

81・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:26
「一般意志」が構成できないときは、「神の如き立法者」が法を強要して「一般意志」を
創り出す。この「一般意志」を体現した共同体に貢献するのが「市民」だ。と、ルソーは考えた。
「市民宗教」を創出するべきだと考えた。「市民宗教」に同調できない者は追放する。
古代ギリシャ・ローマノ市民集会を理想とした。代議制は「選挙による貴族制だ」と非難した。
選挙ではなく抽選を賞賛した。
この国家は、全員が習慣・財産・能力・思考などにおいて一致する、ごく小さい国家でないと
不可能だ。

『社会契約論』より
A;一般意志がよく表明されるためには、国家の中に部分的社会がなく、各市民が自己の
意志だけにしたがって意見を述べることが肝心である。
B;ひとたび誰かが国事について「俺の知ったことか」と言い出したら、国家の運命はもはや
尽きたと観念すべきである。
C;民主政というこの政体は、統一しがたい、なんと多くの困難な事柄を前提とするもの
だろうか。第一に、ごく小さな国家であって、たやすく人民を召集することができ、各市民が
みな知り合うことが容易にできること。第二に、習俗がごく簡素であって、あまたの事務を
処理したり、厄介な議論をしないですむこと。それから、地位や財産の平等がおおかた
守られていること。
D;新の民主政はかつて存在したことがなかったし、これからも決して存在しないだろう。

82・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/11/27(水) 04:27
ルソーの説く国家は「決して存在しない」ユートピアだ。ルソーはユートピアを熱く語っている。
ルソーは、全体主義の元祖だ。

ルソーの思想は、近代民主主義の思想であり、国民国家の思想だ。
フランス革命ジャコバン派は、ルソーの思想を好んだ。
国民国家での民主主義の理想型だとジャコバン派は考えた。

果たして現代はこの理想を実現できるだろうか、また実現するべきだろうか。
政治思想は、極限まで突き詰めると、SFになる。SFを書きたい者は、政治思想を
勉強しておくといい。

83メモ@カマヤン:2002/11/27(水) 04:28
宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

別の先生による、
>>18-23 近代思想論・1
>>29-39 近代思想論・2 古代ギリシャ
>>41-48 近代思想論・3 ルネサンス
>>50-60 近代思想論・4 「国家」
>>62-70 近代思想論・5 「社会契約説」
>>72-82 近代思想論・6 国民国家と民主主義

84克森 淳:2002/12/03(火) 00:06
http://member.nifty.ne.jp/chomin/index.htm

 ここにルソーと中江兆民についてとか色々興味深い事が載っています。

85近代思想・7:2003/01/13(月) 07:39
保守主義

1;「近代的」な「保守主義」

保守主義は、「主義」(思想、理念)を否定する「主義」だ。アンチのための思想だ。
「進歩」へのアンチテーゼが「保守主義」だ。

>>72-82は18世紀フランスの思想。今回は18世紀イギリスの思想。

17世紀イギリスに生まれた「社会契約説」>>62-70 を基に展開させたのが、
18世紀フランスの啓蒙思想「国民国家」「民主主義」>>72-82
それを否定するのが18世紀イギリスの「保守主義」。

イギリス「保守主義」は、フランス革命へのアンチだ。

フランス啓蒙思想は、合理的「理性」を重視する。
保守主義は、合理的「理性」への懐疑が、共通の特徴だ。

ただし、単に過去へ回帰するのではなく、「国家」という近代の発明品を
「保守主義」は肯定・賞賛している。ここが「近代的な」保守主義の特徴だ。

保守主義は、近代を批判して中世を賞賛する傾向がある。(欧州ロマン主義)
これは、ヒューマニスト(マキャベリなど)や啓蒙主義者(ヴォルテールなど)が、
中世を批判し、古代ギリシャ・ローマを賞賛していることの、ちょうど、逆だ。

86・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:40
2;イギリス保守思想の背景

2−1;
18世紀、フランス革命の頃のイギリスは、安定期だった。
保守思想は安定期に生まれた思想だ。

2−2;フランス革命
フランス革命の理念は、「村や貴族を否定し、個人と国家が生まれる」と整理できる。

貴族の領地や、地域圏、ギルド、教会に属した村落共同体などを、
「封建的中間集団」と言う。
個人と国家の「中間」の集団だ。これらはイコールで「身分制」だ。
フランス革命の理念は、この「封建的中間集団」(身分制)を否定する。
共同体(身分制)から独立した「個人」が、中央集権国家と結びつくのが、
フランス革命の理念だ。

ルソーは、部分集団があってはならない、と、考えていたようだ。
ヴォルテールは、中央集権志向だった。貴族を否定した。
個人(市民)と国家(国民)は理性的・合理的だ。
封建的中間集団(村、貴族、ギルド、教会管区)は非合理的だ。

87・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:41
フランスでは「教育」を教会と国家が奪い合う。
フランス革命は啓蒙主義による教育理念・公教育が、教会の「教育」と対立し制圧した。
フランス革命では行政管区の整理と法典整備がなされた。
法典は成文法による大陸法だ。この背景にはローマ法の伝統がありそうだ。
19世紀以降、フランスの法律を広めることが文明的だ、という思想があった。
日本の法律もフランスの法律を輸入したものだ。イギリスの慣習法・判例集を
輸入することはムリだから。


2−3;近代イギリス
近代イギリスは、「村と貴族が、国家や王と妥協する」と整理できる。

イギリスには、典型的絶対王政がなかった。
絶対王政を敷こうとした王が貴族と地主層に打倒されたのがイギリスの「革命」だ。
フランスのような「市民革命」ではない。
貴族(上院)と地主層(下院 house of common 大衆議院)が王権を抑制する。
法律は判例・前例で判断する。この判例集を「慣習法」と呼ぶ。
裁判官は地元の貴族。日本で言うと、地元の顔役が裃つけて揉めごとの決済をする。

イギリスは「主権国家」なのか? イギリスは「主権国家」段階に達成していない、
という説もある。(典型的「主権国家」は、フランス)

88・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:41
2−4;理想的人間像
フランスでは、「合理的理性」と「科学精神」を身につけた「知識人」や「市民」を理想像とする。
今から20年くらい前(1970−80年)の段階では、フランスでは「知識人」は
メチャメチャ偉い人、という認識だった。
フランスの「知識人」は、文化・政治の中枢に入っている。
「パリの知識人」が、「フランスの田舎の民衆」を啓蒙する、という図式が存在する。

イギリスでは、「英国紳士」が理想的人間像とされる。
地元の慣習を熟知している、極端に走らない(フランス革命みたいな極端なことをしない)、
常識に富んでいる、責任感の強い、貴族。

フランスの「市民(知識人)」と、イギリスの「英国紳士(貴族)」の違いは、「理性」への
信頼度の差だ。
人間の「理性」はどのくらい未来を予測できるか、ということへの信頼度の差が、
変革を肯定するかどうかを決める。
「英国紳士」は、「理性」への信頼度が低い。

89・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:41
3;ヒューム (1711−1776)

ヒュームを「保守主義」として括っていいかどうかは疑問だが、18世紀イギリスを代表する
思想家だ。
ヒュームは、徹底して「理性への懐疑」を示した、過激な思想家だ。
ヒュームの生きた時代は、イギリスの安定期だ。
ヒュームは、徹底した無神論者だ。「無神論」は、ハードな思想だ。神頼み一切を否定する。

ヒュームは、徹底した経験論者だ。生得観念(人間には生まれつき理性がある、
といった考え)を、否定した。
ヒュームは、徹底して「理性への懐疑」を示した。
ヒュームの面白いところは、徹底した経験論と、徹底した懐疑主義から、穏健な保守主義を
産み出すところだ。

合理主義は、「人間の理性能力」を信頼する。なぜなら「理性は神が与えたものだから」
信頼できる、という説明がある。ヒュームはこれを否定する。

人間の認識の源泉は感覚のみ、五感のみだ、と、ヒュームは考える。
五感を組み合わせ、それを「反省」することで、人間は「経験」する。これを「観念連合」と言う。
観念連合は、能動的作用ではなく、受動的作用だとヒュームは考える。

90・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:42
現在の科学は因果律に支えられている。
たとえばシャンデリアが落下して人を圧死させたら、「彼はこの日に天使に召される運命だった」
と考えるのではなく、「彼が死んだのは、シャンデリアのネジが緩んでいたからだ」と考える。
これが「因果律」だ。
ヒュームは、因果律さえ否定する。
因果律への懐疑とは、以下のようなことだ。
重い球体と軽い球体を同時に落下させる実験をガリレオが行なう。同時に着地した
ことをもって実験は成功したと考える。これが自然科学の根拠だ。
だが、ヒュームはこれを疑う。
実験は有限の回数しかしていない。100回実験して100回同じ結果を得たとして、
101回目が違う結果にならないとは限らない。
因果律のように見えるものは、あくまで習慣に基づく主観的なものにすぎない。
と、ヒュームは考える。こう考えると、自然科学の根拠を失うことになる。
理性で発見しうる自然法はない。ヒュームはそのように考える。

91・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:42
道徳としての慣習 conventions
道徳・法律の理性的根拠をヒュームは否定している。
たとえば「青信号なら進め、赤信号なら止まれ」には、何の根拠もない。
自分にとって利益になる経験が蓄積され、慣習になったものが「道徳」だ。
これを「自然的道徳」と呼ぶ。
利害計算の中には「他人への同感」 sympathy も含まれる。
他人への道徳+恒常的共同生活 この蓄積に合理的考察が加えられ、人為的な徳となる。
(人為的徳とは、所有権や契約履行を言う)

ヒュームの思想は、非常にラディカルだが、それを突き抜けて、穏健な結論に至る。
自然的徳の共同体が基盤となって、国家ができる、と、ヒュームは考える。
社会契約で成立するのではない、と、ヒュームは考える。
ヒュームは、理性による政体変革を否定し、慣習の尊重を謳った。

92・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:42
4;バーク (1729−1797)

バークは、「新しい教科書をつくる会」が言及している。
バークは、イギリス貴族に成り上がろうとしたアイルランド出身の貧乏人だ。
アイルランドとイギリスの関係は、ある意味、朝鮮半島と日本の関係に近い。
バークの母親はカトリックだった。カトリックはアイルランドでは国教扱いだが、
イギリスでは人非人扱いだ。バークの父親は国教会派の法律家だった。
バークは、アイルランドの貧しい家庭で育った。
バークは、少年時代から中世騎士物語を愛読した。
若い頃、国教会へのカトリックの包摂を説く、寛容論を書いた。
(国教会を父、カトリックを母、と、読み解くと面白い)
バークは、ロンドンに上京し、立身出世を夢見た。法律家の父に反抗し、美学に
進み、政治家となった。
ホイッグ党(貴族・中産階級の党。保守政党)の有力議員の秘書となり、ポケット選挙区
から当選した。ポケット選挙区とは、政治家のポケットに入っているような選挙区、という
意味だ。腐敗選挙区だ。当時、制限選挙だったので、有権者の数が少なかった。
貴族が地元の数人を集めて「彼を当選させてくれ」と言えば、それで当選した。
バークは貴族でも地主でもない、ヨソ者だった。偏見と闘いながら政治生活し、
金力で地主の地位を手に入れた。
バークは、「民衆と宮廷の中間」(貴族・地主)を好む中庸保守だ。
ヨソ者で貴族ではなかったから、イギリスの貴族政治を賞賛し、思想体系化した。

93・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:42
バークのデビューは、美学だった。『自然社会の擁護』(1756)、『崇高と美の観念の
起源に関する哲学的研究』(1757) 人為的理性(とくに法律)を超えた、自然と美を
賞賛した。バーク以前は、自然がありすぎるので、「自然は美しい」という思想は
あまりない。バークの否定した「人為的理性」は父親のシンボル、賞賛した「自然」は
母親のシンボルだった。バークは父親と絶縁した。

『フランス革命に対する省察』(1790)
「理性」による社会変革を否定し、人間の個人的理性を疑った。
個人個人の理性は、偏見に過ぎないと、バークは考えた。
人間の感情や非合理的想像力による偏見 prejudice が、共同体での他者との交流の
中で磨耗される。この「時効」こそが叡智だ、と、バークは考えた。「時効」とは、歴史の
中で証明された、ということだ。
「個人は愚かだが、種は賢明である」と、バークは述べた。
封建的共同体を賞賛せず、「種」を賞賛したところが、「近代的」だ。
「作為としての制度」が、自然と一致したものが、習慣や伝統となる、と、バークは考えた。
国家の持続部分である世襲による君主&貴族が、教会とともに、叡智を守る、と、
バークは考えた。世襲により、叡智が蓄積される、と、考えた。
君主・貴族・地主の三者がバランス均衡したイギリス政治を賞賛した。
中世と貴族を賛美した。「民衆は豚だ」と述べた。王党派のトーリー党とは対立した。

94・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:43
「プリストル演説」(1774)
首相秘書から政治家となり、落下傘候補となった。プリストル市選挙区で形勢不利の
さい、演説を行なった。これが「プリストル演説」だ。
議員は選挙区の代表ではなく、当選すれば白紙委任されたのであり、選挙民からの
束縛は受けない、と、バークは述べた。これはフランス革命の理念に近い。
議員は県の代表ではなく、国の代表だ、という演説だ。
バークは保守だが、地元重視ではなかった。国家重視だった。ここが「近代的」だ。
議員は地方的/階級的利害を超越しているから、選挙権の拡大は必要ない、と、
考えた。
地元に根ざした貴族ではない、根無し草の人間が生み出した思想だ。

バークは、変革を拒否する、エリート保守主義だ。
バークは歴史についてよく言及するが、歴史の「変化」の面を全く見ない。
(たとえばマルクスは、歴史の「変化」の面を注視する)
バークは、歴史を安定的なものだ、と、見ていた。
バークは、「民衆=民族」という思想を持たなかった。
(たとえば、ドイツロマン主義は、民衆こそが民族の智恵を宿らせている、と、考えた)

バークは、近代的保守主義の元祖だ。
単なる中世への回帰だと、地元主義になり、国家主義にならない。
理性への懐疑を示し、伝統と蓄積を賞賛する。中世を賛美したが、国家を共同体に見立てた。
理性へのアンチが、近代的装いをした。新しい時代に適応した保守主義だ。

95・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/01/13(月) 07:44
宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論
>>2-4  性別論
>>5-13 性規範論
>>5-9 性愛規範論
>>10-13 猥褻論
>>14-15 補足。ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

別の先生による、
>>18-23 近代思想論・1
>>29-39 近代思想論・2 古代ギリシャ
>>41-48 近代思想論・3 ルネサンス
>>50-60 近代思想論・4 「国家」
>>62-70 近代思想論・5 「社会契約説」
>>72-82 近代思想論・6 国民国家と民主主義
>>85-94 近代思想論・7 保守主義

96近代思想論・8 メモ:2003/02/14(金) 02:46
近代思想論・8 カントとヘーゲル

1;18世紀−19世紀初のドイツ思想

1−1;
哲学をするとき、日本では、昔は18世紀−19世紀初のドイツ思想は、スタンダートだった。
ドイツは、欧州の中で、後進国だった。
後進国である日本にとって、ヒントになるものが当時のドイツにはあり、日本はドイツに学んだ。
ドイツ思想は、明治維新国家の参考になった。東京帝大からドイツへの留学者の数は多い。
当時の日本の問題意識に、当時のドイツ思想は応えるものがあった。

1−2;
当時のドイツの課題は、近代化と、近代思想が英仏から流れ込んでくる状態にいかに
対応するか、だった。
「近代化」により、共同体やモラルが変容することに、どう対応するか。
「近代化」により変容した共同体やモラルを、どう再建するか。

その問題意識から、「ドイツ観念論」が生まれた。
「ドイツ観念論」は、非常に倫理的だ。

97・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:47
1−3;
中世社会は、「自我」に目覚めていない状態だった。教会を通じ、世界と村と自分が一致していた。
「新大陸」発見により、「他者」に出くわす。
「私の考えていること」「他人が考えていること」「普遍的なこと」は、どう一致するのか?
「他者」に出くわした結果、このような問題意識が生まれた。
コミュニケーションの問題、モラル・法律の問題、国家の問題へと進展する。

カントもヘーゲルも、ルソー>>77-82からの影響が強い。
ルソーは「一般意志」>>80-81を唱えた。
オマエとオレと、考えていることが一致している、という「一般意志」。

98・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:48
2;カント(1724-1804)

2−1
カントは、懐疑論(「理神論」への懐疑)を経て、普遍的立法と科学の可能性を追及した。

カントは、東プロシアの首都ケーニヒスベルグ(現ロシア領カリーニングラード。田舎)の
革具職人の息子として生まれた。敬虔な神学院で教育を受け、宗教に反発しつつ、
大学では神学ではなく「哲学」を学んだ。
当時、学問には、神学と哲学しか存在しなかった。経済学などは全て哲学の領域だった。

物理学・宇宙論(科学論)からスタートし、政治哲学(普遍的立法)へ進んだ。
当時、物理科学と政治哲学は未分化だった。

カントは規則正しい生活で死ぬまで故郷で暮らした。村人はカントが散歩する姿を見て
時計を合わせた、という逸話がある。

99・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:48
2−2;宇宙論と神
宇宙の力学的秩序そのものが、神の栄光の現れだとカントは位置付けた。
宇宙論からスタートしたのは、天上界には理想型があるはずだ、という発想からだ。
自然科学(ニュートン哲学)によりこの世の正しい秩序が判るはずだ、それに合わせて
人間界を設計すればいいはずだ、と、カントは考えた。

ちなみに、カントは機械論的宇宙を神の栄光と考えたが、パスカルは機械論的宇宙を、
神に見捨てられたと感じた。宇宙は機械だ、人間に「自由」はない、と、パスカルは感じた。
また、デカルト>>64は「動物は機械だ」と考えた。

以下カマヤンによる勝手な雑学ですが、当時、精密な機械時計が生活に浸透したので、
「時計仕掛けの宇宙観」発想が生まれました。以上、カマヤンによる雑学。

2−3;「存在」の二元論

A;必然的存在としての神
B;偶然的存在としての有限な諸実体

有限の人間は、目に見えないもの、感覚を超える物の「本質」を考えることができる。
これは「神」が存在する証である。(「神の存在証明」)

秩序だけでなく、諸実体も、神から出る。
(ギリシャ哲学では、「形相」は神が与えたが、「質料」は別だと考えた。>>38-39

カントの発想は、イデア論>>37-39やニュートン力学>>64-65に似ているところがある。
錬金術的発想(放物線から摩擦を取り去ると円になるのではないか、というタイプの発想)、
「哲学(存在論)」と「神学」の統一。法律と人間界の原理は、どう一致するか。

100・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:48
2−4;ルソー>>77-82とヒューム>>89-91からの影響

「ニュートンが自然界の神学的秩序を見出したように、ルソーは人間界の神的秩序を見出した」
と、カントは考えた。
ヒュームの懐疑論(「人間の理性」は感覚の連合にすぎない)に、カントはショックを受けた。

この世にある物と、神の意志は、どう一致するか、を、カントは考えた。

2−5;「悟性」と「理性」

この世の有限な諸実体の世界「現象界」に適用されるのが、「悟性 Verstand」
現象界を超えた「物自体」の世界「叡智界」を考えるのが、「理性 Vernunft,ratio 」

有限な世界を考えるのは「悟性(理論理性)」、イデア・天上界を考えるのは「理性(実践理性)」
だと、カントは分けた。

人間の感覚は不完全だが、それを超えた「理性」があるはずだ。
空間と時間という感性の形式は、普遍性を備えている。
人間の感覚は不完全だが、それを構成する悟性のカテゴリーはアプリオリ(先験的/一切の経験とは
無関係に普遍性を備えている)である。
他者の、空間と時間の感覚とは、一致するはずだ。
それゆえ、普遍的な認識(科学の基礎)は可能だ。『純粋理性批判』1781

ヒュームが指摘したのは「悟性」、カントが信じるのは「理性」だ、と、カントは考えた。

101・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:49
2−6;あるべき道徳(法)とは 『実践理性批判』1788

「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理とみなされうるように行動せよ」

主観的方針(自分の行動基準、行動原則)が、自然法則(普遍的法基準、普遍的法則)と
一致するすように行為しよう。
カントは、これを「自由」だと考えた。

理性が意志決定者になる(理性が実践的になる)ことで善なる意志が生まれ、理性的存在となる。
このとき人間は真に自立的・自由となる。(近代的な「自由な個人」と「公共の秩序」の一致)

このカントの思想には、ルソーの「一般意志」の影響が感じられる。
ルソーの考えたユートピアに、通じる。
カントの考えでは、私がやりたくてしかたがないことは、他者が求めていることであり、普遍立法だ。
これらは「理性」を働かせれば一致するはずだ。
「理性(実践理性)」は、天上界に届くようなものだ、と、カントは考えた。

他者は手段ではなく、「目的自体」である、と、カントは考えた。
他者を利用するものだと考えるのは「悟性(小ざかしさ)」であり、ヒュームが懐疑したものだ。
他者を目的自体だとするのが「実践理性(天界との通信)」であり、普遍だ。

カントは「理性に従う」ことを「自由意志」だと考えた。

102・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/14(金) 02:49
2−7;あるべき国家のかたち

自由で自立した個人を統合し、社会契約によって各人が共通の法に服する「市民的状態」へ移行。
各人の意志を合一して、共同の公的意志を作り、これによって立法する。

自分の意思の通り行動すると、法律が一致する、という状態を、カントは理想とした。
「法律の基礎」は難問だ。「これが正しいことだ」とする理由は何なのか。
選挙は「共同の公的意志」を作るためのものだとカントは考えた。

フランス革命には共鳴したが、抵抗権や革命権は否定した。非合法は原則としてダメだと考えた。
法が不正であることを表明する権利はある。改革は可である。と、カントは考えた。

2−8;国際平和と世界連邦

自律的個人が形成する理想的倫理共同体としての、「徳の法則」による「神の国」を、カントは考えた。
世俗国家の「法」は外的行為を規定するが、徳はより内面的だ。全人類を包含する普遍的共同体を
カントは考えた。
個人が闘争を乗越え国家を作ったように、国家も闘争を乗越えて世界連邦に至る、と、カントは考えた。

カントは世界連邦を初めて唱えた人々の一人だ。

なぜコミュニケーションが人と人との間に通じるのか? 他者との間に「叡智界」(天上界)が介在
するからだ、と、カントは考えた。

だが、「神」がいないと、人間のコミュニケーションや、普遍性は、存在しないのだろうか?

103カマヤン:2003/02/14(金) 02:55
>>96-102 このあと「ヘーゲル」が続きますが、とりあえず、今日はここまで… (;´Д`)ノ

某歴史社会学者の講義の、メモ
>>18-23  近代思想論・1
>>29-39  近代思想論・2 古代ギリシャ/プラトン、アリストテレス
>>41-48  近代思想論・3 ルネサンス/15-16世紀/マキャベリ
>>50-60  近代思想論・4 「国家」/15-16世紀/ルター、モナルコマキ、ジャック・ボダン
>>62-70  近代思想論・5 「社会契約説」/16-17世紀イギリス/ホッブズ、ロック
>>72-82  近代思想論・6 国民国家と民主主義/17-18世紀フランス/
                ヴォルテール、モンテスキュー、ルソー
>>85-94  近代思想論・7 保守主義/18世紀イギリス/ヒューム、バーク
>>96-102  近代思想論・8 カントとヘーゲル(1)/18-19世紀ドイツ/カント

宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論  
>>2-4;性別論 >>5-13;性規範論  >>5-9;性愛規範論  >>10-13;猥褻論
>>14-15;補足:ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

104近代思想論・8(続き):2003/05/05(月) 23:29
近代思想論・8 カントとヘーゲル(1)/18-19世紀ドイツ

3;ヘーゲル(1770-1831)

ヘーゲルは、近代化の中で、人間関係から国家のあり方までの全てを、〈歴史哲学〉として描いた。

3−1;
ヘーゲルは、公国の首都シュツットガルトの財務官の息子として生まれた。田舎エリートの出身だ。
古代ギリシャの思想や英雄物語を愛読していた。
フランス革命・ルソー>>77-82・カント>>98-102に熱狂した後、批判的になった。

〈個人〉と〈公共的価値〉の分離をどう克服するか、が、ヘーゲルのテーマだ。
近代化の中で利己的になっていく人間をどうするか。これはルソーやカントにも共通する問題意識だ。
ヘーゲルは、カントの二元論的倫理主義を克服する〈汎神論〉的思想を唱えた。
プロイセン国家哲学の重鎮となった。

〈汎神論〉とは、以下のような考えだ。〈神は一つだ。万物は神の化身だ。神は細部に宿っている。〉

105・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/05(月) 23:30
3−2;『精神現象学』(1807)
〈精神 geist (絶対者ないし神)〉の自己実現の過程として、歴史を描いた。
古代も、中世も、〈 geist(神)〉が自己実現する過程だ。

3−3;〈弁証法 Dialektik〉という発想
二元的対立を、〈2つの対立物〉としては考えない。どちらも 〈精神 geist〉が化けている、
〈精神 geist〉が自己展開する過程の一つと考える。

〈弁証法〉には三つの段階がある。
 1)即自 …自己内部の矛盾を意識していない状態
 2)対自 …自と他の分裂と対立が生じる
 3)即自かつ対自 …内省を経て、より高次の再統合に至る。止揚 aufheben

自分の中で理想と現実の対立が始まると、〈対自〉。分裂の状態だ。今の状態が変わらない、と、
考えている間は、対立だ。次の段階へ進めばたちまち解決する〈止揚 aufheben〉。

理性と感性、主観と客観、特殊と普遍、彼岸と此岸、法と対象、形相と質料などの〈二元論〉を
ヘーゲルは批判した。これらは見せかけの対立にすぎない。分け方の問題にすぎない。
対立を対立として考えず、それを成り立たせているものを考える。
〈対立〉は、社会 geist の一つの現れにすぎない。
対立があるときは、それはニセの対立で、その構造こそを問題にすべきだ。

理性を過信する合理主義(カント)と、理性を批判するロマン主義は、ともに、分裂した〈不幸な意識〉だ。

106・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/05(月) 23:30
3−4;精神の展開としての歴史
 1)理想郷としての古代ギリシャのポリス …自己と他者、個人と国家、彼岸と此岸、などの
〈分裂〉のない状態
 2)共同体精神の表れだった古代ギリシャの多神教に対し、彼岸を求め厳格な律法を課するユダヤ教
 3)これを受け継いだキリスト教 …本来は律法主義を排して、愛による対立の和解を目指すもの
だったが

3−5;〈主人と奴隷の弁証法〉
法を命じる〈主人〉と、使役される〈奴隷〉の分裂。(理性と肉体、理想と現実の分裂)
〈主人〉は外界から遮断されて、〈対自〉的存在にとどまる。
〈奴隷〉は〈対自〉的状態から、外界と関わる〈労働〉によって、〈自己を外化〉し、〈即自〉かつ〈対自〉の
状態へ移行する。

3−6;ブルジョア市民社会の成立
〈主人〉たる封建貴族に対する、〈奴隷〉のブルジョアの勝利によって、近代市民社会が成立する。
しかし、〈欲求の体系〉である市民社会では、互いが他者を欲求充足の手段と見なす。
自己意識が〈相互承認の闘争〉を繰り広げ、敗者も勝者も、〈不幸な意識〉にとどまる。

カント的な道徳論(二元論)では、かえって人間を2つの世界に分裂させる。
ロマン主義者の共同体論も、市民を結合することはできない。

107・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/05(月) 23:30
3−7;〈人倫〉の最高段階としての〈国家〉
市民社会は極度に自己の欲求を追及するがゆえに、他者と共同性を必要とする。
(この考え方の起源は、アダム・スミス。人間は我利我利亡者だから〈商取引(人間関係)〉を
巧くいかせる分業が必要だ。商取引するために、法や国家が必要だ。)
 1)分業体制や商取引(アダム・スミスからの影響)。
 2)司法活動による保護、福祉行政、職能団体などによる利益追求。
こうして〈市民社会〉は国家へと止揚される。
私的利害の追求から公共の利益へ。
普遍性を体現する君主、特殊利益を超えて全体の意志を実現させていく官僚と軍人、
自由を反省する法に基づく立憲君主制(人間の道徳と真の自由を実現する場)

「国家は精神がおのれのためにつくりあげた世界」
「国家を地上の神として崇拝」
〈国家〉は、精神 geist が、分裂再統合のため作り上げた社会だ、と、ヘーゲルは考えた。

3−8;保守思想か? 革新的思想か?
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」
 …理性的なものは現実に存在するはずだ、という考え方。究極の現実肯定か? 
 この世にあるものは、理由があるんだ、という考え方。

〈歴史〉的な変遷過程を導入した市民社会批判、より高次の共同性への志向。
ヘーゲル思想は、プロシャ国家を正当化する論でもあったが、後のマルクス主義や
ポスト構造主義の土台となる。

108・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 00:25
某歴史社会学者の講義の、メモ
>>18-23  近代思想論・1
>>29-39  近代思想論・2 古代ギリシャ/プラトン、アリストテレス
>>41-48  近代思想論・3 ルネサンス/15-16世紀/マキャベリ
>>50-60  近代思想論・4 「国家」/15-16世紀/ルター、モナルコマキ、ジャック・ボダン
>>62-70  近代思想論・5 「社会契約説」/16-17世紀イギリス/ホッブズ、ロック
>>72-82  近代思想論・6 国民国家と民主主義/17-18世紀フランス/
                  ヴォルテール、モンテスキュー、ルソー
>>85-94   近代思想論・7 保守主義/18世紀イギリス/ヒューム、バーク
>>96-102.  近代思想論・8 カントとヘーゲル(1)/18-19世紀ドイツ/カント
>>104-107 近代思想論・8 カントとヘーゲル(2)/18-19世紀ドイツ/ヘーゲル

宮台真司先生による、社会学での、
>>2-13 性愛論・猥褻論  
>>2-4;性別論 >>5-13;性規範論  >>5-9;性愛規範論  >>10-13;猥褻論
>>14-15;補足:ピアジェ レヴィ・ストロース ウォルフ管、ミュラー管 男性ホルモン

109近代思想論・9 功利主義:2003/05/06(火) 03:21
功利主義

功利主義は、評価の難しい思想だ。
功利主義は、損得/快楽の量、苦痛の量で測る、という思想だ。

教科書 『政治思想史』有斐閣Sシリーズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641059098/qid=1034700265/sr=1-2/ref=sr_1_0_2/250-1215860-4249034
では、〈功利主義〉を、批判的に扱っている。

110・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:21
1;イギリス功利主義の背景

1−1
 功利主義は、18世紀末から19世紀のイギリスに開花した思想だ。
 当時、フランスではフランス革命がすでに起きていた。
イギリスでは、貴族政治の弊害と、司法の不適合が問題となっていた。

 当時のイギリス司法は混乱していた。
中世の慣習法を解釈し直して使っているので、非常に複雑な慣習法体系となっていた。
素人には使いこなせず、社会の実情に合わないものに、司法がなっていた。
貴族の法律家が、司法解釈を独占していた。
民衆には理解不能な法律となり、中世の野蛮な厳罰主義が残っていた。
 たとえば、金の貸し借りという概念は、中世には存在しない。そのためかなり苦しい
解釈を司法はしなくてはならなかった。耳削ぎ、鼻削ぎなどの刑罰が残っていた。
〈自然法〉と呼ばれるものは、貴族の特権・貴族の独占物となっていた。
ベンサムはそれを批判した。

 当時のイギリス政治は腐敗していた。
イギリスは制限選挙だった。少人数での選挙なので、必然的に腐敗した。
少数者のネポティズム(コネ)と、選挙区売買(金権政治)で政治が行われていた。
政府(貴族による政治)は無能で非効率だ、と、イギリス市民は感じていた。
当時イギリスの政府は貴族で構成されていた。〈貴族の有能さ〉と〈政治の有能さ〉は
当然違う。動作振るまいが優雅であるのが〈貴族の有能さ〉だ。貴族による政治は、
貴族の特権を守る政治に必然的になった。
 近代化によって変化した社会に、貴族中核の政治が不適合を起こしていた。

111・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:22
1−2 普通選挙問題

 当時のイギリス民衆は、文盲同然だった。教育がなかった。
バーク >>92-94 は、「豚のような民衆」と呼んでいた。

 「豚のような民衆」に参政権を与えていいのか?
 「豚のような民衆」が、果たして教育で改善される可能性があるのか?

 功利主義者は「民衆に教育がないのなら、教育すればいい」と考えた。
功利主義者は普通選挙に賛成した。

 だが、「豚のような」労働者階級を教育して、どうにかなるのか? という反論が強かった。
カント >>98-102 は普通選挙に反対した。

112・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:22
1−3 貴族と、「豚のような民衆」を平等に扱う倫理とは?

 〈高尚な道徳(自然権)〉では、貴族が優位だ。
無知無教養な民衆でも対抗できる原理として、「快楽」「苦痛」という感覚的次元の
共通性を功利主義者は提唱した。

 「最大多数の最大幸福」という画期的な概念を功利主義者は提唱した。
功利主義は、〈一般民衆〉を射程に入れた社会構想だ。
〈一般民衆〉を射程に入れた思想はそれまで存在しなかった。
それまでの思想は、君主・貴族・有産「市民」しか念頭になかった。
ロック >>69-70 は有産市民を対象としていた。
 
 功利主義は、アダム・スミスの経済思想とも親近性がある。
政府(=貴族)は介入するな、という思想。平民の「コモンセンス(平民感覚、庶民感覚、
共有感覚、共有感性)」の重視。
 nation state (国民国家)を考えなくてはならない時代の思想だ。

113・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:22
2;ベンサム(1748-1832)

 ベンサムは、哲学史上五本の指に入るおかしい人だ。法律家だ。

 ベンサムは、「最大多数の最大幸福」の極限を追求した。
主として司法改革の分野で、〈誰にでも判る単純明快な原理〉を追求した。

2−1
 ベンサムは繊細な性格だった。ロンドンの中産階級・公証人の息子として生まれた。
新興ブルジョアジーの出身だ。
 植物採集が好きで、狩猟が嫌いだった。狩猟は動物に残酷だ、と、後年批判した。
「豚」にも共有できる原理を発案したベンサムらしいエピソードだと言える。
 内気で一生独身だった。60歳になってから姪にラブレターを送って振られる、
というエピソードを持っている。

 オクスフォード時代の体験。国教会派の信仰箇条への宣誓に対する疑問を封じられる。
信仰箇条への疑問を感じたまま宣誓してしまったことを、ベンサムは後々まで気に病んだ。
 20世紀半ばまでのオクスフォード・ケンブリッジは、お貴族さまの世界だった。
18世紀オクスフォードは国教会でないと入学できなかった。

114・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:22
2−2 ヒュームからの影響
 ヒューム >>89-91 から、抽象的理念や自然法への懐疑、感覚的快楽を源泉とする
人間像を学ぶ。
 ヒュームの保守主義には向かわず、感覚的快苦を基準にした改革にベンサムは向かった。
 ヒュームは慣習を信じた。ベンサムは慣習法を信じなかった。
ベンサムは自然科学を信頼した。
 ベンサムは「自然法(人間にとって正しい世界観・中世から受け継いだ法律)」思想を、
〈非科学〉だと批判した。自然法と自然科学を分離させて考えた。

2−3 抽象概念の排除
 「正義」「自然権」などをベンサムは否定し、計測可能な具体的個物のみを認めた。
 ベンサムは、法律改革の基礎付けで哲学を考えた。 

 抽象用語(「正義」「道徳」などの価値判断を含む語)を排除して、新語を創設した。
 maximize 極大化、minimize 極小化、International、Impossibilize など。
これらは経済学用語として現在活用されている。

115・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:23
2−4 自然科学による合理的司法原理を追及

 「自然は人間を快楽と苦痛という二人の主権者の支配下に置いた」

 快楽は科学的に計測・計算可能であり、その総計を極大化するように立法(統治)原則は
決定される、と、ベンサムは考えた。これは計画経済のハシリのようなものだ。
 快楽の7つの基準をベンサムは考えた。
強さ、持続性、確実性、遠近性、多産性、純粋性、範囲。
 ベンサムの考えでは、読書や音楽が最高点となり、暴飲暴食は低い点となる。

 〈道徳家(貴族)〉の主観で決まる「自然法」ではなく、快楽と苦痛の計測によって
社会的善は決定される、と、ベンサムは考えた。
 個人の快楽感受能力は等しく、なんびとも一人として計測する、と、ベンサムは考えた。
貴族の方が点が高いわけではない。
 法律及び統治は「利益と義務の統合する原理」であり、必要悪の苦痛を与えるのが
正しい、とベンサムは考えた。
 外的制裁が中心。物理的制裁や世論制裁、立法、宗教などの制裁で行為が導かれる。

116・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:23
2−5 具体的な政治構想

 ベンサムは徹底しているが、結論は穏当だ。実現を目指す道徳項目は意外と平凡だ。
過大な政府介入は避ける。当時の政府(貴族投票)はアテにならない、という考えが根本にある。
 普通参政権と秘密投票(無記名投票)をベンサムは支持した。

2−6 大衆の論理か? エリート支配の論理か?

 「最大多数の最大幸福」が達成されれば政治制度はベンサムは問わない。
専制君主制でもよい、と、ベンサムは考えた。
 安全、平等、生存、豊富は重視するが、「自由」は重視項目にない。
ベンサムが重視したのは、快楽の計算における平等で、「平等」への価値評価は低かった。
苦痛を適切に配置し、快楽の総量を増大させるべきだ、と、ベンサムは考えた。
 フランス革命を「自然法」や抽象的原理によるものとしてベンサムは批判した。
 ベンサムは科学マニアだった。
ニカラグア運河、冷蔵庫、会話筒、パノプティコン(一望監視監獄)などを構想した。
パノプティコンは究極の管理社会だ。それによって苦痛の総量が減ればよい、と、ベンサムは
考えた。

 「最大多数の最大幸福」という考え方は、GDP増大がよいことだ、という経済学の考え方に
通じる。

117・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:23
3;J・S・ミル(John Stuart Mill,1806-1873)

 J・S・ミルは、功利主義だが、道徳の要素を持ち込んだ。
 快楽に優劣を認め、「満足した豚より不満足なソクラテス」という言葉を残した。

3−1  父親 James Mill からの影響。

 功利主義者で、人間の可変性を重視した父親 James Mill による英才教育を、
J・S・ミルは受けた。父親 James Mill は大学を〈貴族の社交場〉として軽蔑していた。

 3歳からギリシャ語、聖書よりギリシャ古典、13歳から経済学を学ばされた。
休日はなく、学校へも行かされなかった。14歳でフランス留学。
15歳でベンサムから影響を受け、功利主義立法を目指す運動に参加した。
17歳で東インド会社に就職した。
20歳で鬱病になった。功利主義による将来設計が瓦解した。功利主義だけでは
生きてはいけない、と、考えるに至った。
ドイツ哲学(カント >>98-102 など)やロマン主義(コールリッジなど)から影響を受け、
感覚を超えた世界を考えるに至った。
24歳で人妻と恋愛関係となり、後に結婚した。婦人参政権問題などに影響。
功利主義者は、女性問題を語ることが多い。

118・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:24
3−2 功利主義を批判的に修正

 「物質的利益のみでなく社会の精神的利益」を唱えた。
 道徳的善や歴史的変化を勘案して、人間の均質性を相対化した。ロマン主義などからの影響。
近代的理性を批判した。
 内面的制裁(良心的呵責。カントからの影響)としての良心的義務感や、「同感 sympathy 」を
重視した。人間の自然的感情。ロック >>69-70 からの影響。
 人間の性格は、環境と道徳的自由の相互作用で形成される、と、J・S・ミルは考えた。
相互作用の場は歴史だと考えた。教育の可能性は信じた。
 直覚による演繹と漠然とした帰納の双方を批判し、蓋然的な経験法則を人間本性と
照合する「逆演繹法」を提唱した。

3−3 知的少数者の権利

 普通参政権と婦人参政権には賛成したが、少数の知的に優れた人には複数の投票権を
与えるべきだとJ・S・ミルは考えた。
多数者は必ずしも自分の利益を正当に判断する能力がない、と、J・S・ミルは考えた。
 専門家の知識を利用するため、官僚制と民主主義の調和をJ・S・ミルは説いた。
 無記名投票は利己的無責任を助長するとして、J・S・ミルは反対した。
普通参政権には教育的効果を狙って、という意味で賛成した。
 優れた少数意見が反映できるよう、比例代表制を支持した。
 民主政治の普遍性を、J・S・ミルは認めなかった。適用可能な社会と不可能な社会がある、
と、J・S・ミルは考えた。しばしば異文化としてのインドに言及したので、東インド会社勤務も
影響しているのかもしれない。

119・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/05/06(火) 03:24
3−4 穏健な自由主義思想

 科学の進歩は歓迎するが、国家が個人へ介入するのをJ・S・ミルは批判した。
 当時の自由主義経済学を支持した。労働者の生活水準は産児制限で向上させるべきだと
考えた。功利主義以前は、経済学は、「王家が儲かるかどうか」という家政学だった。
 社会主義に対する態度は、J・S・ミルは微妙だ。初期には批判的だった。後期にはいくらか
同情的となった。
社会主義には道徳的資質が必要だとJ・S・ミルは考えた。実験的コミューン(労働組合など)は
評価するが、共産主義は画一化をもたらす、と、批判した。当時の平均的ブルジョワジーの
考えを代弁している。

3−5 功利主義の問うもの

 功利主義は〈民衆を含んだ〉初めての政治思想だ。この後、社会主義が台頭する。
イギリスも nation state (国民国家)の時代に入る。旧来の慣習が不適合となった。
ベンサムはイギリス内に限定した功利主義を唱えた。

 人間の普遍性/共通性をどこに求めるか? 人間の質的差異を認めるか?
たとえば学校というものをどう考えるか。子どもには理性がないから人権制限していい、
とされている。これを功利主義で考え直すとどうなるか? 
全人間的に共通するものはあるのか?


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