したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

雑談スレッド

127カマヤン:2003/07/20(日) 03:40
「国体明徴運動」
天皇機関説排撃のため軍部や右翼が起こした政治運動。当時、右翼は軍部から機密費をもらい、
軍部の提灯持ちをしていた。
1935年2月、貴族院の菊池武夫(上杉慎吉の盟友)らが、美濃部達吉の憲法学説を反逆的思想だと攻撃
したことに始まる。美濃部の学説は、国家法人説にもとづく明治憲法の合理的解釈だったが、
政党政治や協調外交のイデオロギー的基礎とみなされ、これを攻撃することによって元老西園寺公望
らの「現状維持派(英米協調派)」に打撃を与えることに狙いがあった。
軍部・右翼が一斉に天皇機関説撲滅に乗り出し、政友会は同年3月国体明徴決議案を議会に提出。
岡田啓介内閣は8月10月の2回にわたって国体明徴声明を出し、機関説を取り除くことを約束した。
この結果、美濃部は貴族院議員を辞し、内大臣牧野伸顕・枢密院議長一木喜徳郎・法制局長官
金森徳次郎らが辞職、また機関説にもとづく書物は発禁処分となった。これ以後、「国体」という言葉は
全体主義的国民統合のための言語魔術として猛威をふるった。
 出典:『ワイド版角川新版日本史辞典』(角川書店、1997年)386-387p。一部加筆。

 上杉慎吉に注目して平たく「国体明徴運動」を言うと、以下のようになる。
欧州留学で劣等感の塊になった上杉慎吉が、オレは惨めな存在だが、天皇という君主制があるから
日本は素晴らしいんだそう信じさせろ、そうでなくちゃオレが惨めすぎる、と、右翼思想に転んで
思想的自慰をしていたわけですが、美濃部の合理的学説と喧嘩して当然敗北。
上杉慎吉は学界で少数派扱いされる。
学問の世界では負けたので舞台を国会に移し、右翼にぎゃあぎゃあ騒がせてヒステリー状態を作らせ
学問的には正統だった美濃部説を国会で政治的に潰し、その上右翼により美濃部へのテロまで
行わせた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板