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正義の火種 〜 除名は終わりではない 〜
17
:
太ちゃん★
:2015/11/23(月) 00:11:59
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19799
正義の火種15 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時01分22秒
組織に流れていた異様な空気の意味が形として現れだしました。
各本部長、書記長、関わったメンバーに、神奈川文化から連絡がきました。
東海道指導監査委員会であります。
皆クタクタでした。
私は、行かなくていいと、言った位です。
皆の生命は、いつ魔に喰われてもおかしくない状況まで、追い込まれていました。
今まで、子供の頃から創価の庭で育った人間からすれば、いくら先生を失った組織だとわかっていても、組織に逆らうことは、相当な覚悟がない限り、厳しいのが現実です。
皆、順に神奈川文化へ行きました。
幹部の都合のいい情報によるシナリオから、偏見をもった委員会が彼らを苦しめました。
皆、先生と自分に自信を失いだしていました。
一人のメンバーは、神奈川文化から連絡がきた時、呼び出しを拒否しました。するとその電話主の神奈川文化会館事務長は「来ないと処分する」と彼を脅しました。
学会の弁護士をやっている方が言うには、
組織で問題を起こした手に負えない人間を、幹部が作ったシナリオに当てはめて、さも公平な第三者機関が裁いて決めたと、皆にアピールするための委員会であるとのことです。
委員長いわく、ここは会長から任された、正式な指導をする所らしいです。
私は最後に呼び出されました。
内容を話すのも馬鹿馬鹿しい位、法と先生に背いた指導でした。
一つ紹介すると、
委員長「内部に敵はいない」
多分この委員長は、人間革命を読んでいないのでしょう。
指導をしてやろう、委員会で囲んでコテンパンにしてやろうという意図が見え見えでしたが、
私は全てに、真実と先生と御書で破折し、委員長が「君はなんでも言い返すね」と、なんの断罪もないまま委員会は終了しました。
私は最後に言いました
「この内容録音してますよね?録音の全てを圏の四者の皆さんに聞かせてあげてください。皆様は必ず真実をわかっていただけるでしょう!」
18
:
太ちゃん★
:2015/11/23(月) 00:18:42
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19800
正義の火種16 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時02分38秒
東海道指導監査委員会以降、今まで私の言ってることは間違ってないと言っていた幹部が一転、私に関わるな、会合に呼ぶな、御書の捉え方が違う等、私の周りに徹底をしてきました。
7月、私は会館に呼ばれました。
県長より指導監査委員会の結果を告げられました。
圏男解任。そして、今日から君は壮年部だと、一方的に告げられ。
何を言っても黙ったまま、目の前にいるのに全くの無視でした。
今まで処分を言い渡される度に、県長とは会っていましたが、対話をしたことはありません。
まさに人間の形をした脱け殻でした。
本部長やメンバーの家族が次々に幹部から会館に呼び出されました。
私の家族も呼ばれましたが、誰も行こうともしませんでした。
そしてある夜、母親は地区部長会があるからと、出かけ、私もメンバー等と食事に出かけました。
店に着いた頃、母親から電話がきました。
周りからは唱題の声が聞こえました。
話の内容は、母親が会館に着くと、県長と県婦人部長等がきて、言われたのが、
「今日は息子さんの処分を発表する会合です。お母さんには辛いでしょうから、帰っていただいて結構です。」
母親は「そんなのデタラメです。あなた達は息子に会いましたか?話しましたか?何もしないでただ、処分することだけを上に言われるがまま決定して!私はそんな人たちが言うことなんて、何を聞いても平気です。私は参加します!」
これが、先生の言われる創価の婦人部ではないでしょうか。
「一人で参加してくる!」
母親の決意の言葉を聞き、一人の息子として、一人でそんな辛い会合に参加させたくないとの思いから、
「俺も行くよ!一緒に参加して、くだらない発表を聞いてやろうぜ!」
と、電話は終わりました。
私はメンバーに事情を話しました。
二人のメンバーが、私の母親に同苦し、一緒に参加すると言い出しました。
私達は会館に向かい、会場に入り、参加者側に座ろうとしました。
すると支部長、壮年本部長、県青年部長に取り押さえられました。
そしてなんと、壇上にいるのは「ご一家の名誉回復に全力で努めます」と謝罪までした総県長でした。
総県長は「何しに来た!!出ていきなさい!!」とマイク越しに怒鳴ってきました。
私は、会場から追い出されながら「あなたは汚い、嘘ばかりじゃないか!」と叫ぶのが必死でした。
ちなみに私を取り押さえたのは、私が創価班大学校生だった当時、圏委員長、圏男をやっていた支部長達でした。
会合が終わり、総県長はあえて私がいない出口から、足早に会場を出ていきました。
私は後を追いました。
もし総県長が正しいのなら、獅子王の如く振り返り対峙し、皆の前で私を呵責すればいいではありませんか。
それも出来ず、以前、謝罪までさせられた事に怖れをなし、総県長は、終始背を向けて逃げていきました。
まさに、『修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し』の、そのままの姿でありました。
総県長は、私が会場から出された後、こう参加者に言ったと、ある婦人から聞きました。
「あいつはこういう男なんです!!」
私は母親を出口で待ちました。
私には、子供の頃からお世話になった壮年婦人の方がたくさんいます。
そんな方々が、今まで見たこともない相で、私を見て帰っていきました。
そんな中、私の所へ来て、涙を流し、言葉をかけてくれる婦人がいたことには、今でも感謝しております。
私が帰宅すると、母親から話を聞いていた父親が私に「ごくろうさん!」
と激励してくれました。
19
:
太ちゃん★
:2015/11/23(月) 00:22:00
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19801
正義の火種17 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時03分56秒
その頃、私に関わった本部長等、主要メンバーが一人一人呼び出され、誓約書を書かされました。
書かないメンバーは解任、降格処分になります。
組織を混乱させた等の謝罪と、組織についていきます、との内容である。
大半のメンバーが書きました。
親をまるで人質にしたかのように、組織は家族を利用し青年を苦しめ、悪鬼が蹂躙するこの組織に、皆を取り込んでいったのです。
私は壮年部員になりましたが、活動は当然止められました。
誓約書を書かずに、組織から解任、または組織から相手にされなくなったメンバーと、自然に唱題会が始まりました。
しかしこれも、2ヶ月位で 県長から注意されてなくなりました。
そしてそれから間もなく、神奈川文化から封筒が届きました。11月24日のことです。
内容は、解任時と全く同じ処分内容で、県より除名申請がきているので出頭しろとのことでした。
20
:
太ちゃん★
:2015/11/23(月) 00:28:40
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19802
正義の火種18 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時05分25秒
私は神奈川文化への出頭はせず、手紙を送りました。、
証人を立てて、当事者同士が話し合う場面があれば真実を証明できます、と。
そして、平成24年12月17日神奈川監正審査会から、除名通知が届きました。
直ちに私は、不服申立書を指定された学会本部に送り、舞台は、以前投稿させていただいた、本部監正審査会の内容となります。
話はそれますが。
9月に、以前「増上慢」発言をし、青年と親の間を、自身の保身の為に家庭訪問をして引き裂いた、婦人部幹部の夫である副県長に会いました。
目上の人に対して、メールの内容を見たが君は酷いと言われたので
「どんな内容ですか」
と聞くと、
「…実際そう聞いただけでメールを見てないからわからない」
と言われ、
私が
「組織の発表が間違いで、私が言っていることが、真実だったら、また会合を開いて発表してくれますか?」
と聞いたら、副県長はすかさず言われた。
「君の言うことが真実でも、組織が間違いでしたなんて絶対に言えない。みんなが組織に不信になる」
こんな幹部こそ組織を不信にさせます。
一人を大切に。
副県長には全くこの心はありません。
さらに遡り解任直後の8月、総県男に久しぶりに会いました。
もう、話すと言っても、最悪な形で処分は決まった後です。
しかし総県男とは、やはり一番話しやすかった。
地区リーダーの頃から私は、幹部の傲慢さ、また先生の指導に逸脱した振る舞いに、必ず噛みついてきました。
当然、あらゆる責任を受けきり、全うして結果も出した上での話です。
だからと言って、結果なんかなくても、おかしい幹部がいれば、先生の御指導通り叫んでもきました。
そんな頃から、常に総県男とは学会の事についてよく話してきました。
私にとって、総県男はそういう存在でした。
この問題が起きてからは、会う度に、目を覚ませ!目を覚ませ!と真剣に対話してきました。
信頼していただけに、総県男の言葉には、今まで色々驚かされました。
「総県長と神奈男がなにやら画策している、色々と裏をとりだしたぞ」
という情報をくれたり
「総県長の言ってることがおかしいから録音しようかと思ってる」
と言ったりです。
そして会うと最後には必ず「わかったよ」と決意して帰っていきました。
単純な私は、何度総県男の決意を信じたことか。裏切られたことか。
そして、その日総県男の言った言葉が、組織が正しかったのか、私が正しかったのか、全てを物語っていました。
「おまえはどこまでも先生と御書だったけど、俺は保身だったよ」
21
:
太ちゃん★
:2015/11/23(月) 00:34:00
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19804
正義の火種19 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時08分41秒
最初はどこの組織でもあるようなことでした。私は単純に、
「そうだね、組織の打ち出しがどうだろうと、これからは先生の言われてる通りにやろう」
と、発端となった圏長、圏婦人部長との対話の時に、そう言ってくれると信じていました。
先生よりも組織
信心よりも運営
私は、この二点に逆らいました。
先生を無視した組織信仰を、私は爾前迹門と呵責しました。
先生の指導を読み、学び、行動し、これを皆と共有する。
この当たり前のことを、監正審査会は、「独自の組織活動論」と断定しました。
そしてこの組織悪に同座することなく、従うことなく、師弟を失わせない一点に心を定め、言論戦を展開しました。
いくら組織信仰で結果を出しても、悪しき幹部に供養することにしかなりません。悪を倒すことなどできるわけがありません。
法華講員がいくら多くの折伏の結果をだしても、法主信仰は変えられません。
それを変えようとしただけで、いくら貢献してきても、破門になります。
学会も、全く宗門と同じです。
この一年、先生の指導にたくさん出会い、たくさん色読しました。
『革命の炎を燃え立たせたのは僕ではないか。
その正義の炎に対抗する逆焔も僕が煽ったのだ。
その僕の動きを止めようとは何という心得違いか。
僕がいなければこの炎は千年たってもなかったことだろう。
その僕を抑えて時を待つなど、何年たっても何も変わらない。
僕さえいれば、この炎はいつでもある。
忠義というのは鬼のいない間に茶を飲むようなものではない。
僕が息をひそめれば炎も小さくなる。
僕が再び立てば、炎も再び大きく燃え上がる。
革命の火種としての自負をもつのだ。
僕が立てば反動も大きい。当然ではないか、僕こそ革命の当体なのだ。
炎を広げるには「火種」を第一に守り抜いていくこと。
革命の為の人生なのか、人生の為の革命利用なのか』
私の戦いはこの指導にある。
広宣流布のための人生なのか、人生の為の広宣流布利用なのか
仏と魔との闘争は、永遠です。
悪人がいなくなることはありません。
仏に怖じて悪人が黙って何もできないか、
仏が追いやられて、悪人が自由に好き勝手やるのか。
あえて先生は、自身をおさえ、弟子が仏となるのを厳しく見つめられているのではないかと、勝手に思っています。
約一年に渡る事を端的に書きました。
これが真実です。
最後になりますが。
闘争中、こんな私の事を理解し、同苦し、支えてくれた妻や子供に、私はとても感謝しています。
組織がいかなる汚い手をつかっても、真の一家和楽は崩すことができませんでした。
当たり前です。これが弟子です。
私の体験は以上です。
ありがとうございました!
(終)
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