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解脱の悟りに続きはあるのでは?
79
:
慧空
:2015/02/17(火) 11:27:39
soraさん
こんにちは
はい、お話し、私でよろしければ喜んでお相手させていただきます。
私が大悟を得る少し前のことを少しだけお話ししますと、
私の場合は、大悟が訪れる前には既に、自分自身も含めてすべては考えなんだということが附に落ちていたので、
soraさんのような球体とかエネルギー等のイメージはもう無かったのです。
そのときはもう既に起こってくる考えも少なくなっていたので、
内観をしていても、余り考えは起こってこず、時折、ぽわっ、ぽわっと起こってくるだけだったのです。
そして、そのぽわっ、ぽわっと起こってくる考えを観察しているとき、
その考えに意識を向けると、私という感覚や意識が欠落し、その考えそのものが私になっていることに気づき始めたのです。
大悟前は、そのような感覚は時々しか訪れなかったのですが、
どうやら、これは本当にそうらしい、つまり、考えそのものが私なんだということがうっすらと分かってきたのです。
そうしているうち、ある日、朝起きて気が付いたら、「観るもは観られるもの」になっていたのです。
そして、昨日までハートの中心にあった「私」という感覚もすっかり無くなっていたのです。
大悟後は、暫くの間は、四六時中「観るものは観られるもの」の状態になっていました。
例えば、目の前のパソコンに意識を向けるとパソコンが自分そのものになるし、
窓の外に目をやると、その風景が自分そのものなり、
また、自分の内面に起こってくる思考(考え)に意識を向けると、その考えそのものが自分になるという具合で、
内も外も、いたるところ、意識を向ければそれば自分そのものになってしまう状態でした。
それで、自分とは考えそのものであると同時に、それをつくりだすスポットライトのようなものだと思っていました。
そもそも自分という実体的なものは無くて、そうやって、次々と考え(認識)をつくりだしていく、
スポットライトのような意識の連鎖があるだけなんだということを理解したんです。
以上、私の大悟の前後の感じはこんな感じでした。
ちなみに、現在の私はまたかなり違った感覚です。
うまく表現できませんが、基本的に、自分のことも含めてすべてが他人ごとような感じで、
どうでもよくなっているのです。
私の周りで起こる出来事も、私自身に起こってくる感覚、感情、思考も、
すべて単なる現象が起こっているだけで、ただ起こってきて流れ去っていくだけのものだということが腹の底から附に落ちているんです。
何の執着も無いのです。
もちろん、子供に対するかわいいとか、大切だという感情や思考は起こってきますよ。
でもそれらの感情や思考はただ起こってきているものなのです。
そして、流れていくものなのです。
ですから、正直なところ、明日の自分が子供たちに対してそういう感情や思考を起こすのかは、
まったく分からないのです。
だって、ただ起こってくるものだから、どういう考えが起こってくるのか分かるはずがないのです。
いまは、このように、ただ起こってくる展開(流れ)に身を任せるようにして生きています。
>そしていま、無限の広がりの中を意識が漂っている感じです。
>感情の浮き沈みも?で
>感情をかすかに伝わって来てそれを感じて眺めている様です。
>はっきりした何かは特に感じず、認識はしています。
うまく言えませんが、まだ曖昧な感じがしますね。
徹底的にご自分に意識を向けられ、soraさんという存在とは何なのかを観察、追求して頂きたいと思います。
特に、五感と意(意識の意です)に対する認識から展開していく、考え(認識、そして感情や思考)の連鎖を注意深く観察してみて頂きたいと思います。
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