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解脱の悟りに続きはあるのでは?

66慧空:2015/02/16(月) 14:07:42
soraさん

>>「私」に対するご理解がまだ曖昧
>と、おっしゃる、この部分をどうしたら良いのか解りません。

まあ、そう焦らないでください。
この辺りの理解はそう直ぐにはなんともなりません。
ある程度は時間がかかるのだろうと思います。

>執着もそうですし、考えについても、こうしないといけない等の考えは持っていません。

soraさんは、ずっと内観をされていたのですね。
だから、私という自我がまだあることもお分かりなのですね。

それで、私という自我が握り締めた考えである執着や囚われについてですが、
soraさんがもう無いし、見つからないと仰るのはとてもよく分かります。
私自身もまさにそうでしたらか(私の体験談について興味がお有りでしたら、ブログの右端のカテゴリにある体験談をお読みください)。
でも、何かまだモヤモヤとしていてスッキリしないと感じがおありなのだろうと思います。
だから、こうやってこの掲示板にも来られたんだと思うのです。

結論から言いまして、soraさんはまだ何か握り締めた考えを持っておられます。
間違いないです。
どうしてそんなことが分かるのかと言われると困るのですが(笑)、
分かってしまうのです。
でも、おそらくですが、soraさんが握り締めている考えはだいぶ少なくなっているのではないかと思います。
そのように、握り締めている考えが少なくなってくると、ちょっとやそっと内観をしても、
簡単には見つからないのです。
思いも寄らない盲点のようなところにあったりしますから。
それに、囚われを探そうとすると、その探そうとする意図が却って邪魔になって、私という存在の核心部分から逸れてしまい、
余計に見つかりません。

ですから、探そうとしないで、まずは辛抱づよく、「私」に意識を向けることから始めて頂きたいと思うのです。
「私」に意識を向け続けていると、あるとききっと、ぽろっと、残り少なくなった囚われに気づくときがきます。

私などは、「解脱しなきゃ」とか、「解脱の実感がほしい」という考えを握り締めていたのですが、
自分がその考えを握り締めていることに気づいたのは、解脱の悟りを得るほんの数日前でした。
その囚われに気づいたとき、余りの可笑しさと自分の愚かさに、30分くらい笑っていました。

大悟後にする、私に意識を向ける自覚は、本当にやりにくくて難しいのです。
結果を急ぐお気持ちは分かりますが、ぐっと堪えて、粘り強くやって頂きたいと思います。


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