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★聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★

1カトリックの名無しさん:2022/05/24(火) 12:49:43
秋田県秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会、秋田の聖母マリアについてお話しましょう。
秋田の聖母マリアのメッセージとは、101回の涙の意味、共にお話しましょう。

★秋田の聖母マリア
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

前スレ
★聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1632563801/
★聖体奉仕会2〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/
★ 聖体奉仕会〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1435744378/

282D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/21(水) 15:59:01
★☆★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
>>273-281よりつづく>522-529よりつづく。私たちキリスト者は、
天地万物の創造主でおられる神さまが、人祖アダムとイブをとおして
私たち人類に知恵(善悪の知識)の樹の実を食べさせてくださったばかりでなく、
世の終わりの時には、すべての人にではないが、
神さまがお選びになったおそらくは全人類の3分の1の人々に対して、
命の木の実-永遠の命さえもお与えくださり、
神の子としてくださるご計画があるということを、
聖書の御言葉をとおして信じています。

主イエス・キリストの御名を信じていただく救いとは、
第一義的には天地万物の創造主でおられる全知全能の神さまとの
親しい交わりの関係を回復することであり、
それは主イエス・キリストが十字架上の死と復活をとおして
私たち人類に示してくださった神さまの愛を信じ、
そしてその愛を受け入れいただくことで、
人祖アダムとイブが善悪の知識の実を食べたことで生じた
天地万物の創造主でおられる全知全能の神さまからの
離反という原罪に支配された状態から、
私たち人類を解放していただくことでした。

私たち人類は人祖アダムとイブが知恵(善悪の知識)の樹の実を食べたことから、
世界のもっとも善いものからもっとも悪いものまで、
ありとあらゆるすべてのことを知り、峻別し、行う能力を獲得しました。
その結果、歪んだ自己愛と際限のない自己本位な欲求・欲望の発露、
そしてそこから生じる事物事象に対する-自身も含めた世界への
懐疑のこころの芽生えによって、天地万物の創造主でおられる
全知全能の神さまを信頼し従い信じる心、すなわち信仰心を喪失して、
神さまが警告したとおり神さまと私たち人類との関係は、
親しい交わりを失った「死んだ関係」になってしまいました。>>283>534へつづく

283D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/21(水) 16:00:27
>>282よりつづく>533よりつづく
★☆★神は、すべての人が救われて、
   真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
神さまとの親しい交わりの関係を喪失した私たち人類は、
神さまから心を背け「的を外した」見当違いな方向へさまよいでて、
自らを「神」の座に着けるようにさえなり、いまや滅びの賭場口に至って、
神さまが「必ず死ぬ」と警告されたとおり、
本当に「死にかねない」ような状況にあります。

もちろん形式だけの交わりのない「死んだ関係」では
魂が死んだ状態にあるのは当然のことであり、
行き着く先は魂の滅びしかないということは言うまでもありません。
「むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」
(マタイによる福音書10章28節)

聖書の御言葉はそのような
天地万物の創造主でおられる全知全能の神さまから離反するという
原罪に支配された私たち人類の姿を
「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。
 すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。
 善を行う者はいない。だれ一人いない」(ローマの信徒への手紙3章10節〜12節)

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」
(ローマの信徒への手紙3章23節)

「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、
 罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。
 すべての人が罪を犯したからです」(ローマの信徒への手紙5章12節)
と語って示しています。
>>284>535へつづく

284D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/21(水) 16:02:55
>>283>534よりつづく
★☆★神は、すべての人が救われて、
   真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
神さまの御一人子主イエス・キリストは、
そのような神さまからの離反という
原罪の支配から私たち人類を救い出すために、
この世に降りてきてくださったのでした。

神さまの御一人子主イエス・キリストは、
私たち人間が天地万物の創造主でおられる唯一の全知全能の神さまにより、
神さまご自身の姿に似せて、かけがえのない価値あるものとして、
愛をもって創造されたことを、自らの十字架上の死と復活をとおして
示してくださったのです。

聖書の御言葉に
「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、
 価なしに義と認められるのです。」(ローマの信徒への手紙3章23節〜24節)

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、
 わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
 ここに愛があります」(ヨハネの第一の手紙4章10節)

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、
 人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」(テモテ第一の手紙2章4節〜5節)
とあるとおり、まさしく主イエス・キリストは、
罪のない、神さまの御一人子として、この世を救うために、
この世に降りてきてくださったのでした。ほんとうにアーメンです。
>>285>536へつづく

285D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/21(水) 16:06:59
>>284>535よりつづく
★☆★神は、すべての人が救われて、
   真理を知るようになることを望んでおられます★☆★

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである」(ヨハネによる福音書3章16節)

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」
(マタイによる福音書9章13節)

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」
(テモテ第一の手紙1章15節)


★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518 
 

★先日24年2月13日のレスポンス→◆Seitai4-58★☆★終末の大戦は神さまの御心にかなった避けられないもの★☆★
                            →>>271-272

★先日24年2月19日のレスポンス→◆Seitai4-59★☆★主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる★☆★
                            →>>273-281

★本日24年2月21日のレスポンス→◆Seitai4-60★☆★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
                            →>>282-285

286カトリックの名無しさん:2024/02/21(水) 21:00:46
>>285よりつづく

★Blessed Assurance // Sounds Like Reign
 Sounds Like Reign チャンネル登録者数 64.3万人
 https://www.youtube.com/watch?v=flvXXJqB7Q0

287カトリックの名無しさん:2024/02/26(月) 14:12:37
<聖書の中で>
新約聖書の中の福音書を読んでみると、イエス様と出会い救いにあずかった人たちは、
みなこの「心の貧しさ」を持った人ばかりです。
・ 人々からローマ帝国の手先、売国奴と呼ばれていた徴税人は、
胸を打ちながら「神様、罪人の私を憐れんで下さい」と祈りました。(ルカ18:13〜)
・ 中風の僕の癒しを求めて来た百人隊長は、
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎え出来るような者ではありません。
ただ一言おっしゃって下さい。」と言いました。
(マタイ8:8〜)
・ 娘を救いたい一心で、フェニキアの女性はユダヤ人との人種的差別を越え、
自分を子犬になぞらえながら「主よ、しかし子犬も食卓の下のパンくずは頂きます。」
と主の救いを求めました。(マルコ7:24〜)

<心の貧しさとは>
 それは、人間性が貧しい、人格的でない、教養がないという意味の貧しさではありません。
それは、自分の内に何か誇るべきもの、富むものを持っていない状態、
謙遜さよりもっと魂の打ち砕かれた状態、聖なる、全知全能の神様の前で、
自分には誇るべきもの自己主張すべきものを全く持っていない、
という自己認識、全てを神様にゆだねて生きていくという心の貧しさです。

生まれながらの人間は、神に対して無知であり、罪に対しては無力な者

使徒パウロはまことの神を知らずに歩んでいる異邦人のことを、
「知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、
神のいのちから遠く離れている」(エペソ4:18)と述べています。
すでに神のいのちにあずかった教会に対して、ヨハネは「あなたは、自分が富んでいる、
豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、
哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」と戒めています(黙示録3:17)。

ちなみに、ルターは62歳でこの世の生涯を閉じましたが、
彼が死ぬ二日前に小さな紙にこう書いたそうです。
「私たちは神の乞食だ。そしてそれは真実なのだ。」
新約聖書と旧約聖書を渾身の力をもって
自国語であるドイツ語に訳した人のことばです。

288D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/27(火) 19:39:50
>>285 >>286よりつづく
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
私たち人類が、天地万物の創造主でおられる唯一の全知全能の神さまから、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたのち、
神さまの庇護のもと-いわば神さまの懐(ふところ)ともいえた、
エデンの園から外の世界へ歩みだすこととなったのは、
聖書の歴史記述に従えば、おおよそ紀元前4000年より以降のこと。

そして私たち人類が、主イエス・キリストの十字架上の贖いの死と復活をとおした
神さまからの救済の啓示を受けてからのち、
今日までに過ぎ去った年数が紀元後の約2000年間。

私たち人類は、天地万物の創造主でおられる唯一の全知全能の神さまから、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたのち、
神さまの保護下にあったエデンの園から巣立って、
現在の地上の世界に生きるようになり、
少なくとも約6000年が経ったことになります。

神さまは私たち人間が、ほかの動物のようにではなく、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」
創造主である主なる神さまを愛し、そして被造物である人間同士が互いに愛し合う、
いわば相思相愛の信頼で結ばれた関係を私たち人間に望まれたほどに、
私たち人間を深く愛してくだいました。それゆえに、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べることを許されました。

私たち人類は、知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたことで、
ほかの動物のように本能のまま、神さまの思いに支配されて愛するのではなく、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」愛することのできる存在、
すなわち意志と思惟する心を有する自己意識をもった主体的存在として、
持てる力、全能力をもって愛を全うするよう、神さまから望まれる者となりました。>>289へつづく

289D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/27(火) 19:41:42
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>288よりつづく 
それは愛そのものでおられる神さまの似姿として
創造された人間の本来あるべき姿ともいえるのかもしれません。

しかし人間は知恵(善悪の知識)の木の実を食べてしまったことの罪を
アダムはイブに着せ、イブは悪魔である蛇に着せ、
アダムとイブのいずれも自らの犯してしまった罪を認めず、
創造主である主なる神さまのまえに犯したその罪を悔い改めませんでした。

もしアダムとイブがそれぞれに食べてしまった罪を神さまのまえに認め
悔い改めていたならば、神さまはおそらくお赦しになり、
その後もエデンの園で暮らしていくことになっていたかもしれません。

知恵(善悪の知識)の木の実を食べることで、
ことの善悪に目が開かれ、自我の芽生えに生じた罪意識、
それに対比される神さまの清さから、
自身を創造してくださった神さまの愛そのものを疑い、
神さまを避け離反するようになってしまうほどの負の作用を、
彼らアダムとイブに与えてしまったということなのでしょうか。

言い方を変えるならば、
アダムとイブがエデンの園から
出ていかざるをえなくなるほどに、
彼らアダムとイブが,
知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで
被ったダメージは大きかった、
ということなのかもしれません。
>>290へつづく

290D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/27(火) 19:42:29
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>289よりつづく
私たち人類は、神さまの庇護のもとにあったエデンの園から巣立って、
今日の地上の世界に生きるようになって、
聖書の御言葉にもあるように、様々な苦しみや悲哀、
恐れや恐怖に苛まれるようになり、実際のところ、
現在もそのような様相にあるわけですが、
それはひとえに知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことにより
アダムとイブのうちに生じた負の作用が、
私たち子々孫々に至るまで受け継がれていることに起因しています。

私たち人類は、知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで、
知性を発達させ知識が増大するとともに認識の領域を広げてきましたが、
一方で神さまを信頼し受け入れる信仰の領域は狭まるばかりでした。

知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで、
アダムとイブのうちに生じた懐疑の心は思惟する心を生み出し、
自我が芽生えて形成された自己意識は主体と客体の分離を生んで、
神さまを心の内から外へ閉め出すようになります。

ですからアダムとイブに生じた神さまからの離反は、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことによって生じた
必然的な負の効果であって、それは避けられなかったことであり、
だからこそ、神さまは「必ず死ぬ」と警告もされたわけで、
現に私たち人類は自滅しかねない状況にもなっているのです。
しかしそのような危機に至ることも全知全能の神さまは
おそらく予見しながらもそれでもあえて
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせてくださったその理由は、
繰り返しになりますが、やはりそれほどまでに→>>288
人間を愛してくださっているからということなのでしょう。>>291へつづく

291D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/27(火) 19:44:00
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>290よりつづく
私たち人類が、神さまの庇護のもとにあったエデンの園から巣立って、
今日の地上の世界に生きるようされたのも、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」
神さまを愛するように、また同様に隣人を愛するように、
と願われる神さまの御心があるからこそであります。

私たち人類が神さまの庇護のもとにあった
エデンの園から巣立って少なくとも約6000年。
人類はその歴史上、ただの一度も戦いが止んだことはなく、
血塗られた殺戮の歴史という言葉もあるとおり、
連綿とつづく罪の連鎖により悪はますます増大しつつあるというところが、
偽らざる現実でありますが、
そのような世界にあっても救いたりえるのは
主イエス・キリストの御名を信じる私たちキリスト者には、
御国が用意されているということです。

主イエス・キリストがご再臨される、世の終わりのときは、
御国が到来し、永遠に生きる朽ちない肉体をいただいて、
もはや泣く声も、叫び声も聞かれない、悲しみも苦しみもない
天地万物の創造主でおられる全知全能の神さまに栄光を帰して、
賛美しながら生きてゆく至福の世界となります。
ほんとうにアーメンです。

「わたしをお遣わしになった方の御心とは、
 わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
 わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
 ヨハネによる福音書 6章39節〜40節  >>292へつづく

292D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/02/27(火) 19:51:16
>>291よりつづく★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518 
 
★本日24年2月27日のレスポンス→◆Seitai4-61★☆★★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
                            →>>288-292

★先日24年2月21日のレスポンス→◆Seitai4-60★☆★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
                            →>>282-285

★先日24年2月19日のレスポンス→◆Seitai4-59★☆★主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる★☆★
                            →>>273-281

★先日24年2月13日のレスポンス→◆Seitai4-58★☆★終末の大戦は神さまの御心にかなった避けられないもの★☆★
                            →>>271-272

★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである」(ヨハネによる福音書3章16節)

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」
(マタイによる福音書9章13節)

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」
(テモテ第一の手紙1章15節)

293D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:27:07
>>292からつづく
★☆★神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、
   主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた★☆★
神がいらっしゃるのなら、どうしてこの世に戦争や貧困などで、
苦しまなければならない人たちがおられるのか。
一見平安なように見えるこの国においても直視すれば、
さまざまな苦しみや悲しみに満ちており、
不条理極まりない陰惨な世界ではないか、と。
非キリスト教徒の方々はそう言われます。

しかしキリスト者は知っています。
この世がどうしてこれほどまでに
「不条理で無慈悲」な「人生の苦悩」に満ちた世界なのか。
それは私たち人間が神さまの前にあまりに罪深いから。
生まれながらに持っている
罪の性質-「原罪」のためなのだということを。

先日もレスしたとおり、生まれついたままの私たち人間は、
罪のうちに生まれ、罪のうちに生きる、
心のうちに思うことは悪に満ちており、
聖書の御言葉によれば
「人の心は何よりもねじ曲がって-陰険であり、
はなはだしく悪に染まって-病んでいる」
そして「それは直らない」と。

全的堕落の状態にある私たち人間の罪深さは、
上の問いかけで非キリスト教徒の方々が認めたように、
この世の凄惨なありようをごまかすことなく、
ただ率直にありのままに見る目さえ持っていれば、
本来、誰の目にも明らかになるはずのことです。>>294へつづく

294D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:27:50
★☆★神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、
   主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた★☆★
>>293よりつづく
ですが非キリスト者の方々は、
この世のあまりに「不条理で無慈悲」な
「人生の苦悩」に満ちた世界であることは認めることはできても、
その原因が私たち人間存在のありよう
そのものにあるというところをどうしても認識できない。

私たちの人祖が知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいて以降、
神さまに依り頼まず自らの義を打ち立てようと、
神さまから離反してうつろいさまよい歩んできた、
聖書の御言葉によれば6000年に及ぶ人類の歴史。
神さまの前に全的堕落の状態に至った自らの罪深さをもはや認識することも、
心のなかへ神さまにお出でいただくスペースを失って、
叶わなくなってしまったのでした。

そもそも神さまの前にある人間の罪深さは、
心の持ち方を変えれば、世界に対する認知・認識を変えさえすれば解決する、
というような心的作用の結果としてあるのではありません。
そして祓い落としさえすればよい、とするような、
私たち人間の人性に根差さない表層的なものでもありません。
神さまの前にある私たち人間の罪深さは、
私たち人間存在そのものに深く根差した本質的な問題なのです。

ゆえにキリスト教は、
「苦しいと思うから苦しいのです」
「苦しいと思う自我への執着から解き放たれなさい」
というような自力に依拠したある種の心的境地に達することで、
この「罪」から逃れ、あるいはまた解決できるとは考えていません。
>>295へつづく

295D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:28:51
★☆★神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、
   主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた★☆★
>>294よりつづく
私たち人間のパーソナリティに深く浸食した「原罪」-罪の傾向は、
神さまが警告し、悪魔がそそのかしたとおり、
人間は「神さまになれる、神さまになろう」と「万人の万人に対する闘争」が常態化し、
いまや自らに「破滅」を招き寄せようとしているのでした。

そのような遠く神さまから離れた全的堕落の状態にある人間を救うために、
自ら全人類の罪を背負い贖うために約2000年前、この地上にお出でくださったのが、
天地万物の創造主でおられる全知全能の主なる神さまの御一人子、
わたしたちの主イエス・キリストでした。

天地万物の創造主でおられる全知全能の主なる神さまの御一人子
主イエス・キリストを信じる人びと、
すなわち主イエス・キリストを信頼して受け入れ、
神さまの愛に住んでいただき活かされ生きる人々には、
世の終わりのとき、主イエス・キリストと同じ復活体のからだに甦らせていただいて、
神さまの御国で神の子として永遠に生きる恵みに与からせていただけるのでした。

ですから非キリスト者の方々も、
天地万物の創造主でおられる全知全能の主なる神さまの前にある
自らの罪深さを自覚して、自力で自らを救うことはできない、
主イエス・キリストからいただく一方的な恵みに与からせていただく、
という信仰の決心さえ持てれば、救っていただける希望をもつことができるわけです。

神さまが教会の受洗名簿に名前が載っているどうか、
で救うか救わないかを判断なさるわけもなく、
要は主イエス・キリストの御名を信じる信仰に歩んでいるかどうか、なのですから。
>>296へつづく

296D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:32:28
★☆★神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、
   主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた★☆★
>>295よりつづく
ただ、この世のあまりに「不条理で無慈悲」な
「人生の苦悩」に満ちた世界であることは認めることはできても、
その原因が私たち、もちろん自身も含めて人間存在のありよう、
そのものにあるというところをどうしても認識できないできない人々というのは、
おそらく神さまを慕い求める心をもっていない、
神さまを敬い、あがめる心がないので、神さまに心を開いてもらうこともかなわず、
神さまの前にある自らの罪深さを自覚することもないまま、
主イエス・キリストからいただく救いの恵みを
否定してしまうことになるのではないか、と思われます。

そしてそのような方々は、いまや世の終わり-終末の時を迎えるに至って、
いわゆる洗礼の恵みに与かったクリスチャンのなかにさえ、
見受けられるというのも、また悲しいことではありますが事実であります。
そのような似非キリスト者の人々は
「行うから救われる」「行わなければ救われないよ」と
信仰によっていただく救いの恵みを否定して、盲人が盲人の手引きをして、
ともに穴に落ち信仰の失格者となるような裁きを自らに招いています。

私たち人間の行いがどんなに悪いか、
神さまの御心に叶った良い行いなどまったくできていないがゆえに
この世がこれほどまでに「不条理で無慈悲」な「人生の苦悩」に満ちた世界に
なってしまっている現実を、彼らは不信仰のゆえに認めることができません。
お伽の国のお花畑に住んでいる彼ら似非キリスト者は、
自分が正しい行いをしており、そしてこの世は完成に向かって
より良い世界になりつつあると思い込んでいますが、
現実は彼らの認識から全く乖離しているのでした。
>>297へつづく

297D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:46:37
★☆★神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、
   主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた★☆★
>>296よりつづく
そのような人たちは、神さまを信じているとうそぶきながら、
その実、神さまを慕い求める心を持たず、ゆえに神さまを知らないまま、
神さまを信頼して受け入れるということがない人々です。
そのような人たちは、神さまの前にある自らの罪深さを自覚できないので、
悔い改めることもできず、謙遜を装うように見せかけながら
自分本位の「行い」によって自らの義を打ち立て、
自らを誇ろうとするようになるのです。

神さまが求める正しい、良い行いとは、
聖書の御言葉にあるとおり、神さまの御心に叶う行いのことです。
ですからいつでも神さまに祈り求めて、
神さまの御心がどこにあるのかを
教えていただくようにしなくてはなりません。

神さまの御心に叶う行いとは、端的に申せばすなわち愛のある行い、
大切なことは行いにどれだけ愛をこめることができるか、ということですが、
はたして「行い」によって救われるという
「行為義認」を求める信仰の失格者の人々の行いに神さまの御心に叶った愛が
どれほど込められていることでしょうか。
神さまを慕い求める心をもたない彼らの行いに神さまの御心はありません。

神さまを慕い求める心-神さまを敬い、あがめる心をもつ人は本当に幸いな人です。
そのような人の心に神さまは触れて開いてくださり、
神さまの御一人子主イエス・キリストを信じて受け入れ、
神さまの前にある自らの罪を赦していただける恵みをいただけるのでした。
ほんとうにアーメンです。
>>298へつづく

298D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:52:12
★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518 
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/543 

★本日24年3月18日のレスポンス→◆Seitai4-63★☆★神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、
                         主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた★☆★
                            →>>293-298

299D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/03/18(月) 21:57:57
★☆★神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、
   主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた★☆★
>>293-299よりつづく

「見よ。 わたしは戸口に立って、たたいている。 だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
 わたしはその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」
(ヨハネの黙示録3章20節)

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
 門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」
(マタイによる福音書7章7節〜8節)

 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、
 ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
  それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
  そこで、しいて引き止めて言った、
 「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」
 イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
 彼らは互に言った、
 「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」
(ルカによる福音書の24章27節〜32節)

300カトリックの名無しさん:2024/03/19(火) 12:15:23


★5ch 心と宗教板「ローマカトリック教会」(36レス〜42レス)
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1710551005/36-42

301D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/01(月) 20:00:54
>>293-299 >>300よりつづく
★☆★主の霊がわたしの上におられる。
   貧しい人に福音を告げ知らせるために、
   主がわたしに油を注がれたからである★☆★
主イエス・キリストがこの地上にご降誕くださったところは、
きらびやかな王宮でもなければ、人家ですらない家畜小屋。
そこへ天使から救い主誕生の知らせを聞いてたずねてきたのは、
律法学者や最高法院の議員など当時の上層階層の人々ではなく、
神さまから呪われ、見放され見捨てられた者たちとして、
社会から蔑みと差別の目で見られていた最下層階級の、
夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いの人たち。

もし主イエス・キリストが今の時代にご降誕くださったならば、
そこはやはり設備の整った産婦人科病院などではなく、
誰にも知られないような粗末で貧寒な、
取るに足らないような場所であったかもしれません。

そしてそこへ天使から救い主誕生の知らせを聞いてたずねてくるのも、
やはり恵まれた社会環境の中で生きる今日の上層階層に属する人々ではなく、
世間から忘れ去られ見捨てられたように生きる、
山谷や釜ヶ崎の日雇い労働で生きる人々や非正規社員として働くような人々、
あるいは被差別部落民や一部のセクシャルマイノリティの人々のような、
同様に社会的な偏見や差別のなかで最下層に置かれている人々の中で、
神さまを敬い、あがめる心をもつ人たちであったかもしれません。

主イエス・キリストは聖書の御言葉にもあるとおり、
弱く貧しくされた「地の民」と呼ばれていた人たちとともにありました。
12人の弟子たちも知識階級ではなく、ガリラヤ出身の漁師が多く、
反ローマ帝国の過激派である熱心党に所属していたシモンや、
罪びとの最たる扱いをされていた取税人出身のマタイのような人物もいました。>>302へつづく

302D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/01(月) 20:01:41
★☆★主の霊がわたしの上におられる。
   貧しい人に福音を告げ知らせるために、
   主がわたしに油を注がれたからである★☆★
>>301よりつづく
特にマタイは通行税を徴収する取税人で、
通常の取税人よりもさらに悪質な取税人だったとも言われています。
そして主イエス・キリストにより七つの悪霊を追い出された
マグダラのマリアも一説によれば、
性的不品行の女-娼婦であったことで知られているところです。

このように主イエス・キリストを取り巻いていた人たちの多くは、
当時のユダヤ社会の中で、神さまから見放され見捨てられた
罪びとされる-悲しみや苦しみの中で
生きていた人たちであったことがわかります。

主イエス・キリストは生まれ故郷であるガリラヤのナザレの会堂で、
イザヤ書61章を引用して次のように語られます。
「彼らに神の国到来の福音を告げ知らせ、
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」(ルカによる福音書4章15節〜21節)

今から約2000年前、
天使たちから「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と
主イエス・キリストの降誕の知らせと賛美を聞いた
羊飼いの人たちの喜びは如何ほどのものであったでしょうか。>>303へつづく

303D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/01(月) 20:03:23
★☆★主の霊がわたしの上におられる。
   貧しい人に福音を告げ知らせるために、
   主がわたしに油を注がれたからである★☆★

>>302よりつづく
彼らは「マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子」を探し当て、
「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って」行ったのでした。

この地上で悲しみや苦しみの中に生きる羊飼いの人たちは、
神さまが、寄り添ってともに歩んでくださるお方なのだということを、
救世主-主イエス・キリストの降誕を知らせる
天使の訪れの出来事を通じて感謝と喜びのうちに気づかされたことを思います。
ほんとうにアーメンです。

★「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
  (マルコによる福音書1章15節)

★「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。
  目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、
  重い皮膚病を患っている人は清くなり、
  耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、
  貧しい人は福音を告げ知らされている。
  わたしにつまずかない人は幸いである。」
 (ルカによる福音書7章20節〜23節)

★主に向かって歌い、主を賛美せよ。
 主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される。
(エレミヤ書20章13節)
>>304へつづく

304D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/01(月) 20:04:15
★☆★主の霊がわたしの上におられる。
   貧しい人に福音を告げ知らせるために、
   主がわたしに油を注がれたからである★☆★

>>303よりつづく
★あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。
 この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、
 慈しみを注がれるが、御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。
 主は、御自分を否む者には、ためらうことなくめいめいに報いられる。
(申命記7章9節-10節)

★「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
  今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
  今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
  人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、
  ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
  その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。
  この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。」
 (ルカによる福音書第6章20〜22節)

305D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/01(月) 20:09:10
>>300-305よりつづく

★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518 
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/543

★本日24年4月1日のレスポンス→◆Seitai4-65★☆★主の霊がわたしの上におられる
                        貧しい人に福音を告げ知らせるために
                        主がわたしに油を注がれたからである★☆★  
                            →>>300-305

306カトリックの名無しさん:2024/04/17(水) 09:54:35
★ #619 天満橋バイブル倶楽部「2024年の国際情勢を聖書預言で読む」
 〜パレスチナ問題に潜む闇〜
 講師:高原剛一郎 2024年3月27日 チャンネル登録者数 6.84万人
 https://www.youtube.com/watch?v=XQ09GgYddRM

★ハマスの延命に手を貸す日本外交 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=_03mdb4sjUk

★2024年3月16日(土)「聖書から読み解く国際情勢」
 ―ハマスのテロ攻撃で激変する今後のイスラエル・世界情勢― 高原剛一郎
 https://www.youtube.com/watch?v=zBTIoderdqc

★新しいエルサレムの大きさ ダンテから永井豪まで魅了した黙示録?
 あっさり黙示録#74 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=zKDP2nYsL8Y

307カトリックの名無しさん:2024/04/17(水) 10:05:58
>>300-307よりつづく

★宝石でできた首都新しいエルサレムの意味
 あっさり黙示録#75 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=Hgh7HCubBJM

308D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/23(火) 17:41:16
>>300-308よりつづく
★☆★人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです★☆★
主イエス・キリストご自身が旧約聖書にある神さまの御言葉を用いて、
ご自身の到来の預言を解き明かしておられるのに、
グノーシス主義の方々はどうして、
その旧約聖書の神さまの御言葉を否定できるのか、理解に苦しみます。
新約聖書には聖書の御言葉が引用される個所が他にも数多くありますが、
当然のことながらいずれも旧約聖書のものです。

神さまは御子主イエス・キリストに
私たち人間ひとりひとりの罪を負わせ十字架にかけることで、
私たち人間ひとりひとりの罪を赦し、
私たち人間ひとりひとりにご自身との親しい交わりの関係を
回復する道を開いてくださいました。

神さまは御子主イエス・キリストを信じる「信仰」のほかには
いっさいの条件を付けず、救いへの門戸を、
私たち人間ひとりひとりすべての人に開いて、
救いにあずかるよう今も招いて待っておられます。

神さまを慕い求め、敬い、崇める心をもって、
神さまに出会わせていただき、心を開かせていただいた方々は、
神さまの御子主イエス・キリストを信頼し自身をゆだねて、
神さまの御子主イエス・キリストの御心に従う
「信仰」の恵みに与かられることでしょう。
ほんとうにアーメンです。

『口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
 復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです』

309D.Christian☆Mary☆Jacob Israel:2024/04/23(火) 19:39:11
★人生は神様のみこころに触れて神様を知るためにだけ許されてる時間だといっても過言ではないと思う
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1655165932/124
            ↑
心の琴線に触れるいい言葉に出会えました。
信仰に生きることを知っている人でなければおそらく言えない、
生きる意味、その尊い価値をありのままに表現した
美しい言葉といえるのではないでしょうか。

しかし、この文章の尊い意味を理解できる方々が、
今の日本にどれだけおられることか。
本当に悲しい、キリスト者が1%もいないこの国で、
おそらく世の終わりのときに救われる人は3分の1もおられない。

異教のお筆先ですが「日月神示」によれば日本の総人口のうち、
救われる人は3%もいないという。
私たちのキリスト教では「神さまの御国」
神道系新宗教では「弥勒の世」といわれているようですが、
そこに入らせていただいて、不滅の半霊半物質の肉体で生きることになるのは、
本当に限られた人々なのだろうと思われます。

一人でも多くの方々が、神さまを知って、親しく交わって生きることのできる幸いと喜びを
知っていただくことができますように、導かれますように切に祈ってまいりたい、
そのように思います。ほんとうにアーメンです。


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