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教会史

7カトリックの名無しさん:2015/09/04(金) 04:02:39
ヨゼフ・ロルツ『教会史』ドン・ボスコ社

3、「教会史研究の理由」(2)

 さらにまた教会史は、世界中の知力優れた人々を多く惹きつけ、その人たちの深い熱望に応えてきたカトリック信仰のもつ崇高な性格と、その無尽蔵の富に関する知識を蔵している真の鉱山である。最高の智者、古今東西を通じてあらゆる人物が教会で親しんできた。教会の歴史は、あらゆる分野の高い生活において彼らが比類のない成果をあげるのに、信仰によってどれほどはげまされてきたかを示している。

 カトリック教徒は、教会の一員として、自分が属しているあの超自然的な家族の生活のことを当然知ろうとする必要を感じなくてはならない 
― それは教養ある人々には当然の義務のように思えるのだが。近代人としても彼は同じ必要を痛切に感じるであろう。なぜなら近代文化の中で最も優れたものは、それがたとえどれほど教会に敵意をもつものであろうと、キリスト教に基くものであり、その多くは教会の直接の所産だからである。教会史はヨーロッパ精神・西洋精神に特別の関心を有する権利をもっている。なぜなら、現代の東洋文明も西洋文明もその根を中世にもっているからである。中世というのは、教会の指導の下に、西洋の諸部族・諸民族が発展した時代だった。つまりヨーロッパ人と、ヨーロッパ人が植民した国々が、教会の活動の主目的であり、それが教会史において主役を演じてきたのである。

 そして近代に入っても、これと同じ国々、同じ人々か、教会の進歩と歴史的発展に重要な役割を演じている。この役割は次の二つの理由からこんにち極めて重大な意義をもっている。第一に、今や、教会が過去の政治的領土的支配権を失ったということを解決するための未来の決定的な問題が、これほど仮借なく追ってきているところは何処にもない(第109、116節参照)。このような状態の由って来たるところを教えその重大性を理解させるのは、教会史の研究を置いて他にない。このような事態を収拾し、それを教会と国民の双方に有利に転回させるには、精神の内面的自由と錯綜した諸結果の大局的な把握が必要である。このような理解は、教会の運命の栄枯盛衰を研究し、その地位のうつろい滅ぶべきものと、侵すべからざる永遠のものとを比かく研究することによってのみ可能である。第二の理由は、教会がこれら諸国民の興隆にどれほど多くのカを与え、かれらの善への能力をみんな目覚めさせ発展させるのにどれほど役立ったかを教会史が示しているということである。


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