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認識とは?真実とは?

1ryo:2015/10/21(水) 10:24:55 ID:Y5LALQNY0
人間は日々色んなものを認識しています。
例えば
「ここにノートがある」
「遅刻しそうで焦った」 などです。

しかし、それらの認識も時として真実ではないことがあります。
「カルピスはおいしい!」というのは、認識ではあっても真実ではありません。なぜなら
「カルピスは不味い」と思うのも自由、それがその人にとっては事実だからです。

では一体、認識とは何か?真実とは何か?
解釈に過ぎないもの、真実たるものの境とは?

2ましら:2015/10/21(水) 10:44:04 ID:ZVmObSaA0
真実は、だれがどの様な状態でもなっとく出来るモノ。
「光速」
だと思う。
それ以外は、スゴくちっさい状態と、宇宙的な大きさで答が違う。認識かなぁ?

3ryo:2015/10/21(水) 13:53:26 ID:eH40eb2Y0
光速、つまり絶対的なものということでしょうか?

4ましら:2015/10/21(水) 14:11:49 ID:ZVmObSaA0
そうかも知れないですだ。
分からないですだ。

5不思議な名無しさん:2015/10/21(水) 15:52:24 ID:bLjbSPZ.0
真実はむしろ無数にあると思う
でも事実は一つ
誰が誰を殺した、ってのは事実、正確に言うと客観的事実
でも、なぜ殺したのかは当人にしか分からない、真実はその人にしか分からない
でも他の人が調べたりすることで予測推測出来るし、関係者ならまた違った見方をするだろう
つまり人によって真実は異なる
真実はいわゆる主観的事実とも言えよう

6ryo:2015/10/21(水) 17:31:14 ID:eH40eb2Y0
僕の意見としては(色々と参考にした上での意見ですが)出来事が真実、それに対する解釈が認識だと思っています。
例えば、お金を落としたという事実があるとして、悔しい!と思ったとします。この場合、お金を落としたという事実は普遍的な真実だと思います。
しかし、悔しい!という感情は、それに対する捉え方から来ている。「お金を落とすことは恥ずかしいことだ」などの解釈から来ている。よって普遍的な真実ではなく、本人だけの認識だと言えると思います。

事実と真実との違いを始めにはっきりさせておくべきでした。
個人的には事実は「認識次第で変わる物事」、真実は「誰がどのように認識しても絶対変わらない物事」だと思っています。

7不思議な名無しさん:2015/11/12(木) 15:15:54 ID:PZGr1eb.0
デジャ・ヴュ 既視感
初めての光景のハズなのに、見たことがあるなぁ
ジャメ・ヴュ 未視感
知っているハズなのに、初めて見るような
>>1
認識って不思議ですね。

8不思議な名無しさん:2015/11/12(木) 15:59:54 ID:AIH65Nhc0
知ることを認識とした場合、無知の知は傲慢な自負にしか過ぎない
でもまぁ個としての知れることは限られている、何故なら主観をそこに置くから
真実はあらゆることがらを含むだろうけど、それは主観の持ち物ではないと思いまっす!(゜∀゜)

でももし認識を超える真実があるとすれば、それは傲慢ではなく主観を超えるための残酷な手立てとなるかもしれません
自分で書いてて電波だなぁとは思うけど、うんロマン


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