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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

750北角:2015/08/31(月) 02:10:22 ID:wIrJHLSY0
ちょうど自分で書いておいた視覚について考えていた時に、認知について生活していく上で便利なこの視覚に頼り過ぎていて、根本的な事柄への理解の障壁にもなり得ているんだろうなぁ、盲目の人の認知はまた違ったり、もしくはそもそも視覚的な認知の機能を有していない生命体がいたらどうなんだろうとか、人間が極力視覚発の思考や感に基づかない思考をしようとしたらどうなるんだろうかとか考えていた途中に、ふとタコ助さんが書き込みしていないかなぁとチェックしたら新スレッドがあって、夢中で読んで今に至っています。
きっとタコ助さんは次の考えの段階に進んでいて、またもしくは物理学者の人達とかは、視覚発の思考からおそらくきっと遠い時間とかエネルギー中心の思考を基とした考えをしているんだろうと感じました。
さーっと読んだだけで、きっと的はずれだし、理解も明後日の方向にしかできていないのでしょうが、我々含めこの世界が、空間が存在していることすなわち時間と概念されるものがあるから形作られている、物体が存在しているということは時間が発生?常に存在しているから、ということが何となく想像できました。
物体がエネルギーであり、そのエネルギーは時間という概念ありきで存在し得る、ということなのでしょうか。もしくはエネルギーが時間を生み出している?
宇宙が膨張していっているともし過程して、何もない空間の外側をもし想像すると、そこへエネルギーが働きかけていき、有空間になる、すなわち存在する→時間が生まれる、と安易に想像してしまいますが、どちら発なのかももはやわかりませんし、エネルギーと時間が同じものとかってレベルで考えたり、もう理屈すら生み出せません。

物語とか漫画とかでたまに全てが止まった空間が描かれることがありますが、止まっている時点でそこって無なんだろうなぁとスレを読んで感じました。

次に生命が死を迎えた時をイメージして考えました。私個体が死を迎え、有機物から無機物になる?的な事が大きな違いになるのだろうと認識していますが、エネルギーという意味で言えば肉体を構成する物質は存在し続け、大きなもので言えば大差は無くなってしまいそうですが、そうなると次は生命の死、人間の死を意識の死と置き換えたくなります。おそらく脳みそのなかで繰り広げられている意識は、思考のためのエネルギー活動が出来なくなり、当然思考は止まり意識は無くなってしまいます。まさに永眠です。となると実は空間とか意識とエネルギーとか諸々考えた先には、僕が勝手に好奇心のテーマにしている意識の受容体は無関係のカテゴリーだったのかもとか考えたりしています。

せっかく作られたスレッドにいきなりイタズラ書き的な日記を書き込んでしまってすいません。


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