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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

697北角:2015/07/21(火) 01:29:38 ID:2kNuaS360
瞑想と禅問答の違いって、瞑想は常日頃の自我や意識から解き放されて、無意識的な内なる自己の1番シンプルな生命体にまで戻ったところで自然とそこに浮んだイメージを受けとる若しくはそのイメージに溶け込むって感じで、禅問答は基本的に常日頃の己の意識のまま、主にあえて欲から派生した問いをとことん突き詰めて真我に辿りついていく、みたいなことでしょうか。真我とか言っといてどんな概念なのかも知りませんが。
どっちともアプローチこそ違えどより広く深い視点なり考えを身につける若しくは煩悩諸々を捨て去るための修行って感じでしょうか。

一時期思ってたことで、我々は自分の脳みそで、さも我々発の思考や概念を生み出しているのではなく、全てが突き詰めると高低を問わず反射や反応しかしておらず、我々の意識って所詮外部からの情報に対する反応やその過程である思考回路をただ感じている、あたかもすでに書かれた本を読んでいるに過ぎない、というものがありました。
生命体として発生した瞬間から様々な環境への脳みそ諸々の反応を感じ続けているのが我々で、本当の意味での内なる我があったとして(意識の受容体)、そこから何かしらさえもアウトプットすることなど原理的にあり得ないのだと。
これはある意味究極の思考放棄とも言えると思いますが、逆を言えば極力己を捨て、あるがままに全てを受け入れるという考えにもいきつきうるとも考えたりしてました。超消極的な禅問答でしょうか。前も書いたっけな? で、何?って感じでしょうが、先日聞いた霊の話で、その存在をうたがいなく私が信じて浸透させた後、何かしら考えの変化があるのかなぁと思ったりしています。


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