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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

528イジリー ◆OM5/jtEIXw:2014/06/02(月) 09:12:47 ID:UVVcaCVQ0
スレ汚しついでに。
たこ助さん、これを見ていましたら、さとうさんが「私の守護霊さんと・・」スレで、愛について話をしてくれるところです。
私の考えではこの探求の行き着くところ、いえ全ての人の行き着くところは「愛」なのではないかと思います。
たこ助さんの体験がどの様なものだったのか分かりませんし、それについて「それは違う」という議論は本来ナンセンスです。良いも悪いも本来的な意味では無いのだと考えていますから。その良いも悪いも、そしてたこ助さんが体感したように元々自分なんてものは無かった、全ての区別は幻想であったのだということ。これは、この状態を人は「愛」と呼ぶんだと思います。つまり、飛躍して言うなればこの世界は元々愛の状態であり、思考によりそれを個であると区別している。この思考とはスピリチュアルの世界では自我とも呼びますが、個を確立するためのものなのだと思います。
元々が愛であった。それを自分と他、あれとこれ、良い悪い、上と下、などと区別を増やせば増やすほどに愛と反対に進むのではないでしょうか。
個である以上、そこには愛と反対の状態があり、それを「苦」と呼ぶんだと思います。つまり人は、個人の自覚を持っている以上、苦は続くのであり、お釈迦様が説いた「人生は苦である」ことが言っている通り、これは仕方のないことなのだという気もします。ですが、私は出来れば愛の状態を少しでも広げたい、愛に満ち満ちて、自分を人を、そして世界を包み込んでいられる状態を維持してみたい。これは中々に難しいことではありますが。

たこ助さんが何を見たのかは分かりません。しかし、その前に全ては同じ一つのものだという、何も区別もない状態を体験したことは、これは愛の状態を身を持って体験したことなのではないかと私は推測します。
人はこのタンパク質の体を捨てる時、「全て」に還り完全なる愛となるのだと思います。死んだ人を仏様(仏陀=悟ったもの)と呼ぶのはまさにその現れかと。

そして人は、いつかそこに辿り着けるのなら、まだこの世界も味わっていきたいと思ってもいます。そこには苦もつきものですが。何せ、自と他とを区別している以上、分かり合えないのが世の常ですから。

きっと、私が不思議BBSで書き込む中で体験したことは統合失調症なのかもしれません。それでも人生のヒントは与えてくれましたし、何より様々な体験(上も下も知りました)をすることが出来ました。お陰で幅は広がったかとw たこ助さんの体験も、社会的に病気であったとしても、私は貴重な体験をしたと思っています。だって愛の状態を感じたんだもの。

たこ助さんは先にその状態を見てしまったのかと思いますが、無理に精神と体を痛めつけなくとも、いつかその状態に辿り着けるのだと思います。それには人生という道のりが必要かもしれません。
だって、その方が嬉しいじゃないですか。「世界は一つで、それは愛でした。」という結論の方が夢があるじゃありませんかw

たこ助さんが再び何かを語ってくれる時をあまり急かさずにw でも期待して、待っています。まずは体を御自愛なさって下さいね☆


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