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ストトト道場
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書くこと減ったけど頭を使って何か書く用。
頭使わなくても書く用。
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分けた方がいいよな
だが、たわわとか映画界の性被害も同じ土壌から起こってるって捉えている人もいるようだ
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>>565
うーん、まあ微妙に違うよなあとは思う。
映画のほうはあれ支配欲と自分が作った作品の名声を自分自身と勘違いした人間が起こしたことだろ。
周囲の人間も共々作っているシステムがオワコンだったのもあるんだろうけど。
(わりとてきとうなこと言ってるからな)
新聞広告のは社会には男性しかいないと思ってる人間が思いついたことか、積極的ミソジニーか知らんけど、まあ深読みすれば炎上まで頭に入れた広告だったのかもしれないし?
元の作品自体の発想まで掘り下げて批判すれば、なんでも言えるけど、とりあえずゾーニングできてれば顧客が違うとは言える。
胸の大きい女性にとっては他人事じゃなく嫌な気分だと思うけどな。勝手に癒しを求めるな、と思うじゃろ。
読者にも現実とイラストの違いがわかってる人間の方が多いんじゃね、とは思うけど。
正直ここのあたりはそろそろ自信がなくなってきたな。
たぶん世代が下がるにつれて現実とファンタジーの境目は曖昧になると思うぞ。私の偏見だがな。
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>>565
同じ土壌と言えば言えるさ。相手は男性というカテゴリーに分けられるわけだから(ああ、女性もいたっけ)。
ただ細かいところ腑分けしていかないと議論が厳罰化にばかり行くからな。根本解決しない。
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そういう意味では映画のほうはもう法的問題だけど、広告のほうは対話の余地ありなんでないの。
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ちょっと重めのフラッシュバック起きた。
身体の周期的問題で起こるんだと思う。
固まって沈んでいくかと思った。
頑張って弁当食べて夕の服薬と頓服飲んだ。
私さあ、その時の一時間半か二時間くらいの時間の流れの中で思ったけど、母の胸、という単語が辞書にねえのな。
もちろん物心ついてからの話だけど。
哺乳瓶と飼育器保育だったとしても抱き上げられなかったことはないと思うし、むしろ私がアスペだから自分で嫌がった可能性もあるしな。
泣くにもどこで泣けばいいのかわからんて話ね。
泣きたかったわけではないけど。泣くの好きじゃないわりに涙腺弱くて困ってるよ。
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涙は滲むが、泣くには心が凍りついている。
ここら辺元彼氏は自分が治せてると思ってるんじゃないかと疑ってしまうが。
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>>570
涙はにじむ、な。なんか文字化けするわ。
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>>569
飼育器ってなんだ(笑)
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眠りすぎがとめられない。
好きな本屋が閉まって、残る本店に行きたいけれどそれだけの新規の道への、越える力が残っていない。
できる店員さん(店長さん?)だなと思っていた方が、本店に残っていてイベントをするみたいで、よかった。
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眠りたくないけど寝なくちゃ。
明日はお客様。
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何者かでなければ生きている意味はないと教育したあなたは先に行っちゃった。
たぶん自分自身に課していた生き延びるための呪いだったのね、きっと。
残酷な世界の中であなたはあなたの舞台を演じ切ったけど、もう少し舞台から降りたあなたを見ていたかったなあ。
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(。-ω-)zzz
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寂しいのう。Twitter。
イーロン・マスクが来たらどう変わるんだろな。
まあ我は我の道を行くのが良いのだ。どんな人も。
それがその人の仕事だから。
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だるい。
だが、だるいと感じることができれば反動にもできるだろう予感はする。
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mKa_BIOqzlk
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lK3-jIFywSI
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EUjMB8MxLMI
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新しい歌に触れてないな。
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夜中に味付け海苔を食したので寝る。
(。-ω-)zzz
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[第三回]
二千年 五月十三日
・赤い家具。
のなかにある亡骸の向こうに。
・痛みの種類。
きりきりと締め上げる喉のおく。
左胸から背中に走る刺すような締め上げるような痛み。
息詰まる。
物も飲み込めぬ。
呑み込みたくない、言葉が詰まって言えないことがある、というメッセージか。ゼロの針が指す現状は誰に伝わることも無い。
・感情移入と病的共有のこと。
共有しているのは病でなく感情であることを知るべきだ。
表現者もリスナーも。
・夢
何かの機械。
木で出来ている外殻。
修理か調整のために開ける。
中には色々な材質の豆電球のようなものが三列ほど並んでいる。赤や青の色の着いているものや木で出来たもの、一つ一つを軽く指先でたたいて音を確かめていく。ガラスで出来た豆電球のようなものもあれば金属で出来ているものもある。だから落としたりしてはいけないのだな、となぜかふと納得する。これからは大事にしなければ。
・病の共有という、イメージ。
(強さとは、弱さを嫌悪できることのことだろうか。
強さとは、弱さに立たず物を言うことのできることだろうか。
強さとは、己ではない物を切り捨て立つことだろうか。)
病の共有される場がある。
時にそれは傷ついていることの赦される場として、どうしようもなく生きることもままならない人達の命綱となる。そしてそれは同時に、弱さを見えなくする場として、それを必要としないものに嫌悪される。
病とは、本来孤独な患いである。
固有の、代わりのない身体を持ち生きる一人の人間。
である「私」が、なにがしかの原因で痛みという、普段は意識しないで生きていられるものをほぼ毎日のように感じ、「普段」から逸脱してしまう状態を「病」というならば。病の症状を収集し、そこから普遍性をすくいあげ「類型」を語りだし、それに病名をつけたとして。それを己の持つ痛み、「病」の名として名付けられたとしても、たとえその名前で呼ばれたとしても、一人一人の症状や痛みは厳密には違っているのである。
それを知りながらも人は病を語り、語り得ない痛みを言葉に落としながら、その痛みが人と響き会うところまで行こうとする。病が知らしめる己の孤独から歩き出すために。人のいる、現実の地平に、その舞台に立つために。それは決して病的な語り合いではなかったはずだ。
けれど病名で名乗り、それを会員証のように掲げ、その「共通項」を持って親しさの尺度とし、そうでないものを排斥する動きがある。
本来共有されない苦しみであったその病が、病名を得たことで一つの固定化されたファッションのように着られ、制服のように個性は埋没され、その中での安寧を求める弱さを匿った。
病は人を苦しめる。
人の人との差を見せしめ、人を孤独に追い詰める。
生き残るために病を語り、それを痛みの中にない者にも届かせようとする動きと、生き残るために病を着て、それを共通項として同じ者を求めその中を生きていこうとする動きと。その二つは一見似ているように見えまるっきり違っている。
他へ伝播する言葉を捜す動きと、他を排除する動き。
だがそれは簡単に取り違えられ、憎まれる。
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別人だよなあ。私。
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そりゃ22年て人が大人になる年数だもんね。
人がボケるにも足るというか、それは私に可哀想か?
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まだ諦めてなかったんだよな。
近い周りの人に説明することを。
人がそれを求めてなくてもさ。
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上記の私も排斥することで自分の正しさを担保しようとはしているね。
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風呂、入らねば。
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動きすぎ(普段から比べると)なのでわりと疲労しているけれど、精神的な疲労が大きい。
こういう時の人間は実社会と関わらないほうがいいというコンセンサスが出来上がっているような被害妄想もある。
引きずられるからこわい、とは20年前の友の名言である。真理でしょ?
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(。-ω-)zzz
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フラッシュバックを起こしてからも、過覚醒が出たり消えたりしている。解離と思われる(まあ疲労だろう)一点見つめ病もしばしば発生している。
今もわりと落ち着かず、頓服が4まで許されているが1錠では足りない。
自分の性格によるものなのだが、気疲れすることが多く、4ヶ月経っても母のことは毎日考えるし、母の日とはなんつう残酷な日よ、と思いつつも母の嫌いだったカーネーションを買って挿してあげようかと思う。たぶんバラの方が好きね。
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子を生むということ、その可能性を思考の上でも完璧に閉ざしてきた私に対して、そのハードルを見事に下げ切ったのは元の彼氏さんである。
私のトラウマ体験に似た状況を笑いに変えたり、安全な状態だとわかるように再体験させる。
わりと際どいところまで上手くいったそれも、私の全拒否に遭って、別れ話の種となっている。
もう私の年齢では自然出産(初産)は難しいし、子自身のリスクがある。私自身のリスクはわりとどうでもいいけれど、生んで放置するわけには私の場合行かない。
よって導き出される解は、雪解けしたその思いを断念すること。
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こんなに母親を愛していたとか(愛せていたかは知らないが)、こんなに子どもを育ててみたかった(ところが今のところ誰の子どもという目的がない)とは、こんな歳になるまで分からないほどの嵐の中の人生だったのかねえ、ミニハンと夜中くっちゃべっていて数年消費してないかい? と思わなくもないが、あれは私にとって自我の安全を考えるための、そしてたまに教わる科学トークや経済トークの、得難い楽しい時間だった。
青春のない私にはそれくらいあっても良くはない?
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しあわせな家庭という刷り込みは、いつかまた溶ける雪解けなのだろう。
今の私はしあわせだからだ。
こんなに怠くて使えない身体と頭に苛立ちたいして良くもない頭で感性と勘に頼って生きながらえていながら。
奇跡はいつも今にある。
過去ではない。
そしてそれは過去の人々がリレーしてくれたもの≒私の命が、今感じられるものなのだ。
たまたま、がむしゃらに生き延びた結果。
他は全く及第点のない私だけど。
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過去でさえその意味ではおそらく今なのだと思う。
長らく蓋を閉めていた恩師のことを少しだけ思い出しながら。
それは時折ある涙にくれる時間とは違う。
今の私とともに、恩師の言葉や声が、生きている。
その時間こそが待ち望んだ時間でもあるのだ。
悲しみであまりに深い悲しみで引き裂かれた自分自身の一部と、手を取りながらもう一度生きていくということ。
いくつもの年齢の私が、連れ立って歩いている。
寂しくはない。
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(。-ω-)zzz
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永井均「独自成類的人間 哲学日記2014→→2021」(ぷねうま舎)ネット購入。
まだ読んでいない。
「島はぼくらと」辻村深月(講談社文庫)購入。少し読んだところ。
「名著講義」藤原正彦(文藝春秋)購入。
「現代思想入門」千葉雅也(講談社新書)読んでいる。
インドについての本、読んでいる。
本屋さんの目隠し本を購入。
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「識字運動の仲間の一人が、「夕焼け」という漢字を習って初めて、それがどれほど美しいものかを知ったというのだ(山本栄子『歩識字を求め、部落差別と闘いつづける』解放出版社、二〇一二年)。」
印象に残った部分。
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人と関わらないでいるのは賑やかさを見ていると寂しいけれど、今の自分の体調をモニターできることは大切だから、自分なりの方法で関わって行けたらと思う。
限界が来たら、無理はしないで関わりを縮小し、撤退する。
一時的であることなのか、わからないけれど。
模索中なのかな。と思う。
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(。-ω-)zzz
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気圧変化のせいか耳鳴りと頭痛がする。
どちらもたいしたものではないので、通院は考えず。
安らげる音楽を探している。
エンヤ聴いていれば安全は安全。
カリビアンブルーが好き。
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元彼氏に元彼氏と指摘したら悲しまれた。
彼の認識がよくわからない。
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11:11
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だめだな、ロードオブザリングを思い出してつらい。
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自分が流れ出していく。
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=(^.^)=
よくわからん顔文字。
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↑なんか無理してたらしい。
Twitterのブロック機能をいじっていたら、普段特にブロックしないのにわざわざ見ないようにしてたアカウントを見てしまい、まああれこれ鬱になる。
あの人は死んだものと思っておいたほうがよさそう。
私の人格形成の根源的な部分って、周りにたくさんいた苦しんでいた他者の「痛み」を自分で知ろうとしたことに起因している気がします。
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他者とは家族を含む。
私自身は元々空っぽだったから、鏡でしかなくて、おしゃべり人形でしかない。
人の痛みで自身の内部形成をしていった。
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ある程度スッキリした人は私を忘れる。私を嫌な記憶ごとなかったことにする。
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まあ当然と言えば当然なので、責めても仕方がない。
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フラッシュバックと俗に言って想像するようなフラッシュバックの仕方は私はしないのだけど、精神的自傷行為にあたることをとめられなくなる時にフラッシュバックが起きている、と言ったり捉えたりする。
頭の上のほうや後頭部がカーッとすることが多い。
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それは夢から始まったりするし、意識的に始めることはほぼないので、やってくるものとして捉えているけれど、私の精神が作ったものなのは変わりない。
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あんなことがなかったら出来はしないものだったとしても。
責任主体が私の世界に存在しないのだから、私自身が責任を持つしかない。
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本当に辛い記憶は人は忘れるというのが私にはよくわからない。
私は辛い記憶を忘れないが、それは本当に辛い記憶ではないからなのだろうか。
人格も特に分裂しない。正確には分裂しているけれど記憶の断裂はない。
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解離=健忘ではない。
私にとってはだけど。
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書きたいことは書かない。
危ないから。
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書いたことで反射してくることってあるので。
今はだけど、具体的なことは書かない。
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自分を救う方法がわからない。
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仕事で繁忙期でご多忙だった頃も、フラッシュバックはかまわずやってきた。
表に出さない演技力はもう物心ついたと同時くらいにできているので、誰にもSOSがSOSにならない。
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身体も丈夫すぎるくらい丈夫だから、これだけ持っている。
生まれてきた時は、家族が歓迎してくれたおかげ。
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村上龍「ライン」の最後の話が私みたいなもの。
加害者は親族じゃないけど。
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正確には自分の分身を救ってやる方法に辿り着かないで周り続けている。
そしてそうなってから小説を書けなくなった。
陰惨なものは書きたくない。
そういう意味では本当にホラーは救いなんだろうな。
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横目で読者を見るような陰惨なもの、が嫌いなのです。
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そういう意味で「スプートニクの恋人」が好き。
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兄弟に私は「直葬」すると言われたのがけっこう残ってしまっている。
その事実自体は私も望むところだが、まあ母死んで喪主でパニクっていたんでしょうけれど、死んだあとのことが決まっているというのと、私一応末子なんですけれどとか、ツッコミどころが色々。
そんなに死にそうに見えるかなあ。
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解離についてで、同一性障害でない本ってあるのかな。
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中学2年生くらいから「自分を殺してやりたい自分」主体が心が頭のどこかにいて、たぶん私と競り合っている。
私のほうが舵取り役なのでたいがい勝つ。
全勝か。
原因はよくわからない。
学校と、電車の痴漢とかかもしれない。
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家族については色々あったしあるが、もう変わることはないのでここに書いても読まれる可能性があるなら、罰するだけだから、昔のことは書かないようなしようと思っている。
成長は阻害されたと思っている。
結果物としての私は今一人で生きているのだから、これからどう自分を癒しつつ生きることをするか(生きていることがすごいことだと、教えてもらった)だけ。
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ひとりの子どもが使えるリソースって普通あると思うんですが、それら全てにおいて自分に平等な権限がない、場合によっては8、9割り全て持っていかれる。
端末が普通な時期に生まれていたら私つよつよだったのになあ。
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積み重なったのをなかったことにしていた悲しみが、母とのことを思い出したり、亡くなった後の手続きをしなければならなかったり(ほぼ全て兄弟に押し付けていますが。病気なので。線維筋痛症と鬱な)、その際に家族からかけられる言葉の一つ一つであったりで簡単に受傷して、記憶の氾濫が片付かない。
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本当に、そのように作られたように、私という歯車さえ噛んでいなければ、幸福な家族だったのではと妄想する。
母は私たちのために、私たちがいるから結婚したことで得たものと言ってくれていたけれど。
時代の本当に過酷な過渡期に生まれたのかな。
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そろそろクールダウンしないとだめだね。
「砂上」桜井紫乃(角川文庫)
をお手本にしたくなるこの数年です。
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(。-ω-)zzz
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わりとしんでいた。
夢をたくさん見たけれど、目覚めてすぐに書かないので忘れた。
現実が侵入したような夢を見る。
あと食べ物が良く出てくるのでお腹が空いているのに眠っていると思われる。
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「書物と貨幣の五千年史」永田希(集英社新書)を買う。
私の好きなものが目次に並んでいたので、頭の弱い私には復習になるかなと思って読みます。
(本のレベルが低いと言っているのではなく、網羅的な本という意味で)
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気温室温で24℃あるのに、寒いと感じるのは食が足りていないからだなあ。
早めに食べる癖をやめたい。
七時十二時七時と決めているのに最近体調的に夜の七時が一番元気がない。
日暮れ恐怖症の後の時間だからかなあ。
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横道誠さんの旅行記を見かけた。
自閉症者は青を好むと書いてあり、一時期表紙や見返しに青が使われている本ばかり買っていたなあと思う。
一番好きな色はトラウマ色になってしまったイタリアンレッドなんだけど、青にはふーっと惹かれるし、夕方の青い時間などを見つけると放心してしまう。
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本をチラ見して寝よう。
コーヒーで頭がハイになりがちなのはお薬との組み合わせかな。しばらくコーヒーは控えるようにしよう。
たぶん。
(。-ω-)zzz
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「地球の恋人たちの朝食」で検索すると良いことが8日までですよ!
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もちろんその後も良いことは続く。読めなかったものが読めるのは嬉しい。
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本に戻る。
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「オーセンティック・コーチング」苫米地英人(サイゾー)届く。
届いたので起きて早速読み始める。
このところギスギスするようなお金の問題を家族から刷り込まれていた私にとっては飢えたところに水のような本。
(お金が一番という考えに飢えさせられるのが嫌なのです)
(これはとりあえずの『完璧な安全』というものにも言える)
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生まれたところにある思い出をきちんと捨てたら一人で生きていかなければならないのだから、それを惜しむよりは短期間、単純な労力で終わらせるほうが良さそうと思うこのごろ。
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うーん。
動揺しやすい。
見捨てられ不安が強い。
あとはなんだ。
一拍とか二拍置いて行動しようね、かな。
そうすると永遠に行動しないけれどなあ。
完全独り言です。
主導権はいらないけれど主体性はほしい受動アスペという矛盾した存在。
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日暮れ恐怖症を克服するためというより、それに圧されて着替えもせずに外をふらふらしていたら、気になる人に出会ってしまい(油断したな……!)と思いながら帰る。
離人感が強い時用のペンダントもしたままだったので、どこから彷徨い出てきた人なのかという世界……。orz
頭もボサボサだし。
でも元気出たな少し。
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私の機能ってなんだろうなあ。
本を探すのが好き。
(実用書が薄め)
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今日はわりと訳もわからずフラッシュバックを起こした。
頭が軽く痺れる感じがあって、あとはともかくとても辛いという感情が圧してくる。
ワイパックス効く子ども脳。
入院時に3日間激痛起こしたのとレキソタン抜きの副作用で3日間から6日間せん妄起こしたのの後遺症と思われ。
よく耐えて戻ってきたよな。
私の機転と(←)皆々様のおかげでございまする。
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冷や汗、動悸、不安、訳もなく辛いという巨大な感情、頭の痺れ。何かを指し示すフラッシュバックは時々あるけれどすぐ蓋してしまうしそれでダウンした時はしばらく放置しておいてもらって頓服飲んで寝ている。
社会復帰出来るのかねえ。
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(。-ω-)zzzおやすも。
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今日はご用事すませて寝たり起きたり寝たり。
「無我の体験」バーナデット・ロバーツ(naturalsprit)を少しだけ読んだ。
自分の機能についてずっと考えている。
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苫米地英人のコーチングの本、遡り電子で読んでいる。
私の頭はたくさん繰り返さないと概念が入っていかないので千本行かなくてもノック中。
色々読む順番や体調の隙を見てできることが変わっているけれど、今は自分のために一人でできることをする貴重な時間を使う。
(もちろん起きていることでふと不安になることを乗り越えられれば時間は増えるのだけど)
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そして寝る。
エクストリーム オフトゥンイン!! ⊂ ⊂ヽ、 /)/) c、 `っ( ヽ ( v)c、 `っ V''V ( v) / ̄`⊃ V''V | ⊃ ( v) ハ,,ハ V''V (゚ω゚ ) ⊂⊂ ヽ > ) (/(/ <⌒/ヽ-、__ /<_/____/
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おうふ、オフトゥンが……
エクストリーム オフトゥンイン!! ⊂ ⊂ヽ、 /)/) c、 `っ( ヽ ( v)c、 `っ V''V ( v) / ̄`⊃ V'
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。゚(゚´Д`゚)゚。
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エクストリーム・オフトゥンイン!
゙/)/)
( ヽ
c っ
( -)
VV/ ̄⊃
| ⊃
( -)
VV
∧_∧
(・ω・ )
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> )
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<⌒/ヽー、__
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よし仕事するぞ。
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正直、信仰心のようなものは私には薄いと思うし、特定の宗教も持たない。
スピリチュアルは中高生で飽きた。
というより、そういうもののなかにこそ地獄があると知ってから距離をおいた。
たくさんの助けを求める人たちと、その人たちが作り上げている地獄。
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なのでいまは誰を信仰することもなく情報を通過させること(咀嚼はどうもできていないみたいだけど)ができる。
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>>651
自己喪失の体験、のほうがタイトルよかったな、と思わなくもないけれど、購買層が違うみたいだから仕方がないのか。
離人症とか解離というものに近い状態によくなるので、参考になるかなあと思い一度は旧版を図書館で読んだ。途中まで。
いつも気分で本を読んでしまうので、あちらこちら渡り歩いている。
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今回髪を切ってくれた方が前髪をあまり濡らさずに切ったので、いつもカールしている(ドライヤー使わない私も悪い)。そして風に吹かれてどうせ癖っ毛はメチャクチャになるのである。
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眠っては疲れている。
ここがコンフォートゾーンなのかな。
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おかっぱよりはショートが似合うのは知ってるんだけど。
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室温28℃もあるのに毛布をかぶって寝ていた。どうかしているなあ。
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