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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★13

968名無しさん:2015/06/13(土) 23:47:14
でまあ以下はわたしの可能性は低いだろうけどそうだったらちょっとシンクロニシティっぽいとかおもったことなんだが

>>532が仮に本当にその本について「特に心に残った部分はない」のであれば、
このスレの>>744のURLの

ある高機能自閉症の青年を診ていたとき、当時は「発達障害」としていう見立てがまったく思いつかず、私自身すごく苦しみました。彼は別に私を責めたりとか、
操作したりとか、揺さぶってきたりするわけではありません。毎週やってきて、自分の苦しみについて語るのですが、それを「満足感がない」「現実感がない」と
いったフレーズでくどくどと執拗に語るのです。その内容をいくら聞いても、こちらに伝わってきません。彼はたいへん頭のよい学生でしたが、いくら説明してもらっても、
次の診察のときにはそれが何だったのか、私自身が思い出せないのです。彼はいつもこうした訴えの周囲をぐるぐるまわっているのですが、それを毎回聞くのが
とてつもなく苦しかったことを思い出します。
この青年の例などは、発達障害の人の言語の性質を言い当てているように思います。物を描写する際にはとても正確ですが、自分の感情とか思いとか苦しみを
表現するには不利ですね。定型発達の場合は、言葉を発すると、単に考えを言語化したり、伝達するだけでなく、自分の身体性のようなものに跳ね返ってくるような
ところがあります。たとえば、話すことによって、感情的にカタルシスが起こったり、聞いてもらえたとか、伝わったという実感が得られるのだけど、どうもその青年とか
アンネ・ラウさんの場合は、言葉は正確だけれども、言っている本人は何も救われていないのではないかと直感したのです。
れが、先ほどのフォーマット化とインストールの仮説を最初に思いついたきっかけです。ほかに傍証とすれば、小さい頃から言葉を大人みたいに使ったりするような
ことが挙げられるでしょうか。

とかになるのかなーとか
サカキバラがそういう人だったとして

わたしブログの岡村だな
ttp://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-894.html
のへん

言葉だけじゃなくて、行動もそうだ
言葉や感情で他人の感情を操作することができない人




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