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2021/9/19ライプニッツとカントの空間論の対立

9横山信幸:2021/07/12(月) 20:41:20
おぐすさん、
(今回の発表ではメイヤスーに深入りするつもりはあまりないのですけど、お答えします。
僕も「有限性の後で」はほとんど忘れてるのですが、残してたメモを張り付けておきます。)

相関主義は、強い相関主義と弱い相関主義の2種の相関主義に分類される。
【弱い相関主義】物自体の思考可能性が許されるとするタイプの相関主義。存在者は我々との相関性においてのみ認識可能であり相関性においてのみ価値を持つが、相関性の外の思考可能性がすべて禁じられるわけではない、とする立場である。カントの批判哲学において、我々は物自体をアプリオリに認識できないとされ、物自体の認識は禁じられている。しかし、物自体が無矛盾であってそれが存在することを知っているともされ、物自体の思考可能性は許されている。
【強い相関主義】物自体の思考可能性を許さないタイプの相関主義。即自的なものは認識できないだけじゃなく、思考することもできない。〈即自〉と言われているものは、所詮〈私たちにとっての即自〉でしかない、とする(相関的循環)。物自体が在ると言えないだけではなく、無いとさえ言えない、とする。
例えば、矛盾を真にしてしまえるような「魔」や、論理的不整合を覆してしまえるような「魔」を想定するとする。強い相関主義においては、そのような「魔」はもはや語り得ず、それが居るとか居ないとか言うことの真偽は、その論理性の失効ゆえに、意味を失効してしまう。だから、我々はその魔について「何かを知っている」とすることが不可能になる。知っていると言おうとしても、それは「論理的に真偽づける言語的システム」から外れたような非言語的な知でしかなく、けっきょく、自分で「知っているつもり」になっているだけでしかない、とする。メイヤスーは、強い相関主義の哲学者にウィトゲンシュタインやハイデガーを挙げている

以上です。


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