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10/7 ニーチェ『善悪の彼岸』

1火雨:2018/09/10(月) 18:04:48
10月7日(日)のハーフ(暫定で前半)を使って、ニーチェの『善悪の彼岸』について紹介・考察等をしたいと思います。
今回用いるのは、木場深定/訳(岩波文庫)版です。
レジュメを作る予定ですので、出来次第また本スレに書き込み・リンク貼りします。

2横山:2018/09/21(金) 18:48:02
僕のブログの方から参加申し込み一名。朱顔さんという方です。

3横山:2018/10/03(水) 18:41:19
また台風が来るかも、という状況ですね。
もしも暴風等で開催が難しい場合にどうするかは、ここで相談することになるでしょうか。
初めて参加の方には、こちらの掲示板で確かめてもらうように連絡すれば良いですかね。

4ウラサキ:2018/10/04(木) 20:47:03
発表者の火雨さんが来られる限りは、やることにしましょう。

5火雨:2018/10/04(木) 22:00:59
了解です。鉄道情報を確認しつつこちらに連絡します。

6朱顔:2018/10/04(木) 22:35:09

ご連絡ありがとうございます!
ニーチェの勉強会をすごく楽しみにしていますが、仕事の関係で行けなくなりました。本当に申し訳ございませんで

7横山:2018/10/05(金) 15:10:19
朱顔さん、それは残念でした。またの機会があれば気軽にお越し下さい。

8夫正彦:2018/10/06(土) 10:56:17
すいません、台風が来るかどうかにかかわらず、用事で行けなくなりました。
ツイキャスとかできなくなりますが、申し訳ございません。

今のところメール等での申し込みはありません。

9はじ銀:2018/10/06(土) 13:57:17
参加出来たら代打で前のアカウントで配信させていただきます。
その際はRT宜しくです<(_ _)>

10夫正彦:2018/10/06(土) 16:00:26
はじ銀さん

参加できそうでしたら、お願いします。

11ウラサキ:2018/10/06(土) 19:51:36
はじ銀参戦、大助かりです。
宜しく。
小ネタもね。

12火雨:2018/10/07(日) 07:03:32
本日のレジュメ(ワードファイル)のリンクを以下に貼ります。参考までにどうぞ。

ttps://www.dropbox.com/s/sx9aocr1i2n8lt9/%E3%80%8E%E5%96%84%E6%82%AA%E3%81%AE%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%80%8F%20%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1.docx?dl=0

13横山:2018/10/07(日) 12:42:28
10分程遅刻します

14横山:2018/10/07(日) 17:56:16
火雨さん、発表ありがとうございました。
参加者みんながちゃんと討論に前向きに参加できてとても楽しい会になりました。

僕はツァラトゥストラしか読んだことがなかったので、今日の話で、ニーチェについてよく分かってなかった所をずいぶんと補うことができました。ありがたかったです。
特にディオニソスとアポロンの意味するところを掴めたような感じがして嬉しかったです。

僕には、ニーチェの考えた虚無主義を単にキリスト教の否定と取るのではなく、超越者や形而上学的な「本当」の否定ととるなら面白そうだと思われて、ニーチェには興味がありました。
でも今日の話を聞くとニーチェのニヒリズムが「人間と人間との間や道徳と道徳の間にヒエラルキーがある」とするものでしかない、というものでしたので、ちょっとガッカリという気もしました。つまり、「力への意志」の「力」が権力への意図を含むものでしかないのじゃないか、ってことです。もっと根源的な「個人の生」に基づくような「力への意志」の問い方があったのではないか。
そこを突き詰めるような、神の死後のディオニソスとアポロンの統合を求めたものが、ドゥルーズや他の多くの「ニーチェ」を引く論者が求めたものじゃなかったのかな、という気がしました。みんな幻のニーチェを追ってたのかなぁと。

しかし、それも、僕の短絡的な感じとり方なのかもしれない。
読みにくい文章の本というのはどうもややこしいですね。

そこのところだけじゃなく、色々と考えるところが広がって面白い会でした。単に話を聞いて教えてもらうばかりでなく、みんなが考えて話し合えた会だったと。ホント楽しかった。

15ウラサキ:2018/10/07(日) 19:24:11
ニーチェとは相性が悪いようで、文体に馴染めず、
適菜収訳『アンチ・クリスト』以外は通読したことがありませんでした。
今回の『善悪の彼岸』も中山元訳で読み始めたものの、第2章でギブアップ。
ケチをつけようと、会に臨みましたが、
皆でワイワイやってると、結構ニーチェの主張は分かったような気になりました。

あと、今日言い忘れたのですが中山訳に「家族的類似」というフレーズが出て来たのですが、
これまでウィトゲンシュタインの発案かと思っていた概念が既にニーチェに使われていてショックでした。
ドイツ語では、普通に使われる表現なのかな?

16火雨:2018/10/07(日) 20:39:58
>横山さん
お疲れ様です。こちらこそ色んな疑問・提案を頂いたことで議論が広がり、楽しかったです。
それから、件の「がっかりニーチェ」感は僕も(発表中に)発生しました。準備してる時にはあまり感じなかったのですが、不思議です。
ちなみに余談ですが、ヘルマンヘッセは、ニーチェのアポロ的なものを「知」、ディオニュソス的なものを「愛」と表現して2人のキャラクターを創作していましたが、1人の中に「知」と「愛」を持たせなかったことに何か大きな意味があると、僕は考えてます。
二つの概念が調和する上では、もともと二つに分かれてることにも意味があるのではないかな、と思うのです。

17火雨:2018/10/07(日) 20:49:34
>ウラサキさん
お疲れ様でした。いやあ、(木場訳で言うところの)「家族的類縁性」に言及するのをすっかり忘れてました!古代宗教についての文ですよね。
たしかにウィトはニーチェを読んでたと思います。正直、2人の思想に家族的類似性はあまり感じないですが、ショーペンハウアーを含めるとこの3人には家族的類似性が発生するんですよね。ショーペンハウアーを読む必要性がますます出てきました。

18AD:2018/10/07(日) 21:56:14
前半について:倫理のカテゴリーに加え、本人の境遇や性格にも起因していそうな、難解なニーチェ。私には少々ハードルが高いです。感情(欲望?)を思考や思想に持ち込んでしまうと、ちょっとどうなのか。嵌る人は嵌ってしまうのでしょう。

後半について:私の長年の懸案の時間計測について、ご賛同のコメントにおおいに勇気づけられ?ました。正統的な?物理学者(学会)からは発言されまたは書かれたものは見当たりませんので、実はSEIKO MUSIUM@東京(時計メーカーのミュージアム)まで行ってこの疑問を訊いたことがあるのですが、あまり質問の趣旨を理解されたようには思えず、さらに東京の小金井にある情報通信研究機構(NICT)という研究機関(日本標準時の決定・維持を行っているそうです)を紹介され、見学ツアーもあるとのことです(が、多分そこに行っても同じような反応を予想)。
なお、現在は科学技術の進歩により、時間計測に限らず、長さ、質量、温度、電流、光度など度量衡の基本が時間をベースに計測されるようになった(orなる)そうで、ますますあの危うい?思い込みの上に物理的世界が聳えることに?

19横山:2018/10/08(月) 00:08:11
ADさん、すごい。すばらしい実行力ですね。

でも、物理測定がすべて時間を基にされることになったら、危うさが増えるというのはどうでしょうか。
時間の基盤が危ういのと同様に長さや他の物理量も怪しいのじゃないでしょうか。
例えば、長さの基準がメートル原器や何某の波長に基づいたものだとしても、「ある時刻ですべての長さが2倍になったかも知れない」などと疑うことが可能です。時間に対する懐疑は、長さやその他の物理量に対する懐疑にも通じ得ます。
もともとそれほど確固としたものだったと言えないかもしれないのなら時間を基準にしても必ずしも危うくなるとは言えないのではないでしょうか。

20はじ銀:2018/10/08(月) 01:20:13
本日は僕の怠惰さから参加できずに残念でした。僕の女神の一人であるルーの名前が出てるにも関わらずw
また配信についてもバックアップの役割を果たせず、ここは反省すべき点ですね。
>「物理測定がすべて時間を基にされることになったら、危うさが増える」
はつまりニュートン力学的な時間の扱いの限界を指しているのではないかと。ニュートンの世界では全ての世界に於いて共通の時間軸というものを前提にしている。
でも時間の絶対性という物が実は虚像であるとなると、人間の感覚的な「ごく最近のことに感じる」というようなものも、実は「正しい」時間感覚となると思います。
時間(絶対時間)というものが、実は虚像だったというのは、とても大事なことですね。

21AD:2018/10/08(月) 07:42:35
横山様、はじ銀様
昨晩は書き込み後すぐ寝てしまい、申し訳ありません。
従来、長さや質量の(測定)基準はメートル原器や容器に入れた水そのものだったので、時間と違ってまさに見て触れるという理由で漠然とした実在感があったのは事実で、仰るようにある時すべての長さが2倍になる懐疑は否定できません(余談ですが、以前読んだある物理学関係の本の前書きで、このような懐疑はしないことが前提(約束)だと断っていました)。その意味では、確かに以前から物理的基盤の危うさは変わらないとも言えます。時間という訳の分からないものに基盤が集約されることで、心理的にはよりはっきりと危うさが感じられるというところでしょうか。哲学的には少しも影響は受けないのかもです。

22横山:2018/10/08(月) 11:41:39
あと、永劫回帰の話に関してですが、
映画「インターステラー」と「サマータイムマシンブルース」を観て思ったことを書きます。

少しだけネタバレを書きますので、まだ観てない方は読み飛ばして下さい。




「インターステラー」DVDを借りて観ました。大変評判が高い映画ですが、僕にはその楽しみかたがよく分からない作品でした。でも、この作品の中で、過去時間との接触(タイムトラベル)が過去を変えるものとして扱われていなかった点には、僕は好印象を持ちました。
過去未来との接触を扱うSF映画では多くが過去を変えてしまえるとするものですが、僕が観た映画のなかで、この「インターステラー」と「サマータイムマシンブルース」は、数少ない過去と接触しても過去を変えないストーリーが組まれていてその点で好い感じでした。過去に接触しても過去は変わらないのですから、その過去に接触する未来人の存在が、そのすでに終わって決定されている過去の出来事のなかに、すでに在ったということになります。未来人は過去の出来事を知っているはずでそれを変化させようしたりあたふたしたりして全く自分の意志通りに自由に動き回ります。しかしその行動も実はすでに過去に先取りされているものであって、結局、運命の通りに動いていたという話になっています。


これが興味深いと思うのは、自由意志と決定論が両立していて、そこに時間の繰り返しが関わっているという点です。
ニーチェが永劫回帰に求めたのは、そのような視点で自由と運命との両立可能性を捉えること、それゆえにどんな人生でも肯定的に捉えることができるようにするような生の肯定、だったのではないか。というようなことを妄想しました。

23火雨:2018/10/09(火) 14:43:01
>ADさん
お返事おそくなりすみません。ニーチェは完全に文脈(彼の境遇や性格といった背景的文脈も含む)に依存する文章ですね。僕は批評の対象にできないタイプの作家だと思います。こういうのは文芸評論のように文脈を解釈して紐解くことがすごく重要だと思いますし、そのためには彼の著作を大方辿る必要も出て来ます。なので、めんどくさいのです!笑逆に言えばハマる状態に居ないと読めないのではないかと思います。

24火雨:2018/10/09(火) 14:49:03
>はじ銀さん
参加できなくて残念でした。ルーの話をぜひしてもらいたかったので。。。
ちなみに恋愛問題がニーチェの文章に与えた影響がありそうな部分(俗に言う「人間的な」部分)は今回端折ってしまいましたが、ここもここで重要そうであり、また機会あったら議題に挙げたいです。その時にはよろしくお願いします。笑


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