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何度でもタイムリープ
1
:
横山信幸
:2016/11/15(火) 22:38:33
思考実験というか、なぞなぞをひとつ考えました。
恋人のKを無残に殺されてしまい、心底落胆している私の許へ、男がやってきて次のように言ってきた。
「このアイテムを使えば、ダイヤルを合わせてボタンを押すだけで、君だけが今の記憶を持ったまま任意の時刻に自在にタイムリープすることができる。そして、これの真にすごいところは、人生を本当に何度でもやり直せるということだ。たとえば、人生をやり直したあとでも、再度やり直さなかった方の人生に戻ることさえもできてしまうのだ。つまり、恋人が殺される前に戻って恋人を救い、そこでもし心変わりをしたなら、その救出の記憶を持ったまま、もう一度、恋人が殺されてしまっているこの今の場面に戻るということもできるのだ。時間は君の思うがまま、何度でもどんな風にでもやり直せるのだ。恋人が酷い殺され方をした君こそがこのアイテムを使うべきだ。さあ、これを君にやるから恋人を救ってきたまえ。」
さて、この男の発言は完全に信用できるものとする。そして、私はKを救えるのならどんなことでもする。しかし、できないのなら何もしたくない。私はそのアイテムを使って恋人を救いにいくべきだろうか。
どうでしょう。ちゃんとしたなぞなぞになっているでしょうか。
2
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 07:21:47
僕がこの話のどこに謎を感じているかと言うと、この設定では「私」は「その事件を経験していないKが生きている世界を生み出すこと」はできたとしても、「殺されたKを殺されなかったことにすること」はできないと思われるという点です。
そのアイテムでタイムリープしてKを救ったとしても、依然「私」は彼女が殺された世界にも再度戻ることもできるというのですから、Kを救ったあとでも、Kが殺された世界においてはKは殺されたままだと言うこともできます。そうだとすると、そのタイムリープによって「私」はその殺された恋人を救うことができると考えるべきなのか。
しかし、確かに、殺されずに生きているままの恋人を確保することができるのなら、その機械を使っても良さそうにも思えます。
それは、「過去」なるものをどう受け止めるか、「隣人」なるものをどう受け止めるか、に帰される問題のように思われます。そして、僕はそれらをどう受け止めているかがよく分からないでいます。
3
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 07:44:01
次のように言うともっと問題をはっきりさせられるかもしれません。
「恋人を殺された君よ、この機械を使えば、君は彼女が殺される直前にタイムリープして、彼女が殺される世界とは別に、殺されなかった世界を分岐させることができる。これをやるから、彼女を救ってきたまえ。」そう言われた私はどうすべきか。
4
:
Pandora
:2016/11/18(金) 13:34:28
お久しぶりです。
ちょっとの時間で横山様にお気にめしていただけるかどうかわかりませんが、徒然なるままの思考です。
横山様の前提は、多世界を前提とするものですね。
現実の世界は、ひとつしかありません。そこで私が体験できる世界も一つのものです。たとえタイムトラベルで私が過去へ行って、先に体験した世界が変ったとしても私の意識する現実世界は連続する一つの流れのままでしょう。
横山さまの「私」の意識が分裂して、2号さんが生きてる世界と死んでる世界の二つあるかどうかという話ではないですね。
でも横山様の問題なのはこの謎解きが・・・
「恋人を救いにいくべきだろうか。」という価値判断になっているところです。
哲学では原則、真偽判定を求めます。つまり、本当かウソかをもとめるのであって、これには普遍性という必要十分条件が付くものと思います。
しかしながら「べし」を尋ねる問題は良いか悪いかを求める価値判断であって、ここには普遍性はないだろうとおもわれます。
ヒュームとかムーアですね。
横山さまは普遍的価値基準は、あるという立場でしたっけ?
それなら「ある」から「べし」を導出しなければなりません。
ヒュームのギロチンは成立しないことの証明はいかが?
それにしても2号さんうらやましい・・・
5
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 15:43:50
Pandoraさま、コメントありがとうございます。
鋭い指摘ですね。価値基準に普遍性を求めることはできないというのは、おっしゃる通りだと思います。
でも、僕がここで考えたいと思っているのは、僕の個人的な価値を探るための考察なのです。
自分がとても大切な隣人を救いたいと思うとき、その隣人を救うというのは「①死んだ瞬間の人格とは別人格の、でも体と記憶とその他の機能はまったく同一の人を生かすこと」だと捉えたいのか、「②死んだその個人を死ななかったことに摩ること」だとしたいのか、を考えたいのです。普遍的な価値を知りたいのではなく、自分がどのように価値を定めているのかを測りたいということなのです。もし①だと捉えているのであれば、僕は課題のケースで救いに行けますが、②として捉えているのであれば救うことは原理的に不可能なので、救いにいくことはしないはずです。
でも、そう考えても、自分がどう考えているのか、よく分からないの、困っているのです。
6
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 15:45:32
すいません。タイプミスです。
「②死んだその個人を死ななかったことに摩ること」
↓
「②死んだその個人を死ななかったことにすること」
7
:
はじ銀
:2016/11/18(金) 20:33:52
赦しの話と似ていますね。
赦すことことが出来ないものにしか赦すことは出来ない、というような。
8
:
Pandora
:2016/11/18(金) 21:29:29
>自分がどう考えているのか、よく分からないの、困っているのです。
横山様のケースを斯様に比較してしまっては失礼かもしれませんが・・・
原則的に同様のことと存じます。
よく勉強が分からなくてつらいとき、自分は何のために勉強しているんだ、その意味を知りたいとかの思考が沸き立ちますね。
これは自我の存在の価値の肯定ができていないのだと思います。
何か楽しいことをやっているとき、あるいはゲームなどでもう少しで勝てるなどといった状態で、自己否定はおこりません。
自我の存在には価値があって、常に「今の自分はよい」の方向へのポテンシャルがあると考えればいいのではないでしょうか。
横山様は今の自我を肯定できない、何かリアルを体験されているのでしょうか?
つまり、「わたしはかの隣人を救わねばならない」できなければ「今の私は(価値的に)否定される」
自己否定の傾向に対して、自己を肯定する論理構造を求めていらっしゃるのでは、と推察しました。
9
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 21:50:53
はじ銀さん、
僕が考えたいのは「愛する人とは何者を指すのか」という問いです。
愛する人が死んでしまった場合に、その人の完全コピーが全くその人として生きていられるのならそれで良しとできるのか否かということなんです。
そのあたりの問題について、許しの話とどこが共通するのか見当がつかないですが、何か共通するかもしれないという気が僕もします。
10
:
横山信幸
:2016/11/18(金) 22:05:44
Pandoraさん、
申し訳ありませんが、自己肯定と否定がここでどうかかわるのか、どうも理解できないでいます。
「私はKを救えるのならどんなことでもする。しかし、できないのなら何もしたくない。私はそのアイテムを使って恋人を救いにいくべきだろうか。」
これが僕の問いの形です。この条件の上で「どうすべきか」を考えるということはすなわち「私はKを救えるのか否か」を考えることです。
そして、それは結局、その「救う」という語の意味をどうとらえるかにかかっている、と僕は考えているわけです。
そのような考察によって、
僕はこの「救えたかいなか」という問いが「愛する人が死んでしまった場合に、その人の完全コピーが全くその人として生きていられるのならそれで良しとするか否か」に他ならないと考えているのです。
だから、この問いにおいて、僕の興味は「私にとって愛する人とは何者のことか」なのです。
だから、問いの語尾が「べきか」になっていますが、「よいかどうか」を問うことが問いの趣旨ではないと思えるのです。
11
:
Pandora
:2016/11/19(土) 00:08:08
では、こんな分析ではいかがでせう?
サールでは「心の哲学」第6章の『志向性』のところで出てきますが、命題的態度で構成してみます。
「愛する人を救う」をAとして、「わたしはAを欲する」が是か非か。
それを決定するのに横山様は「愛する人」の定義が、それを決定すると。
「愛する人」も他者であることは否めませんから「他人の心」の存在定義が「その人の完全コピー」であって「死んでしまった愛人」と区別できるか否かです。
これは原則できないでしょうね。
他者は、外見的行為でしか認識できません。サールの金づちで親指を打付けるの寓話がここでいかされます。痛いのは「私の親指」だけです。
他者A,Bがいて、彼らのこころが外見、行為がまったく同様で、別の意識であるのかは決定できるのかどうかです。これは任意選択、つまり、横山様自身でしか決定できないのではないでしょうか?
さきにもどりますが、他者の心の定義をするにあたって、「是か非か」つまり、「よいか悪いか」の問題に移行していることです。
よって、横山様の問題は命題的態度のそれに行き着くと…。
12
:
横山信幸
:2016/11/19(土) 01:27:54
Pandoraさん、ありがとうございます。
>これは任意選択、つまり、横山様自身でしか決定できないのではないでしょうか?
それはまったくその通りなのです。僕だけの問題と言えばそうなのですが、そこを、いろいろな人がどう考えるかという問いに広げていくと。何か見えてこないかなあと思っているのです。
13
:
横山信幸
:2016/11/19(土) 01:57:35
Kとまったく同じ人格なのだったらそいつはもちろんKなのだから、救いにいった方が良いようにも思える。でも、実際にKが過去に死んだのであれば救いだしてきた者はKとは別人だとしか思えない。これをどう考えるか。そこに僕は躓いているのです。
14
:
Pandora
:2016/11/19(土) 21:11:10
横山様の躓きは、テセウスの船と同値とみてよろしいでしょうか?
一度殺戮された愛人・・・・解体されたテセウスの船
タームリープでよみがえった愛人・・・・同一部品で再構成されたテセウスの船。
メビウス様のところのサールの答えというところは・・・
>どちらがテセウスの船であるかは「私たち次第」だという。
>アリストテレスの分類でいえば「形相因」の同一性で判断するか、
>「質料因」同一性で判断するか、ということになる。
それとも人格の同一性に踏み込んでいるわけでしょうか?
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