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悟りに至った方たちとの対話
389
:
TK
:2014/06/10(火) 20:56:43 ID:LbBk6I1Q0
>>381
>不退転までは行かないかも知れませんが、もう少しあがいてみますよ。
>あがくにあたってTKさんは心のコントロールは意識しましたか?
煮詰まってからの進み方と、煮詰まるまでの進み方はまるで正反対です。
精神世界で酔っ払いになるのは、
煮詰まるまでに係わると前進できないものなのです。
今のあなたはまだ煮詰まっていませんから、
もう一度その限界点まで進む必要があります。
例えば自殺者が勢いで自殺する事があったとしても、
タイミングを外して一旦その勢いがなくなった状況では自殺できません。
もう一度自殺するためには、
その状況を作り出さなければとても自殺は無理ですね。
ロケットが大気圏の外へ出るまでに失速してしまったら、
振出しに戻らなければ再びトライは出来ません。
煮詰まるためには、自分の目的を明確に持たなければなりません。
ここが出発点です。
それに向けて、自分で考え得る限りを尽くして進むのです。
もちろん気功も物理的な健康法としては価値があると思います。
ただ、精神世界は駄目です、
煮詰まるためには気持ちは内では無く外へ向けなければなりません。
現実社会に対して物理的に取り組むという事にしか価値が無いという事です。
考えてみれば、ラピ。さんもあなたよりはずっと先まで進んだ人でしたが、
私に出会うまでは最後の止めはさせないでいました。
その意味ではあなたと同じ、もうここまでやったのだから良いだろう、つまり、退転したのです。
自らがこれが限界と定めた、
さらにその先に突き進めばそこに終点(彼岸)があるなどと、
あなたにもラピ。さんにも、その時には想像できませんね。
私の実践法は退転なく進んで退転なく実践が一人でに終了する。
自分自身で、もう実践不能となったことが承知できる。
終わらせなくて終了が来て再び実践はもうできない、これが成就です。
つまり、内面に対して取り組んで、最終的にその内面そのものが消滅するので、
外も内もその別が消滅して、これが成就です。
釈迦の時代であればヴィパッサナの成就、
天然記念物のような言葉を使えば阿羅漢とか不還、
つまり人間卒業基準ですからそんなに簡単であるはずがありません。
>>346
>仕事面において、本当の意味での瞬間と言う能力の次元が使えるようになり、
>楽々と休んでいて何もやっていない感覚で、
>めまぐるしい動作で適格な作業を次々とこなしていくと言うパラドキシカルが日常となります。
>
>つまり、一生働く事の無い、永遠の休日と表現するとちょうどいい。
>捉われが無いことが我々の標準ですが、
>便宜上は囚われがある者のように振る舞うのです。
>
>通常が役者の演技のようなものです。
>
>仮の自分をアウトプットし続けるが、
>本当の自分は無いと言うこれまたパラドキシカルが日常です。
色々と我々の特性を上げましたが、これが天然記念物的な用語でいえば、
悟った者に生じると言われている、ただ作用のみの心、唯作心というものです。
>Tkさん
>正しく愛もありますね
従って、私は当然ですが善人ではありません、
私の行いは何をやっても善行には分類されませんから。
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