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悟りに至った方たちとの対話
145
:
ラピ。
:2014/06/01(日) 07:33:06 ID:/aATd8c.0
七氏さん、みなさま
おはようございます!@(*・ω・*)ポッ
>>142
>さとり とは 真理ですね。
>漢字では、法 と言い、 インドでは、ダルマ、と言う。
私が至る前なら「さとりとは真理」と表現していたと思いますが
(さとりについてのイメージとしてそう表現していたと思う)
至ってしまえばそう表現することはできません。
そもそも今のこの境地はことばに表しようがない。
「さとりとは真理」
といった途端、それはそうではなくなる。
釈迦が表現している境地がありますが
それが私の状態をうまく表現している。
そして釈迦のそのある境地が「さとり」と表現されているので
便宜上、人に伝えやすくするため「さとり」という言葉を使っています。
ただし、この状態は言葉で定義されるものではない。
でも、人に一言で伝える場合は「さとり」と表現することがあります。
「さとり」を検索してみました。
「さとり」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/88768/m0u/
2 仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。「―の境地に達す」
残念ながらこの解説は的を得ていませんが
たぶん、「さとり」をそう捉えられている人がほとんどでしょう。
私もかつてそうでしたから。
私たちの表現している「さとり」は永遠の真理を会得した状態ではない。
なにを会得するのでしょう?そんなもん、ない。
真理?なに、それ。という感じ。
その会得するものがない状態が今の私たちの境地です。
私たちの境地は
知ったり、気づいたり、と表現できるものではなく、
知る自分、知るもの、それらが消滅した状態であり、
だから知ったり、気づいたりしている状態ではない。
知ったり気づいたりするものなんてなんもないんです。
それそのもの。
「さとった」と表現しますが、それはさとったわけではなく
「さとったというもの」が消滅した状態。
だから「さとり」とはなんですか
の答えは言葉で表しようがないですが
あえて言えば私たちが「さとり」という時、
「それそのものの状態」かなぁ、、、。
ちなみにさとりを「気づくこと」と表現した場合、
「気づく自分」と、「気づくもの」に分離があります。
さとりとはそれそのもので分離はありえません。
よってさとりを「気づくこと」とは表現できません。
ちなみにこの境地を目指すのであれば、目指してはいけないし
(目指して到達する、というものではないから)
この境地を想像することは
この境地から離れることになります。
想像すれば想像どまりです。
これは想像以上の境地なので想像できるはずがない。
「何かをさとる」
ということではない。
「それそのもの」がさとりと表現しているものです。
ちなみに私が至った瞬間は
ある瞬間その状態でした。
長い道を通って、頂上に達した
というよりは
一気にワープした感じ?
そして一言
「なんじゃこりゃ?」です(笑)
だからこそ、さとれば
さとる前と「次元が違う」という表現ができる理由のひとつかも
とも思っています。
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