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TK師との会話
91
:
TK
:2013/10/06(日) 09:16:06
地獄と言う表現について、なるべくわかりやすい言葉で説明するならば、
一例で言えば悪いことをして刑務所に入るのにかなり似ていますね。
実際は恐らく刑務所などと言うそんな生易しいレベルのものでは無いと思いますが、
しかし、規則正しい生活を送らされてお勤めをさせられる、
禅寺などの修行環境と、刑務所はどこか似ている点があると思います。
そもそも刑務所も、人間を修養するための施設の一つと言う意味では、
似ていても不思議ではありません。
私が激流や地獄と表現するものは、
これらの機能をさらに倍増させたようなものなのです。
よく、囚人生活の映画とか見たことがありますが、
実際は刑務所と言えども懲役で働かせられているだけではなくて自由時間もある事でしょう、
しかし、これに対して私が激流や地獄と言うものに対しては、
就寝時以外の意識のある限りは、マインドに自由を一切与えない、
このような実践になります。
標準的な人間の感覚なら、
マインドのままに自由にできる時間を自由時間とか休憩時間とか表現していますが、
それを一切自分の生きている生活の中から排除するという事を指します。
マザー・テレサは愛の反対は無関心であると言いましたが、
この意味をさらに詳しく解説するなら、
自分のマインドの動きに無関心で居てはならないという事なのです。
至る前の人間は必ず、遭遇する出来事に対してマインドが動きます。
無視してもマインドは動いているのです、なぜなら、その「無視」そのものが、
既にマインドが動いているという事なのですから。
本当に至った者の辿り着いた状態としての無関心は、無視すらしないのです、
一般の人には逆立ちしてもこのような事は出来ません。
善と言う判断が僅かにでも起きたなら「必ず」無視しないで実行に移しなさい、
悪と言う判断が僅かにでも起きたなら必ず無視せずに絶対にそれをしてはいけません。
就寝時以外の意識のある限りにおいて常にこれを実行しなさい。
これ本当に口で言うのは簡単ですが、実行に移すと偉く困難性の高いものなのです。
肉体上の行動の自由を規制するのが刑務所なり禅寺などの修養機関であるとすると、
更に突き進んで、
メンタルの自由を就寝時以外の意識ある限り規制するのが激流の実践なのです。
更に激流の実践では善とマインドに僅かにでも浮かんだら、
100パーセントの行動を起こさなければなりません。
つまり、マインドも、行動も生きている生において一切の自由が無い、
これが実践の真実です。
刑務所は生易しいと思いますよ、
いくら行動を規制されても大元のマインドまでは規制されませんから。
所が、大元のマインドを自らで100パーセント規制したら、
行動の自由も一切ありません。
つまり、行動、メンタルともに牢獄の中という事です。
この実践で重要なのは例外無しの100パーセントと言う言葉にあるのです。
生きている意味が無いと感じますよ、でも、
それが至ると生きている事の最も重要な意味だったのだと言う事が分かります。
至った我々には生きている意味はありません、
この状態で楽々生きているのです。
至る前の者は変な所は真似せずに、
このような所こそ至った者の真似をしなければならないのです。
一般の人には意味なく生きる事はこの上なく苦痛です、
至った我々はそのような状況に常に楽々生きていますが、
これが次元の違いからくる苦痛なのです。
この、「意味なく生きる」事こそ真似して、
そのことから受ける苦しみを充分に味わって下さい、
それこそが真実の「激流」の実践なのです。
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