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TK師との会話

70ラピ。:2013/09/29(日) 08:57:11
☆TK師

貴重なお話 いつもありがとうございます!

私は釈迦やイエスの教えについては
有名な言葉は知っていましたがほとんど知りませんでした。

でも自分の不屈の(ある意味しつこい(笑)精神で
教えがなくてもある程度までは進んでいました。

でも、最終的に私を彼岸に導いたのは
師から教えてもらった「激流」でした。

その時の私にとって必要な教えでした。

まさか、激流の中に彼岸の道があるとは、、、。

師から教えてもらった「激流」

直感的に「これだ!」というものがありました。

だから最終的に激流が起こった時に
それに向かって進む決心をし、
無事渡り終えました。

ちなみに私の第2の実践は、
師も「地獄」だと言われているのと同じように
まさしく大変な状況でした。

でもあきらめなかった。
どんな状況でもそれを極めるために
(そしてその実践の限界を知るために)
なにがあっても続けました。

実践している自分が何度も消えそうになったけど
(何度もその瞬間を体験しました)
それでもやめなかった。

、、、しつこいのです。(笑)

実践をとことんやってると
もう引き返そうにも引き返せないのですけどね、、、。

(それまでの自分がどんなものであったか忘れてしまったのです。)

だからもう進むしかなく 何が起こっても
さらに実践をしてました。

そしてある瞬間、最終的に闇に放り出されました。

そこから必死に帰ってきたのです。
(「必死」という言葉はまさしくこの状況にぴったりでした)

自分が消えてしまったらどうなってしまうのか
怖かったです。

闇に放り出されたときは怖さに関係なく
勝手に放り出されてしまったのですが。

この放り出された時は「怖い」というよりは
時間が止まった感じで、なにもありませんでした。
あるとしたら闇?
時間にすると一瞬です。

そしてまだまだ至る時ではなかったからか、
彼岸に少し触れたけど 至ることはできませんでした。

でも、私は一歩足を踏み込んだ彼岸から
あるものを得て帰ってきました。

あるものとは
その闇の時に体得したもので
うまく表現できない「それの一部」です。

その経験のおかげで「からっぽ」でいることができるようになりました。
でもこの「からっぽ」はまだ意図が必要でした。
=まだ至れていない、ということです。

その時は「からっぽ」そのものではなかった。

でもそれのおかげか
最終の激流を1日で渡り終えることができました。

どんな経験も無駄ではありません。

どうぞ、不屈の精神で日々をがんばってください。

するなら「徹底的に」です。

私は実践に自分の人生をかけました。

もう生まれ変わらない、と決心していたので
「今世でしかもうがんばることはできない。
今世できなかったから来世でがんばる、という選択肢はない。
今しかない。」

まさしく、今世をかけていました。


>「自己喪失の体験」バーナーデット・ロバーツより
>沈黙した心のままで会話もできることが分りました。

ほんと、そうなんですよね。

「何も起こってないけど話せる。」

そんな感じですかね。

この状態で初めて何にも影響されず
純粋に表現できると思います。


まだまだ至りたてほやほやなので
この状況にもっと慣れていきたいと思います。

「ほやほや」の様子について、
またいつか書けるかもしれません!
@(*・ω・*)ポッ


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