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TK師との会話
68
:
TK
:2013/09/28(土) 17:39:00
(続きです)
神仏が感動するレベルの実践をすれば、必ずや、
拠り所としている信仰の対象の方から姿を現してくる事でしょう、
心当たりの人たちはマザー・テレサもそう勧めています、
もう一度焼き直しをして下さい。
アストラルの特性は私は良く知っているのですが、
明らかにこの奇瑞については、
こちらはまるっきり意図していない向こうからのアプローチなのです。
私は新約聖書と原始仏典をテキストにしましたので、
時を分けて両方からありました、
私の実践法はどちらからも承認されているものなのです。
イエスともう一方は確かに釈迦なのですよ。
イエスは声が光になって飛ぶ世界からアクセスしてきましたし、
釈迦は身を起こすことが出来ない凄い圧力のある普通ではありえない金色の光を放っていました。
私の場合は生きている師はいませんでしたが、
この奇瑞のおかげで死ぬ覚悟が出来ました。
生命に危険な実践内容もいくつか取り入れてましたし、
私はこの実践で死ぬかもしれないが、死ぬのなら死ぬのでいい、
この命は神仏に預けます、実践とはこのレベルのものでなければ駄目なのです。
私は覚者になりたかったとかではありませんが、後戻りが出来なかった、しかし、
覚者と名乗りたければこれくらいは必要だと思います、
神仏が感動して自ら動き出すくらいの実践内容とは、このレベルです。
私はこの現象に対しての説明されている文章を、第1次実践の際に、
阿含宗の教祖の本の中に見た覚えがありました。
言っておきますが、私は何の信者でもありません。
生きている人間の師はいませんと何度も言っている通りです。
書籍が残っていましたので、引用だけしておきます。
ただし、この人にしても学者と同様で豊富に仕入れた知識は有難いですが、
イカダ(法)を手放す段階の話が出てこないというのがね。
「1999年カルマと霊障からの脱出」桐山靖雄
>まずなによりもその法が正しいという事です。法が正しくて、さらに、
>仏さまが感動されるなにかがなければならない。いうまでもないことであるが、
>仏が感動されるなんてめったにあることではない。
>めったにあることではないどころか、古今を通じて稀である。
>奇蹟といってもいい。その奇蹟を起こすだけのなにかがなければならない。
>それがあると、仏さまが感応してくださる。
中 略
>仏が感応されますと、かならず「現形」という現象(または現証)があらわれます。
>
>これは、元来、神道の方から出たことばです。神霊が感応されますと、そこに、
>はっきりと、なんの神であるとわかるお姿を顕現される。
ヨハネの福音書14・21
>わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。
>わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自信を彼に現わします。
マザー・テレサもそう言っているので、今回は私もこの件について話をしてみました。
(続きます)
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