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TK師との会話
64
:
TK
:2013/09/28(土) 17:19:33
(続きです)
綺麗な心(内側)があるのではなく、そもそも心(内側)というものそのものが、
不浄なものだったのです。
マルコの福音書 7章16-18
>イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。
>
>口に入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。
>
>しかし、口から出るものは、心から出てきます。それは人を汚します。
私は地獄(心)を滅ぼすことに成功しました。
しかし、これは結果論で、内側を滅ぼすつもりなど最初からありませんでしたし、
清い内側が出来るものとばかり思っていました、しかし、
現実には内側は無くなったのです。
慣れた今となっては、全く当たり前のどうという事の無いものなのですが、
至った当初は結構珍しかったです。
きっと至った間もないラピ。さんは現在さぞ珍しいものと感じている事でしょう。
「自己喪失の体験」バーナーデット・ロバーツより
>この第二の変化の本質は外にあるすべてのものの脱落で、その結果、
>あの素晴らしい「一なること」も、
>個々の物に焦点を当てられる立体鏡も無くなり、
>「見ること」は突然盲目にされてしまいました。
>こうして私は内にも外にも何も無いという耐えがたい状況で生きる事になったのです。
>これについて、言葉で表すのは難しいのですが、もう少し書いてみましょう。
>
> 最初はどこを見ても何もないということで当惑しただけでしたが、
>「一なること」に溶け込もうともしない全般的な空虚のために、
>特定の物や観念に心を留めることができないのです。しかし時がたつにつれて、
>償いとなるものが何もないので、この状態が次第につらくなって来ました。
>内にも外にも絶えず虚無だけを見ることは何とも言えない徒労で、
>耐えがたいことなのです。
>沈黙した心のままで会話もできることが分りました。
>ただし言葉が何も考えずにその場で出てくる場合だけで、
>はじめは実際的な事柄に限られて、しかもごく短いものでしたが、
>そのうちにこういう心の外での会話が楽にできるようになりました。
>この旅について特に強調したいことは、
>最後に存在全般にわたる虚無に出会わなければならなかったことです。
>これは私にとっては神なしで生きることを意味していました。
>こうして希望と信頼を奪われ、究極の実在なしに生きることに十分に慣れ、
>ついにこの状況を受け入れるほかなくなった時にはじめて、
>突然「それ」が真理でありすべてであることが分かったのです。
バーナーデッド・ロバーツの記述の中で一点欠落している点を私が語るなら、
実は「祈り」も我々の意識状態では逆立ちしてもできない行為です。
「エックハルト説教集」 マイスター・エックハルト
>離脱した純粋性には祈りというものはありえない。
なお、私がここで語るのは、一つには自らの誤認による覚者に対してです。
まだ、その者の居る所より先があります。
もちろん、他者に教えを説くと称して、
たんたんと自らの理想論を展開していくのは構いませんが、
それをしながら先に進めるものならそれも手です。
ところが、その教えの本質は、
やがて精一杯に動けば、真っ暗闇の穴が待っている次元なのです。
なにより、その程度の教えで人を先導する行為をやめなければ、
その者がそれより先に進めないことを意味しています。
正しい教えであろうが無かろうが、そもそもに教える行為そのものが、
道に反しているのですから。
教えを聞くことは良いです、しかし、
教えを説く行為自身はエゴを増強する行為なのです。
マルコの福音書 7章16-18
>イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。
>
>口に入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。
>
>しかし、口から出るものは、心から出てきます。それは人を汚します。
(続きです)
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