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TK師との会話
61
:
TK
:2013/09/21(土) 11:12:01
(続きです)
私自身のエゴ殺し、すなわち第2次実践段階は、
私は私の特殊性で実践段階で悟った者と同精度に近い自分のエゴを見抜ける目があった事によります。
私に自分を見抜く高い精度の目が無かったら、
今の所に至るのは無理だったと思います。
スピ。系で言えばワクワクと言う実践が、
「ワクワク(思い)」を拠り所に散漫になっているエゴに方向性づけると言う点で、
この第1次実践にあたります。
まず、第1次実践段階を要約すれば、
物質として正しい方向で生きると言う表現が近いものですね。
第2次実践は、物質である自分を捨てて、
自分の精神だけにターゲットを合わせて進む実践で、
第1次実践では思いを拠り所に正しさの追求ですから、
楽しいことも多くありますし、生きがいも付随しますが、
第2次実践ではそれはありません、一言でいえば地獄(激流)です。
第2次実践ではワクワクしない時に意識的にワクワクさせ行動したり、
喜べないような出来事に喜んで行動したり、このレベルの実践になりますから、
自然に心から喜べるような生き方はありません。
「意識的に」心をワクワクさせたり喜ばせたり、
自然な状態の悲しんだり喜んだりワクワクしたりの心の動きを「意志」の制御下で、
はっきり言えば撲滅する為の実践なのです。
人間の多くはそれを楽しみにし、生きる支え拠り所として生きていますので、
つまり、あなたは生きる支えを一切放棄して、
死んだものと思って生きて下さいと同じレベルの事をやらなければだめなのです。
ですから、
ラピ。さんにそれをやって良いものかどうか見極めるために4カ月かかりました。
今までエゴを使って精一杯生きてみて、
さらにその先に進みたいと言う強い思いがある者にしか開けるものでは無いでしょう。
釈迦の言葉の中の「激流」と言う表現を甘く見てはなりません、
「緩流」とは釈迦は言っていませんよね。
生き地獄のことを指すのです。
そして、釈迦とイエスの教えがそれにあたるのですが、
まともな実践をできている人など見たことがありません。
はっきり言ってみんな「緩流」です。
即ちほとんど全てエセ実践者です。
釈迦は「緩流」で水浴をしながら彼岸に渡れ等と言ってないのに、
ちょっとは自分のやってることに疑問を持ったらどうですか。
あえて渡りがたい「激流」と言う表現を使っているのですから、
仲良しクラブで渡れたら、釈迦より天才ですよその人は。
スッタニパータ174
>「常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、
>よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。
ラピ。さんの成就に関わる中で私が学べた点は、
現代社会の中に至るための正しい教えはある、しかし、
いくら正しい教えだけが有ったとしても、後他に、
悟った者に近い高精度な自分を見抜く目が必要であると言う点です。
そして、実際に会わずともネットを介した接し方でそれは事足りました。
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